田島 實氏  経歴

日本製粉で永年にわたってフランスパン専用粉の開発をされ、 現在は日本製粉の子会社であるニップンビジネスサポート株式会社の技術顧問。

   

以前、パナデリアで取材させていただいた、田島先生に改めてフランスパンについてのことを伺ってきました。田島先生といえば名言「一 粉(こな)、ニ 種(たね)、三 技術」 があります。日本のフランスパンを作るために粉、酵母、技術、を研究し普及に尽力された方です。取材を快く承諾いただき、お会いすると本当にすばらしい人格者であり職人でした。そんな田島先生に一問一答をお願いしました。


−フランスパン粉の研究に携わったきっかけというのは?

戦後貧しい時代でしたからね、食べ物に関わる仕事だったら食いっぱぐれはないだろうと思って日本製粉に入ったんですよ(笑)。はじめの10年は工場で全身真っ白になって粉を挽いていました。与えられると何でもおもしろがって取り組む性質のようで、粉を挽くなら誰よりもいい粉を挽こうと思ってやっていました。そうしたら今度は粉を使った製品の開発をやらないかという話しになったんです。
そこで次は麺用粉の開発へ。これはすぐ試食できるのがよかったですねえ(笑)。これも熱中してやりました。
そしたら今度はパン用粉をやらないかと言われ、早速学校へ通って作り方を学びました。ちょうどこれからフランスパンの時代だという時だったので、中央研究所で毎日フランスパン専用粉の開発のためにフランスパンを焼き続ける毎日が始まったというわけです。



−粉の開発というと具体的にどういうことをやるんですか?

みなさん粉挽き屋さんという職業がなぜ成り立つのかと思ったことはありませんか?麦の質というのは毎年変わるもので、たとえば豊作の時は一粒に含まれるたんぱくの量が少ないんです。だからといって売ってある小麦粉の質が毎年変わっていたら、毎回配合を変えなければいけなくなり、買う側は大変ですよね。
そこで、粉屋さんが毎年の麦の出来具合を見て、一定の質の小麦粉を作るためにいろいろな品種のものをブレンドするというわけです。そのブレンドをいかにやるか、そこが粉屋の技術なんですね。
ところが、麦というのは3年に一度は品種改良をするので、同じ土地だからといってずっと同じものではないんです。もう、ブレンドの試行錯誤の繰り返しなんですよ。
ひとつの規格があってずっと同じブレンドでいいのなら機械でできてしまうことですが、やはり毎年毎年実際パンを焼いてみて調整しないといけないんです。






−フランスパンはパンの中でも難しいといいますが、やはりその専用粉作りも難しいものなんでしょうね。

フランスパンというのは本当に粉と塩・水という主原料のみでつくるパンですから、粉の味が命なんです。
どうしておいしい砂糖やバターをいれないでこんな難しいパンを作るのか、それはこのストレートな粉の味が料理に合うからなんです。料理を引き立ててくれる。そこにバターやミルク、卵が入ると料理の味のじゃまをしてしまうんですね。だからこそ粉の味は大事。
ところで、うどんにしておいしい粉はフランスパンにしてもおいしいってご存知ですか。うどんは粉と塩だけですから、原料が同じなんです。フランスパン専用粉にはフランスの麦だけでなく内麦も混ぜますが、内麦は量的に足りないんですね。そこでオーストラリアの麦なども混ぜるわけですが、これは麺にもよく使われる粉なんですよ。
また、内麦といっても北海道から鹿児島までいろいろあります。寒いところの麦はたんぱくが高いから、東北、北海道ははるゆたかなどパンに向く粉ができる。一方、暖かいところの麦はたんぱくが少ないから、讃岐に代表されるように麺に向くものが多いわけです。


−まだフランスパンがあまりなかった頃は、開発にはご苦労も多かったと思いますが。


フランスパンに使う粉のたんぱくの量というのは、フランスでは9.5〜10%。私がフランス国立製パン研究所のカルベル教授と一緒に粉作りをスタートしたとき、「ナポレオンゴールド」という、たんぱくがフランスと同じ粉を作ったんです。
ところがこれは当時の日本人には合わなかった。その頃は「皮が薄くて柔らかく日持ちするパン」というのが日本人にとっては理想だったんです。そこで3年後により皮が薄く長時間もつ、たんぱく11.5%の「F ナポレオン」を開発しました。これが今日本で最も多く使われているフランスパン粉です。
その後も市場の反応を見ながらたんぱくをもっと多く11.8%にした「エスポアール」や「ルーブル」という粉も作りました。たったの0.3%ですが、材料がシンプルなだけにその違いは顕著に現れるんですよ。
今日本で一番多く使われているフランスパン粉が「Fナポレオン」ですが、最近では逆の傾向にあるんですね。フランスで食べたパンと同じものを食べたいという声が多くなり、皮が厚くできる粉を求められるようになってきました。
ところが、はじめにつくった「ナポレオンゴールド」が欲しいと言われてももう作ることはできないんですよ。これに近い粉をということで「Fナポレオン」に麺用粉「赤まつ」を5割加えたものを使っている店もあるんです。フィセルというのはバゲット以上に皮を楽しむパンですが、これが日本でも受け入れられるようになったんですから、日本人の嗜好もだいぶ変わりましたよ。

初めはなかなかフランスパンのおいしさが理解されなかったんですね。

フランスパンというのは、本来皮を味わうパン。350gで68cmという形の基準も皮のおいしさを最大限に楽しむためなんです。たんぱくが少ないと自然と皮は厚くなるので、フランスパンのあのしっかりとした皮ができるというわけです。
ところが日本人にとってはパンとはクラムを味わうものなので、皮は薄くおせんべいのようにパリパリとしたものが好まれるんです。また、日本人は特によく膨らんだボリュームのあるパンが好きですが、ボリュームを出すためにミキシングを多めにかけると今度はグルテンがつながって皮のひきが強くなってしまうんです。そのバランスをいかにとるかというところが難しかったですね。
しかも一番おいしい焼成後1時間の間にフランスパンを食べれる日本人は少ないですよね。せっかくのパリパリのおせんべいの皮に仕上がっても、パリパリのうちに食べられない人がほとんど。習慣の問題なので仕方ないですが。

たんぱくの少ない粉でいかにボリュームを出すかというのがフランスパンの難しさなんですね。

ボリュームを出したいからといってミキシングをあまりかけすぎると逆効果になってしまいます。じゃあどうやってボリュームを出すのかというと、ゆっくり発酵させるということ、そして直焼きをするということです。 フランスパンには油も卵も砂糖も入っていないから、窯に入れるとすぐに皮が形成されてしまいます。型にいれたらなおさら上からの熱が強くなり、生地が膨らむ前に皮ができてしまうので、直焼きすれば上の皮だけが先に形成されてしまうということがないんです。
また、クープを入れるのも皮がすっかり形成される前に生地を存分に膨らませ、中まで火を通すためです。そのクープをきれいに開かせるにはスチームの入れ方がポイントなんです。皮に水分がつくと一瞬皮の温度の上昇が抑えられ、皮が形成されてしまう前にクラムが膨らみクープがよく開くというわけです。その水分が多すぎると逆にクープがくっついてしまい開かなくなるのですから、神経を遣うところです。
焼きあがった時にクラストがパチパチと音をたてたら大成功!スチームをかけすぎるとこの音はなりません。


フランスパンの食べ頃は?

よくフランスパンは焼き立てがおいしいと言いますが、ほんとうに窯から出したての状態ではまだ味が安定していなくておいしくはないですよ。
一番おいしいのは粗熱がとれて室温に戻ったとき、長くても焼いてから1時間の間です。 パンが大きいほど劣化も遅くなるので、ヨーロッパではピクニックにカンパーニュを丸ごと持っていくわけです。そして食べるときにカットしてハムやチーズをサンドして食べるんですね。
これをあらかじめカットしてサンドして持っていくなんて、せっかくのおいしさが台無しですよ。
特にフランスパンはふつうのパンよりもカットした後水分が飛ぶスピードが早い。レストランでよく焼き直されて出されますが、一度焼いたフランスパンをもう一度焼きなおすというのはラスクも同然です(笑)。
どうしても時間がたってしまったフランスパンをおいしく食べたいのなら、飛んでしまった水分と同じ量の水分を霧吹きでふいて、アルミホイルで包んで温めるといいですよ。このときは200〜230℃の高温で2〜3分がベストです。
β化したでんぷんがα化するというわけですね。

今も趣味でパンを焼いていらっしゃるんですか?

今は群馬の赤城山に作ったパン焼き小屋で、毎日パンを焼いていますよ。もう楽しくて仕方がない。疲れを知りませんね(笑)。
石窯なので、いったん9kgの薪を1時間燃やして温めると450℃にまでなります。400℃に落ちたところでピザやナン、チャパタを焼き、あとは自然に温度が下がるのに合わせてライブレッド、カンパーニュ、北欧パンとその温度に適したパンを順次焼いていきます。この自然な温度の下がり具合と用意したパンの発酵時間がぴたりと合うのが理想なんですね。それを計算しながら生地を仕込んでいく、まさにプロ冥利につきるというものですよ。
煙突から煙があがるのを見て人が集まってくるんです。いつ焼きあがるんですか?予約を入れたい、買いたいと言ってくれる人もいますが、あくまでも楽しみで焼いているので、食べてお金を払いたくなったら入れてください、と言って箱を置いてあるんですよ(笑)。
是非一度遊びに来てください。カレーとナンを用意して待っています。


* 卵や砂糖、油脂が入るリッチなパンにはたんぱくの高い粉が向き、リーンなパンにはたんぱくの低い粉が向く。