木々が鮮やかな緑に色づき、温かい陽気に心がなごむ季節。 志賀シェフによるパン講習会の興奮も冷めやらぬ4月20日に、お菓子好きはもちろん、パン、料理界にも熱烈なファンを持つ、「リリエンベルグ」横溝春雄氏による講習会が開催されました。
夢のあるケーキや焼き菓子のおいしさはもちろん、折に触れ、横溝シェフのお菓子作りに対する温かくも情熱的な姿勢に触れているパナデリアは、当然ながらシェフの大ファン!今回の講習会は“リリエンベルグファンの皆さんに、この感動を伝えられたら”という、パナデリアの長年の夢でもあったのです。



お菓子好きの永遠の憧れ 横溝春雄シェフ


Web上で募集を開始すると、瞬く間に定員の30名をオーバー!人気があることは想像していましたが、この勢いには驚くばかり。皆さんのメールから、“どうしても参加したい”という思いが伝わってくるようでした。やむを得ずお断りしてしまった皆さん、本当に申し訳ありませんでした。

さて、当日の会場となったのは、日本製粉東武技術センター。開始時間の午前10時を待たずして、早い人はなんと9時前から会場入り、その後続々と参加者が集まります。


狭き門をくぐり抜けた参加者たち



そして会場のバックヤードでは、横溝シェフが、一人淡々と試食用のケーキ作りを始めていました。

「パナデリアさんの講習会だから、皆さんがたっぷり食べられるように用意しないとね」

次々と手際よく出来上がっていく生地から、芳しい香りが漂います。


「メレンゲの立て方にはコツがあるんです」と横溝シェフ



そして10時。緊張と興奮の中、いよいよ講習がスタートしました。
今回のテーマは、伝統的なウィーン菓子。王道のザッハトルテを始め、優雅なカーディナルシュニッテン、そして焼き菓子ブール・ド・ネージュの3品です。


いよいよ開始!


まずは、ザッハトルテから作業開始。すると、横溝シェフがおもむろに何かを取り出します。なんとそれは、レーザー式の温度計でした。

「今、室温は22℃。メレンゲ、バター、チョコ・・・、それぞれの温度が室温と同じ位になるようにして下さい。リリエンベルグでも作業場の温度は常に気にするようにしています」

リリエンベルグにデジタルな機器は似合わないような気がしますが、講習会中ずっと横溝シェフが傍らに置いていたのがこの温度計でした。


“ピッ”とレーザーを当てると瞬時に温度が測れる優れもの


「温度計はよく使います。リリエンベルグでも、いつもと同じ作業をしているはずなのに、上手くいかないということがあるんです。これには、バターやチョコレート、そして卵の温度が違うことも理由のひとつ。材料の温度が違っていると、どうしても生地が馴染むまでに混ぜる回数が増えてしまいます」

そう説明しながら、ミキサーボウルに温かいタオルを巻いて温度調節をする横溝さん。リリエンベルグでは、均一な品質を保つため、ボウルで生地を合わせる回数まで決めているとのこと。その人が一番上手くできた時を基準にするのだそうです。


湯煎用のお湯は常に用意しておきます


「このザッハトルテのレシピは、デメルでの修業時代のもの。向こうのは、かなり重たい生地ですね。本来は、グラニュー糖とバターをすり混ぜて作るのですが、グラニュー糖は小さな結晶なので、いつまでも溶けずに残ります。私も最初はそうしていましたが、今はグラニュー糖を粉糖に置き換え、生地がふわっと上がるようにしています」

ウィーンの伝統を誇るザッハトルテ。その基本をしっかりと守りつつ、日本人の味覚にあったものにする、それこそがリリエンベルグの魔法です。

「そうそう、ホイッパーのこういう所にチョコレートがついていると、後で生地を混ぜたときに、チョコの筋が残ってしまうんですよ」

確かに、ホイッパーの上の部分には、生地と混ざらないチョコレートがついていました。こんな、細かい気配りも美味しさには欠かせない要素なのでしょう。


ちょっとした気配りがおいしさの秘訣



ところが、今度はメレンゲを加えたやわらかい生地に、小麦粉を一度に加えます。一見、さきほどとは矛盾した荒っぽい入れ方に見えるのですが・・・。

「乱暴に見えますが、粉は意外に水分を吸収しやすいもの。だから、なるべく早く加えた方が良いんですよ」

どんな作業にも、ちゃんとした理由があることを改めて思い知らされたような気がします。焼成の際も、天板に接した底の部分が熱くなりすぎないよう、新聞紙を3枚ほど敷き、さらに天板を2枚重ねてオーブンへ。


ふんわりツヤヤカに仕上がりました


「焼きあがったら、型ごと“バンッ”と下に落としてください。こうすると、中央の焼き沈みが防げますから」

せっかくのフワフワ生地に衝撃を与えるなんて逆効果のように感じますが、ぜひ一度試してみてください!





次は、枢機卿(カーディナル)の名を冠したカーディナルシュニッテン。フワフワのメレンゲ生地に、コーヒークリームを挟んだケーキです。

「これは、少し難しいですよ。メレンゲと焼き方が問題で、実は店でも失敗が多かったケーキです」

そう説明しながら泡立てたメレンゲは、見事なツヤときめ細かさ!さて、このメレンゲを絞り出していくのですが、ここにも秘密兵器が登場です。

「今まではメレンゲを絞った上に、もう一段絞って高さを出していたんです。でも、すべりやすく、ちょっとしたことで倒れてしまうので、特別にお願いして作ってもらったんですよ」

そう言って見せてくださったのは、長いカマボコ型のような変わった形の口金。これだと一度で高さのあるメレンゲを絞ることができるという優れもの。


きめ細かく、しっかりとしたメレンゲを作ることが最大のポイントです


「家庭で使いたいという場合は、大きな丸口金をペンチで加工すれば似たようなものができます」

と横溝さん。ふっくらとした食感のためにマドレーヌの型を特注で作ったり、日本人には馴染みの薄いウィーンの揚げ菓子シュネバーレンは小ぶりの型を作ったりと、本当のおいしさを楽しむためには労を惜しまない横溝さんならではのアイテムに脱帽です。


オーブンの調整もカギ!
扉を少し開け、蒸気を抜きながら焼きます







続いては、ブール・ド・ネージュ。バター、砂糖、小麦粉にアーモンドを混ぜたポピュラーなクッキーですが、ここにも秘密がありました。
取り出した生地を乗せたのは、マーブルやステンレスの台の上ではなく、木の板の上。バターを使った生地だったら、冷たいマーブル台を選びそうですが・・。


木は冷たくないように感じますが・・・


「この木とマーブル台を触ってみてください。どちらが冷たいですか?」

と質問する横溝さん。当然ながら、マーブル台の方がヒンヤリしています。

「では、測ってみましょうか」

すると、どうでしょう。なんと、木もマーブルも室温と同じ22℃なのです。

「実際、どんなものも室温と同じ温度なんです。マーブルやステンレスのように冷たいと感じるのは、手の熱を奪われてしまっているから。パイルームのように室温の低い部屋なら良いのですが、普通の温度でマーブルを使うと、逆に生地がだれてしまうので気をつけてください」


キレイに丸くなりました!
横溝さんは一度に2粒丸めるそうです


そういって、木板の上で生地を捏ねる横溝さん。まさに、目からウロコの新事実でした。常識にとらわれることなく、本質を見極める。そんな横溝さんの力量がここにも現れているように感じました。


温かいうちに、たっぷりの和三盆糖をまぶすのがリリエンベルグ流
(ばいこう堂のさぬき和三宝糖を使用)




そして、いよいよザッハトルテの上にかけるザッハーグラスイユールに取り掛かります。 このチョコレートの特長は、シャリシャリッとした食感。ザッハトルテの要となるパーツだけに、参加者たちの期待が高まります。


大量のグラニュー糖!加える前はかなりサラサラとした状態です


「沸騰した湯にチョコレートを入れ、すっかり溶けたらグラニュー糖を加えてください。溶ける前にグラニュー糖を入れてしまうと、それ以上チョコレートが溶けなくなってしまいますから」


かなり煮詰ってきました




時々、指に取り、人差し指と親指を合わせて粘度をチェック。粘度が強くなり、糸状のチョコレートが切れないくらいになったら、完成です。


細い糸が見極めのポイントです


そして、木板の上に少量取り、勢いよくパレットナイフで左右に刷りまぜます。横溝さんの究極の技をこんなに間近で見られるとは!力強くリズミカルな手さばきを、固唾をのんで見守ります。

「こうしてグラニュー糖の結晶を作ったら、鍋に戻します。鍋の上にうっすらと膜が張るくらいまで、何度か繰り返します。簡単にする場合は、シロップが110℃になったら一つかみの粉糖を加えること。こうすると、誘導結晶がおこり、全体に細かい結晶ができるんです。ちなみに、ザラメのような大きな結晶を加えると、ジャリジャリと大きな結晶ができますよ」

職人の勘というべき作業も、実はこんな理論に裏付けられているものだとは驚きです。ちなみに、リリエンベルグではこの方法はNG。あくまで、ザッハーグラスイユールをマスターしたスタッフだけに、この方法を教えているのだそう。


鮮やかなパレット使いは今日一番のハイライト!


「ザッハトルテは日持ちがすると言われているけれど、リリエンベルグの場合は違います。前日に生地を焼き、翌日仕上げをして販売しますが、やはりカット面から香りが逃げてしまうんです」

ザッハーグラスイユールが完成したら、ザッハーマッセにアプリコットのジャムを塗ります。
このアプリコットジャムももちろん、横溝さんのお手製。そこで、フルーツ使いの秘訣を伺ってみると。


水分が表面に出ないよう、しっかりと煮詰めたコンフィチュールを塗ります


「杏は毎年7月に長野県から400kgほど送ってもらっています。フルーツは収穫後すぐが一番おいしいので、届いたらその日のうちに種を取り、密閉して冷凍しています。それから、コンフィチュールを作る場合ですが、煮詰めている間に香りが飛んでしまうのが難点。そこで、例えば日向夏の場合、5分間煮て糖度が48%になるように砂糖を調節しています」

「焼き菓子、コンフィチュールも、うちの場合は日持ちしないんですよ」

と笑う横溝さん。簡単さや便利さではなく、何事もまず“おいしいこと”を大切にする。その姿勢がこんなにも私たちを惹き付けるのでしょう。


まるで鏡のよう!周りが写りこんでいます


パナデリアスタッフお手製のランチ


主宰三宅特製のローストビーフが大人気でした





作業は順調に進み、すべてのお菓子が完成。いよいよ、お待ちかねの試食タイムです!
パナデリアの試食会の醍醐味は、シェフと一緒にそのお菓子を楽しめるというところ。目の前には今できたばかりのケーキ、そして前には横溝シェフ!これ以上の贅沢はありません。


ザッハトルテ
丁寧さが伝わるきめ細かい生地は、ふんわり、そしてしっとり。口の中でスルスルと溶けていく繊細さは、横溝シェフならではのものです。間のジャムにはフレッシュなアプリコットの味わいがあり、単調になりがちなチョコレートの味わいに清々しさを与えています。そしてそのすべてを非凡なものに仕上げてくれるのが、ザッハーグラスイユールの存在。ほどよくシャッた食感が絶品です!



カーディナルシュニッテン
フワフワだけれど弾力のあるメレンゲ、そして口いっぱいに広がる卵の香り!湿気に弱く繊細なメレンゲが主役になっているだけに、これ以上、出来立てがおいしいケーキはないかもしれません。間のコーヒークリームは、ごくゆるめに泡立てた生クリームにゼラチンを入れたもの。キャラメルが加えてあるせいか、コーヒーの風味が強すぎず、甘みにもコクがあります。



ブール・ド・ネージュ
コロコロとしたかわいらしい形。そして、たっぷりとまぶした和三盆糖の旨みとコクに、心がほっと和みます。生地に入れる砂糖を控えているため、甘さのバランスもぴったりです。また、強力粉を加えているので、生地はザックリと硬めの食感。しっかりとローストしたアーモンドが香ばしく、やさしさの中に力強さを感じる焼き菓子です。




和やかなムード。質問やお菓子の話に花が咲きます




プロ向けの講習会ではないのに、その技術を余すところなく披露し、様々な質問に答えてくださった横溝シェフ。後日、その感動の強さを示すかのように、参加者の方たちからたくさんのお礼のメールをいただきました。
その中には、「さっそく作ってみました!」という写真付きのメールから、「久しぶりにクラシックをかけてお菓子と共にウィーンに浸ります」というものまで様々。皆、刺激を受け、それぞれのスタイルで余韻を楽しんだようです。



「お菓子屋さんは幸せを売る仕事」
リリエンベルグを訪れると、そんなふうに感じる人も多いでしょう。
お菓子のおいしさに幸せを感じるのはもちろんですが、作り手の横溝さん自身の人柄がそのお菓子に現れているからなのだと実感しました。
横溝さん、どうもありがとうございました!