東京には、さまざまな坂の街がある。
神楽坂もそのひとつ。パリの坂の街モンマルトルに似たその雰囲気から、日本のプチ・パリとも呼ばれる場所だ。
広い通りから細い脇道にそれ、てくてくと坂道をのぼって行くと、ふと瀟洒な佇まいのパティスリーが現れる。「ル・コワンヴェール」。3年連続で、ミシュランガイド・ホテル部門にも選ばれた、「アグネスホテル東京」直営のパティスリーだ。


都心とは思えない、閑静で緑豊かな場所。ホテルと同じ敷地内に建つ、独立した店舗スタイルになっている


ヨーロッパのプチホテルのような趣がある「アグネスホテル東京」。大人の隠れ家的な雰囲気は評価が高い


ホテルの“洗練”と、木々の緑の“やさしさ”を併せもつ「ル・コワンヴェール」。扉を開くと、そこには、まるでパリのパティスリーのような光景が待ち受けていた。ヨーロッパテイストのインテリアに、ガラスのキャニスターに入った大ぶりのギモーブ、焼立てのヴィエノワズリーもおいしそうに並んでいる。
約1年の開業準備期間を経て、2008年の開店と同時に、シェフパティシエとして迎えられた上霜考二さん。


落ち着いた店内では、ゆっくりと買物を楽しめる。イートインはホテル内のティーラウンジでも可


まずは、パティシエになった理由から伺うことに。子供の頃から、お菓子好きな子供だったのだろうか?
「子供の頃ですか? 全然、ご飯を食べない子供だったんですよ。あまりに食べるのが遅いからって、玄関に正座させられるなんてこともしょっちゅうで(笑)。その頃は、食べることに興味がなかったんでしょうね。ホント、ガリガリでした」
と、明るく笑う。今でもほっそりとした体つきの上霜考二さん。昔はケーキに興味がなかった、というパティシエは少なくないが、食べること自体に興味がなかった、というのは珍しい。
「高校に入って少しは食べられるようになりましたけど、それでも普通の人よりは少なかったと思います」
食に興味がないといっても、それは上霜さんだけ。誕生日にはお手製のバースデーケーキを用意してくれるような料理好きの母親だったそうだ。


外国人客にも人気。場所柄、多くのフランス人が訪れる


そんな上霜さんが、なぜ、パティシエになろうと思ったのだろう?
「なぜか、テレビ番組で見たウィーンの『デメル』に、ものすごく興味がわいたんですよね。今から思うと、それがきっかけだったと思います」
といっても、『デメル』の何が、というわけではないのが面白いところ。逆にいえば、ザッハ、歴史、雰囲気・・・、そのすべてだったのかもしれない。突如、『デメル』に目覚めた上霜さんは、ハプスブルグ家の歴史を読みあさったそうだ。
「それで、高校の終わりには"ケーキ屋になる"と親に宣言したんです」
上霜さんのこの変わりぶりには、ご両親も驚いたことだろう。だが、上霜さんの決意は、まったく変わることはなかった。



晴れて、辻製菓専門学校に入学した上霜さん。とはいえ、まだ食への興味は人より薄かったという。
「実際、この在学中に食べに行ったケーキ屋さんは、2軒くらいでしたよ」
そんな、上霜さんが変わったのは、卒業後に行ったフランス校での生活がきっかけだった。食の本場で洗礼を受けることになったのだ。
「向こうでは、毎日フルコースを食べさせられるんですよ。本当に、しんどかったです」
料理クラスの生徒が実習で作るフルコースは、必然的に他の生徒のお腹に入るという仕組みになっていたのだ。また、教育という面でも、フランスの食文化に慣れるには、まずは胃袋を大きくするという学校側の狙いがあったようだ。
「本当に、みんな太りました(笑)。でも、ここで食に興味を持ち始めたんです。フランス料理は、華やかだしおいしかったので」
本場で受けたショック療法が効いたのか、上霜さんは有名レストランを食べ歩くなど、見違えるほど食に積極的になっていった。そして、食べれば食べるほど、ぐんぐんと興味の幅も広がっていった。


上品で洒落たディスプレイは、さすがホテルといったところ。焼菓子類も豊富なのが嬉しい


フランス校での半年が終ると、次はスタージュが待っている。いよいよ、実際のお店で研修をするのだ。
「ノルマンディのパティスリーで、お店の名前は『パティスリー ゲネー』。日曜日には、オーナー宅での食事に招いてくれるような、とても家庭的な雰囲気のお店でした。“きみも家族の一員なんだから”と言って、本当に温かく接してくれて。今でも、メールをしたりして連絡を取り合っているんですよ」
家庭とはいえ、週末の食事は、アペリティフに始まり、最後はチーズとデザートで締めくくるフルコースのスタイル。そんなフランスの食文化に触れながら、上霜さんはどんどんフランスが好きになっていった。

有意義な研修も終わりに近づいた頃、上霜さんは、信じられないような景色をテレビ画面で目にした。
「日本で地震があったとラジオで聞いてテレビをつけたら、すごい画像が映っていて。戦争が起きたのかと思いました」
日本を震撼させた、1995年の阪神・淡路大震災。しかも、上霜さんの実家は、ちょうど震災の被害が大きい西宮にあった。
「急いで自宅に電話をしたら、奇跡的につながって。家は半壊しましたが、家族は全員無事でした。しかも、幸いなことに、自分の友人や知り合いはみんな無事だったんです」
家族の無事を知り、最後まで研修を終えて日本に戻った上霜さん。だが、その時もまだ、実家は住めるような状態ではなく、家族は父親の実家で生活していた。
「本当は、帰国後、神戸で働きたいと思っていたんです。でも、震災の直後だけにどこにも働き口がなくて」
そして、上霜さんは東京に出ることを決めた。


夏場に人気のヴェリーヌ。モダンなものから、“アグネスシュー”や“フレザリア(ショートケーキ)”のような定番アイテムまで、幅広いラインナップ


「ずっと、働きたいと思っていたのがホテル。理由は、たくさん人がいて、その分、たくさんの人に触れられると思ったからです。でも、結局それは自分次第なんですけどね」
竹芝の「インターコンチネンタルホテル 東京ベイ」では、気の合う同期に恵まれた。だが、もっと自分の技術に自信をつけたいと考え、「オテル・ドゥ・ミクニ」のパティスリー「マダム・ミクニ」へと移る。

「マダム・ミクニ」では、ちょうど四谷本店のシェフに寺井さん(現「エーグルドゥース」シェフ)、本店スーシェフに藤川さん(現「ラ・スプランドゥール」シェフ)がいた。上霜さんは、本店、横浜、上大岡の3店舗を周りながら仕事をこなしていった。
「寺井さんにはもちろんですが、藤川さんにも、色々な影響を受けました。実際、藤川さんにはたくさん勉強させてもらいました」

次に移ったのは、知り合いに誘われて入ったアルバイトでの「キハチ」。
「アルバイトの立場とはいえ、ここでは清水さん(現「セ・ラ・セゾン」シェフ)に色々教えてもらい、大変よくしてもらいました。それまでとは違って、作る量が多いんですよね。初めて、同じケーキをラック1本分仕込む、という経験もしました。実は、ショートケーキを作ったのは、この時が初めてだったんです。ここでは今までにない辛抱強さを学んだと思います。全ての経験が、良い勉強となりましたね」
また、時間的な余裕ができたことも、キハチ時代の恩恵のひとつだ。
「たくさん食べ歩きました。ケーキも、1日に5軒位周ったりして。食べることに関して、とても充実していました」


見た目の華やかなケーク類は手土産にもぴったり


キハチに入った理由もそうだが、とにかく知り合いの人の名前がよく登場する。お店を移るのも、誰かが上霜さんを紹介したから、ということが多いようだ。肩肘張らずとも、なぜか自然と道が開けていく感さえある。
「今までずっとそうなんです。本当に、周りの人に恵まれているんですよ」
フランス「パティスリー ゲネー」での出会いはもちろん、話を聞いていると、人との出会いが上霜さんをここまで運んできたようにも聞こえる。

そして、再び、「マダム・ミクニ」時代の先輩であった藤川さんが登場する。場所は、渋谷「ネプシス」(現在は閉店)。当時、シェフをしていた藤川さんに、ここではみっちり仕込まれた。
その後は、寺井さんのすすめで、シェフとして「パティスリー・ジャン・ミエ・ジャポン」に迎えられることに。上霜さんにとっては、初めてのシェフ職。その際、寺井さん言われたことがあるという。
「『最初に行って、最後に帰れ』と」
新しいメンバーたちにシェフとして認められるため、上霜さんは、その言葉通りにした。朝一番に行き、みんなが帰るのを見届けてから、深夜帰路につく。その姿を見て、少しずつ若いスタッフたちも上霜さんに一目置くようになっていった。時間をかけ、信頼関係のあるチームワークが出来上がっていった。だが・・・
「かなり疲れてたんでしょうね、作業中にケガをしてしまって。このときは、お願いだから、いい加減休んでくれ、と言われてしまいました(笑)」
一見漂々として見えるが、芯には実直さと細やかさを秘めている。そんな、上霜さんらしいエピソードだ。


パーティやウェディングの引出物としても好評のギモーブやマカロン


「パティスリー・ジャン・ミエ・ジャポン」では、仲間に恵まれ、コンクールにも出品するなど、充実した日々を送っていた上霜さん。だが、5年が経った頃、移転の話が舞い込んだ。移転となれば、もう一度チームを作り直すことになる。築き上げた信頼関係を前に、上霜さんは悩んだ。
そんな折、「アグネスホテル東京」から声が掛かった。フランス人も多く住む東京・神楽坂にあるこのホテルは、プライベート感ある独特な雰囲気で、外国人ゲストからの評価も高い。この都心のホテルが同じ敷地内に新しくオープンさせる、パティスリーのシェフという恵まれた条件に、上霜さんは決意を固めた。


落ち着いてケーキをいただくことができる、ホテル内
のティーラウンジ。宿泊客にも好評だそう



ノルマンディ「パティスリー ゲネー」に始まり、様々な特徴の店で経験を積んできた上霜さん。どんなふうに自分のカラーを出していこうと考えたのだろう。
「考えているのは、当たり前すぎないようにということ。ギモーブだったら、“ライムとパセリ”“赤ワインとオレンジ”というように、見た目や味、食感などに、特徴のあるものを作りたいと思っています。自分らしいものを作ることで、自分の店のクセというか個性が出ると思うので」
時には奇抜、と思えるような素材にも挑戦する。“クスクス・フレーズ”はなんと、あの“クスクス”を使った一品。オープン当初からのアイテムで、徐々にファンも増えているそうだ。


クスクス・フレーズ ¥600。意外だが、たっぷりの苺のソースでいただくクスクスは斬新なおいしさ。湿気ないよう、丁寧にホワイトチョコレートでコーティングしたクランブルがアクセントになっている


「他人がやらないことをやりたい。でも、この“クスクス・フレーズ”はスタッフの間でも賛否あるんです。確かに、シンプルな味だったらずっと食べられる。でも、個性がわかるようなものを、あえて作っていきたい、そう思っています」

“人に恵まれているんですよね。ありがたいことだと感謝しています”
上霜さんの言葉がよみがえる。それは“運”かもしれない。だが、人を信じることのできる上霜さんが引き寄せるものでもある、そんなふうに感じた。



季節は夏。ホテルを出ると、セミの鳴き声が青空に響き渡っていた。
東京の真ん中に、ふと心が安らぐ場所。
アグネスホテル東京 「ル・コワンヴェール」もそんな場所になっていくに違いない。






アグネスホテル東京 ル・コワンヴェール
住所 東京都新宿区神楽坂2−20−14
TEL03-3513-7612
FAX03-3513-7613
営業時間10:00〜20:00
定休日毎週月曜日(祝日の場合は翌日)




※このページの情報は掲載当時のものです。現時点の情報とは異なる可能性がございますのでご了承ください。