武蔵小山駅前の賑やかな商店街を抜けた先にある「ロラソ」は、フランス国旗のトリコロールと洒落たブルーグリーンの外観が、パリを感じさせるブーランジェリー。ガラス越しにはバゲットやクロワッサンなどが見え、まさに東京のパリといった趣だ。

いかにもパリの街角にありそうな、
エレガントで洒落た印象の「ロラソ」



奥様の明子さんは日本人。パティシエでもある明子さんとローランさんの2人で、「ロラソ」を切り盛りしている。

シェフのムノ・ローランさんと、
パティスリーを担当する奥様の明子さん



最近、フランス人が日本で店をオープンするケースは珍しくないが、ローランさんの場合はちょっと変わっている。実は、パン職人として日本に来たのではなく、日本に来てからパン職人になったというのだ。
「最初はフランスで飛行機のエンジンを直す仕事をしていたんです。その頃から、食いしん坊で食べることにはずっと興味があったんですけどね」
と、ローランさん。発音が美しいなめらかな日本語が印象的だ。

高校を卒業してから約4年。ローランさんは、飛行機のエンジニアとして過ごしていた。
「そのうち、やりたいことはこれじゃないと感じるようになったんです。どうしようかと色々考えました。そして、フランスから出たい、もっと色々なものを見たいと思うようになりました」
では、どの国に行こうかと考えて、候補に挙がったのが日本とイギリス。イギリスはフランスから近いので魅力だったが、当時からお付き合いしていた明子さんの存在もあり、バカンスを利用して日本に行くことになった。

「日本の印象? 楽しそうだし、住みやすそうだと思いました」
日本、中でも東京の雰囲気が気に入ったローランさんは、フランスに戻ると、すぐにエンジニアの仕事を退職。意気揚々と日本にやってきた。住みやすくて便利な東京の生活。だが、ひとつだけ困ることがあった。
「おいしいパン屋さんがなかったんです」
食いしん坊のローランさんにとって、これはなかなか深刻な問題。フランスの味に近いパンを探すうち、ついにローランさんの目にかなう店が見つかった。そして・・・
「たまたま空きがあったんです。ちょうど仕事を探していたので、その店で仕事を始めることになりました」

パンのラインナップは、ハード系やヴィエノワズリーのほか、カスクルート。白を基調にした明るい雰囲気が心地よい


いくら毎日パンを食べるフランス人といっても、作ることに関してはまったくの素人。そう簡単に作れるものではない。当然のことながら、販売スタッフとしての仕事だった。
「でも、販売の仕事は面白くなかった。だから、少しずつ中へ入っていきました」
中というのは厨房のこと。販売の傍ら、ブザーの音が聞こえると素早く厨房に行き、窯からパンを出すなど、ジワジワと作る仕事へと近づいていった。
「しばらくしてから、パンを作る仕事をしたいと頼んだんです」
販売の仕事の後でならと、条件付きでOKをもらったローランさん。仕事が終わると厨房に移り、パンを作る仕事を手伝って、その技術を自分のものにしていった。仕事量が増える上、未経験のため無給だったが、パン作りはたちまちローランさんを魅了した。
「あ、これだ!とすぐに感じました。最初から、自分に合っているとわかったんです」
そして、パンへの情熱はさらに高まっていく。そのうち、せっかくだったらフランスでパンを学んだ方がいいのでは?と感じるようになった。

ハード系に慣れない方むけにと、パンドゥミーなどのやわらかい食感のパンもラインナップ。少しずつ、バゲット、ライ麦パンというふうに慣れていってほしい、とローランさん


そして、3年後。パン職人としてひと通りの技術を身につけたローランさんは、明子さんと共に故郷パリへ。パンの本場で改めて修業に取り組むことになった。
パリでの修業先は、かつての職場と同じ系列の店。だが、同じ店といっても、日本とフランスでは大きな違いがあったそうだ。
「大幅に違うのがタイミングの感覚。日本ではすべてタイマーで管理しますが、フランスは勘が頼り。タイマーはありません」
タイマーより勘というのは、いかにもフランス人らしい。厨房に入ったことのない方はピンとこないかもしれないが、日本の場合、たとえばミキシングの際の1分、2分といった短い時間でもタイマーが欠かせない。発酵の時間は言わずもがなで、厨房のあちこちにタイマーが置かれているのだ。
「生地の状態は、天気や気温によっても変わる。だから、粉の吸水も、今日は66%でOKでも、明日は67%かもしれない。そういうことにも勘が必要になるんです」

フランスのパン屋に欠かせない、パン・オ・レザンやパン・オ・ショコラなどのヴィエノワズリー系。ブリオッシュ生地を使ったものもあり、甘いものが充実している


そんなフランス人流のパン作りは、当然ながらローランさんにも合っていた。決められた短い労働時間のあいだノンストップでパンを作り続け、終業時間が来たらプライベートを楽しむ。そんな、オンとオフのメリハリがあるフランス流の仕事スタイルも性に合っていた。それほど居心地のいいフランスに、このまま居ようとは思わなかったのだろうか?
「確かに、あのままパリで店を開いていても、かなりいい店になったと思います。でも、帰りたいとはぜんぜん思いませんでした」
パリでの修業の間、明子さんは「ル・コルドンブルー」に通いパティスリーを勉強。2人の夢は、あくまで日本でパン屋を開くことだった。
そして2年が経ち、再び日本へ。かつての職場に戻ったが、心はすでに店を開くという夢に向かっていた。

中央にディスプレイされているのは、明子さんが作る焼菓子類。ケークやマドレーヌなど定番が並ぶ


実現に向け、物件を見て周りはじめたローランさん。武蔵小山のこの場所に立つと、たちまちイメージがわいてきたという。家に帰るとすぐに鉛筆を手に取り、青写真を書き上げた。
「元々住んでいた場所の近くだったし、大家さんがとても良い方だったので」

店の中に飾られている当時のデッサン。
ローランさんは絵も趣味だという



デッサンのイメージを元に、明子さんの好きな“青”とローランさんの好きな“緑”の中間色を使った店舗は、パリの街角にありそうな洒落た雰囲気に出来上がった。パンももちろん、ローランさんが慣れ親しんだフランスの定番をラインナップしている。
「フランスの味を出したいと思っています。レシピはもちろんオリジナル、自分の味です」
味作りのポイントのひとつが天然酵母。酸味を控えた2種類を使用する。どんな酵母かと聞いてみたが、「それはヒミツ」と、茶目っ気のある笑顔で返されてしまった。
そして、粉。フランスの味、というからにはフランス産小麦を使っているのだろうか?
「いいえ。日本で一般的に出回っているパン用の小麦粉を使っています。フランス産を使えば簡単にフランスの味になる。そうではなく、普通の粉でフランスの味が出せるような、ブレンドの方法や割合を考えているんです」


“厳選した小麦粉をベストな配合で作り上げた”
というローランさん渾身のバゲット



こだわりと職人の勘がいきたローランさんのパンは、正統派のハード系ながら意外にも年配の方に人気があるという。
「年配の方は、噛むほどに味が出ることを知っているんでしょうね。小さい子供も同じで、ハード系が意外に好評なんですよ」


ライ麦を使った食事パン「パン・アール 1/2 (\310)」。噛むほどに味がでる、お子さんにも人気の一品


そして、もうひとつの渾身の作が、手折りクロワッサンだ。
「最初はシーター(生地を薄く伸ばす器械)を置かなかったんです。以前に手折りで作ったことがあったので、シーターを使わなくても大丈夫と思っていたのですが、実際はすごく大変でした。手で伸ばすので量に限界があり、数をたくさん作るのにとても時間がかかるんです」
シーターを使えばあっという間の作業だが、麺棒で伸ばすとなると膨大な時間と手間がかかる。一度に大量の生地を伸ばすことができないため、とにかく、伸ばしては折る作業を何度も繰り返さなくてはいけないからだ。それにもかかわらず、ローランさんは、クロワッサン20個、パン・オ・ショコラ10個、パン・オ・レザン10個分の生地を毎日、毎日仕込んでいた。さすがに、職人仲間にも呆れられたそうだ。
「本当に大変だったので、最近シーターを買いました。でも、手折りの方が断然おいしい。レシピは同じですが、味も食感も違うんです」
ローランさんによれば、手折りだと、麺棒で伸ばす際に生地とバターが良い具合に馴染むのだそうだ。予約注文だけでなくなってしまうという、その幻の手折りクロワッサンは、温度や湿度が高いと作れないので現在はお休み中。秋からの再開が今から待ち遠しい。

シェフ曰く、「これも幻に近づいている」という定番のシーター折りクロワッサン。ツヤのある焼き色がおいしそう!どうしても手折りを食べてみたい方は、秋以降の予約がおすすめ


「2人で店を開くという夢は叶いました。今はとにかく、日本で、日本の人に、フランスの味を教えたい。フランスのパンはこんなにおいしいよ、と伝えたいと思っています」
現在、パンの種類は23種ほど。飽きっぽい日本人のために、月に1回の新商品も欠かさない。


このときの新商品は「洋なしのデニッシュ」。お客さまの声に応え、期間終了後に継続する場合もあるそう


ところで、ずっと気になっていたのが、ちょっと変わった響きの「ロラソ」という店名だ。
「日本に来たばかりの時、カタカナの“ン”と“ソ”の書き方が難しくて、いつも自分の名前を“ローラソ”と書いていたんです。そのときの気持を忘れないようにしたいと思って店の名前にしました」

日本で味わう、フランスを目指して。
「ロラソ」には、ローランさん夫妻の夢と希望が込められている。
(2011.6) 






ブーランジェリー ロラソ
住所 東京都目黒区目黒本町3-3-2
TEL03-3713-6620
営業時間10:00〜19:30
定休日月曜と第1・3・5火曜
アクセスJ東急目黒線 武蔵小山駅徒歩4分
その他 http://rolaso.net




※このページの情報は掲載当時のものです。現時点の情報とは異なる可能性がございますのでご了承ください。