於:中国・上海 Everbright Convention Center 2002年5月15日(水)〜17日(金)



今回パナデリアは、"櫛澤電機製作所"の澤畠さんの力を得て、このイベントに参加することができた。櫛澤電機の出展ブースで、常時"パンステージ プロローグ"の生中継をインターネットで流す・・という企画に、コンピューターのプロ(のつもり)の我がスタッフがアドバイザーとして参加したからである。この「Bakery China」という国際的なイベントに参加させていただき、会場の雰囲気、そして上海のパン屋さんケーキ屋さんを探索して感じたことを報告いたします。




展示会場にて

会場の「Everbright Convention Center」前には、開場時間を待たずしてたくさんのひとだかりが…。この様子を見て、まず感じたことは、皆が「情報に飢えている」のではないか・・ということ。そんな感想を持ちながら、会場に入り、人だかりの中で見学をしていると、気がついたことが。「名刺が命」。必ず皆が束のように名刺をたくさん持ち歩いている。パンフレットや説明を聞く際には、名刺の交換をまず。名刺がないとパンフレットはもらうことができない。横で肩書きを見ると、ほとんど総経理、これは日本でいうと社長にあたる。本当にこんなにたくさんの会社があって、みんな社長? 。


それはさておき、さきほどから妙に匂いが鼻につくな・・と気になる。これはコンパウンドクリームの匂いだ。会場全体が人工的な香料の香りで満たされている。もちろん、それを望む市場がある限り、それが悪いこととは思えないが、日本人である自分たちにとっては、あまり「いいものの匂い」とは言えないところが悲しい。ケーキ職人のエキビジョンでは、昔懐かしい妙にきれいに仕上がるコンパウンドクリーム、そして色素の色も毒々しい飾り。試食品を口に運ぶと、やはり自分が小さい頃のクリームの味。ずいぶん大人になるまで、「バタークリーム(本当はバターでないが)はまずいもの」と思わせていたあのクリームだ。かといって、決して上海の菓子市場が、日本の30年前のものだとも、遅れているとも思わない30年後の上海のお菓子が、今の日本で私たちが食べている味になるとは思わないからだ。 これは、きっと文化の違いなんだと思う。それが証拠に、このフェスティバル会場に出展している菓子道具、機械など、どれも最新のものだ。ただ、香料、バターなどが、日本の感覚と違うものが横行している・・と思うだけで。それにしても、日本だと小さい顔していなければいけない、添加物が大きい顔して並べられていたのが印象的だった。



        

  


もう一つの気づいたことは、ケーキ感覚で「月餅」が飾られていたことだ。オートメーション機械にはゲッペイ連続製造マシーン、ゲッペイ餡の製造機械、包装関連がほとんどゲッペイを入れる容器や箱オンパレード。中国菓子の代表選手は昔も今も変わってないようだ。
←げっぺい


パンは、フランス、ドイツ、台湾もちろん日本からの出展があったが、製造ラインはほとんど日本で紹介されているものと同じであった。材料や形フィリングなどがやはり独特のもので、これから開拓の余地ありという感じであった。試食を端からして回ったが、粉っぽかったり、焼きが充分でなかったり、マーガリン独特の香りが鼻をついた。意外に生地はほとんどリッチなものが多く、ふわふわで甘さのあるものである。これでフランスパンの形に成形されていたものもあった。しかし、着実に中国の市場は、パン、菓子、ケーキという新しい食文化をとりこみ、自分達の風土に根ざしたものを作りつつあることを実感した次第である。食大国、中国。




上海の町に出て・・・






ちょっと、市場調査を・・などと外に出て、今の上海を見て思ったこと。実は以前8年ほど前にもこの街を訪れたことがあるのだが、その頃と比べてこの街はガラッと変わった。高速道路が未来都市のように上にのび、地下鉄が走り、街には高層ビルが建ち並び、以前多かった自転車の変わりに、今では車の洪水が・・。人々の服装も良くなり、乞食ですらきれいな服を着ていたのにはビックリ。もちろん、貧富の差が激しいと言うことも忘れてはいけない事実だが。

そんな上海で、今回、まわった何軒かのパン屋は、わりと高級なパン屋のようだ。『可頌坊』(音読みするとクロワッサンらしい)の店内にはケーキも並び、売り子の女の子もかわいい制服。しかし肝心のパンは・・というと、イーストをたっぷり使って短い時間で発酵させたな・・というのが、ありありとわかるような顔。そして、日本でいうところの"でんぶパン"のようなパン。これは普通のコッペパンのようなパンの上に五香粉のような香りのついた肉でんぶがのっているもの。肉でんぶがパンの上に上手にのっているのは、間にマヨネーズのようなものが塗ってあるからだ。しかしこのマヨネーズ状のものが恐ろしい。まるでラードで作ったポマードのよう。甘くも辛くもない、うーーん??? この"でんぶパン"、どうやら上海では人気らしく、ほとんどのパン屋でお目にかかったツワモノだ。
『可頌坊』

←でんぶパン





次に行った『マルコポーロ』、これはおしゃれなデパート「太平洋百貨店」の地下に入っている台湾系のパン屋で、上海でも何軒かある人気店。ここは、めずらしくハード系のパンが充実していた。とはいえ、まだまだ焼きがしっかり、固い・・というまでには至らないようで、フランスパンも中の生地はフワフワだった。同じく太平洋百貨店の地下にある『SHANTEL』これも台湾系のパンとお菓子を売る店だ。ここでは、苺大福を発見。その他、今人気の「新天地」という場所にある、日本のパン屋『PAO's』などにも足を運んでみた。ここは日本人がやっているだけあって、私たちにも安心できる味。上海人もけっこういたので、味覚の違いもそうないはず…と思うと、他のパン屋、菓子屋で食べたものがどうなるのか、頭がくらくらしそうになったのも事実である。その他、ちょっと高級そうな菓子屋、『Christine』など何軒かの菓子屋をまわったが、ケーキの色使いのすごさ、デコレーションの奇抜さにびっくり。でもこれはかえって中国らしくていいな・・と思うところでもあるのだが。


『マルコポーロ』


『PAO's』

『Christine』


おまけ。櫛澤電気製作所、上海出向顛末記





櫛澤電機さんには怒られるでしょうが、実はこれが一番書きたかったこと。櫛澤電機製作所が上海の日本企業へのサポートを専門としている会社と組んで、上海で石窯の製造販売を始めることになった。そのために、現在櫛澤電機からプロの職人たちが、現地の人間の指導に行っている。その櫛澤電機製作所の職人である鈴木さんと中田さんに、上海での苦労話を伺った。

鈴木さんたちが働いているのは松江工場。(松江は上海からバスで2時間ぐらいの郊外です)雇っているのはもちろん中国人の工員たち。とにかく口答えはする、あやまらない・・で、鈴木さんたちも頭が痛いそう。その上、仕事が雑。窯を作っている上で2、3ミリのずれはあたりまえ。(・・では、困るのですがね。本当は)
そして、鈴木さんたちが暮らしているのは、そんな工員たちと同じ寮。そこでは、トイレがひとつしかなく、気のやさしい鈴木さんたちは、トイレの順番待ちばかりで、なんと便秘気味になってしまったそうだ。実は鈴木さん、中田さんともけっこうなお年なのですが、そんなお二方でも、上海での食生活のせいで、日本に帰ったら急にステーキが食べたくなったそう。そう、上海というのは、あまり牛肉を食べないのだ。寮の近くのおばさんが作ってくれるまかない飯は、ごはんだけは美味しいものの、魚は骨だらけだったり大変なもの。先月、一時日本に戻った時には、普段食べないカップヌードルを買い占めてきたそう。でもそのカップヌードルもあっというまになくなり、その上、こんなうまいものはない!・・と思ったそうだ。
こうやって書いてみると、どうってことないような話だが、実際に鈴木さんたちのお話を伺っていると、申し訳ないんだけど楽しくなってしまう。ご本人たちの苦労ははかりしれないとは思うものの、几帳面な日本人と、決して悪気ではないんだろうが、中国人の気質との違い。そしてその苦労を楽しそうに話してくれる、中田さんたちの姿から、本当に彼等の技術と苦労が中国のパン市場の底辺を支えていくことに間違いないことを確信した。

左から、
中田さん、鈴木さん、澤畠さん

「櫛澤電機製作所、上海顛末記」は、もっともっとおもしろくなりそうな気がする。続きはたぶん、櫛澤電機の澤畠さんが書いてくれるだろう。(笑)