『大岡山に、またおいしいパン屋さんがオープンしたらしい』・・・そんな話を聞きつけて、早速大岡山に向かった。濃厚なまでの粉の旨みを、ぐいぐいと残すバゲットの余韻。びしっと焼き込んだその表情から、芳ばしい薫りが申し分なく広がる。厚みのあるクラストに、しっとりと水分を抱き込んだロッゲンミッシュブロートは、目が覚めるようなくっきりとした酸味。ガリガリッと力強い食感のクッキー生地で覆われた、“メロンメン”という名のメロンパン。
ひとつひとつの個性と味わいが、記憶に足跡を残す。バゲットにドイツパンに、メロンパン。いってしまえば、どれも珍しいパンではない。しかし、それらは食べ手に新鮮な驚きと強い印象を与えるものだった。
主張するパン。物言うパン。「いったいどんな人が作っているのだろう?」、自然と興味が沸いた。

大岡山駅より、徒歩3分。賑やかな駅前を通り抜けると、青と白の外壁が目に飛び込む



その店の名前は「HIMMEL」。ドイツ語で「空」。店を訪れて、まず印象に残る青と白の外壁は、シェフの金長暢之さんが自ら塗ったものだそうだ。街の風景からくっきりと浮き上がるような爽やかなコントラストが、まさに「空」を彷彿させる。

「店の名前は、ドイツのデュッセルドルフでの修業時代に住んでいた“ヒンメル・ガイスター通り”から。ドイツでのパン修業の第一歩を踏み出した原点なので、初心を忘れないように・・・という意味をこめて。それと、自分の好きな色でもある空の色に囲まれたくて、青と白にしました」

床のモザイクタイルも、金長さんと奥様、スタッフみんなで埋め込んだもの


オープンは、今年の1月19日。すでに常連客も多く、朝から客足が後を絶たない。近所には東京工業大学があり、駅周辺は学生で賑やかだが、客層の大半は地元に長く住む年配の方、そして外国人だという。  

「毎朝、近所の人が買いに来てくれるようなパン屋にしたかったので、住宅街を選びました。この辺りに住むお客様は、値段を気にせず、積極的にパンを買ってくれますね。大型パンやドイツパンも、週末だと追いつかないぐらい。これは正直、想像以上でした。家賃が予定より高いのがネックだったのですが、この物件は一目見て気に入ってしまって。駅から近くて、人の流れもあるし、ここなら自分のやりたいことが出来るな、と。妻にも、見に来る前から『どうせもう決めてるんでしょ?』って。自分がこれ、と思ったら何でも勢いでやっちゃう。ドイツ行きも、独立を決めたのも、全部そうでしたから」

ナチュラルな雰囲気の店内には、開店の7時半から焼きたてのパンの薫りが立ち込める。対面式のL字カウンターで、店員の女性とコミュニケーションを取りながらパンを選ぶのが楽しい。


金長さんのパン人生がスタートしたのは、27歳の時。酒好きが高じて、日本酒の営業マンに。最初からパンが好きだったわけではなかったという。日本酒から、パンへ。思わぬところから、パン職人への道が開けていった。

「仕事柄、酒蔵の杜氏を訪れる機会があって。酵母の愉しみを切々と聞かされ、顕微鏡で酵母を見たりしているうちに、自ずと愉しくなって。当時、妻と二人でいつかカフェをやりたいという夢があったんです。でも、そこで酵母の面白さを知ってしまったので、やるならパン屋が面白いだろうと。そんな安直な考えで、この世界に飛び込んでしまったんです」

やるからには、期間を決めて凝縮してやろうと、“27歳でスタートし、10年修業して、37歳で自分の店を持つ”という具体的な目標を掲げた。まずは、埼玉のパン屋で3年間。色々な種類のパン技術を身につけようと夢中で働いたが、いわゆる日本人好みの保守的なパンばかり作る日々に疑問を持ち始めていた。休みの日に、偶然食べた「ブロートハイム」のドイツパン。ひときれのパンが金長さんのスイッチを入れた。

「うまいなあ、こんなドイツパンを作ってみたい、と思って。でも、僕が働いていた店ではドイツパンは作っていなかった。どうせ勉強するなら、ドイツに行ってしまおうと。それを決めたのは、たった一日。店も辞めて、1ヶ月後にはドイツに旅立っていました」


ライ麦60%の「ロッゲンミッシュブロート」を含む、自家製サワー種のドイツパンは常時4種。もっちりとした食感のクラムから、爽やかな酸味が広がる。太陽製粉のドイツ産ライ麦を使用。


当時、美容師をしていた奥様も「もちろん、私もドイツの美容院で働くわ」と、協力的。ドイツ行きはトントン拍子に決まった。ヒンメル・ガイスター通りに面した小さなアパートメントで、二人の生活は始まった。しかし、ドイツのパン屋には何のツテも無い。語学学校に通いながら、デュッセルドルフのパン屋を食べ歩いていたその時・・・  

「『ヒンケル』という店で、すごくおいしい揚げドーナツに出会ったんです。あまりに中が柔らかくて、はじめは生かと思ったくらい。聞けば、“クラプフェン”というドイツの伝統的なパン。そのおいしさにショックを受けて、何個も食べてしまいました。どうやって作るのか知りたくて、その場で働かせて欲しいと願い出ました。その時、店にいた男性がたまたまシェフだったんです」

「クラプフェン」(¥150)
シュー皮のように中が空洞になっていて、しっとりと独特な食感にリピーターも多い。職人仲間からも、「どうやって作るの?」と良く聞かれるそう。水・バター・卵などを混ぜたゆるめの生地を、160℃という低めの油で、15分〜20分じっくり揚げる



「ならば、テストをしようと、工房に入って3日間仕事をすることになりました。先方としては戦力になるかどうかなので。それで、3日目の午後にはもう書面を見せられて『この給料でどうか?』って」

地元では、週末に200万くらい売れる繁盛店。その腕は買われたものの、ケタ違いの仕込み量と、常時20名もの職人がひしめく工房では、言葉の壁と慣れない作業に四苦八苦したという。

「とにかく生地のロットが驚くほどデカイ(笑)。1回で80キロ仕込んでって、普通に言われるので、失敗したらどうするんだよ・・・と内心ヒヤヒヤしていました。ドイツ人は、とにかく仕事が早い。丁寧さっていうのは必要なくて、早く沢山のものを作るのが第一。普通に仕事しているつもりが『お前まだそんなことやってんのかコノヤローッ!』って檄が飛んでくる。逆にこっちも、日本だったら絶対に捨てられるようなパンでも平気で売るのが許せなくて、ケンカはしょっちゅうでした」

「シュトロイゼルクーヘン」(各\280)や、「プレッツエル」(\220)も人気。プレッツエルはベーグルを思わせるような弾力のある生地と、ほのかな甘みがクセになる


ドイツで2年働き、金長さんは32歳に。目標年齢の37歳まであと、5年。このままドイツで働いていたのでは、資金も貯まらないし、現地で店を持つのも無理がある。そろそろ引き際かもしれないと感じ、帰国に踏み切った。ドイツで見たHPで求人を見つけ、帰国してすぐ「ラ・テール」の門を叩いた。

「ちょうど、スーシェフが辞めるというのを聞いて。ラ・テールはフランスパンが中心だったのですが、マネージャーが『金長君がドイツでパンを作ってきたのなら、やってもいいよ』って言ってくれたんです。これは楽しそうだ、と思って。でも、ヒンケルでは既製品の酵母だったので、種おこしからっていうのは実は帰国してから独学で勉強したんです。今でも、僕が作ったドイツパンがラ・テールに並んでいます。クラップフェンも、人気でしたよ」

店内には、ラ・テールのメンバーと、小麦とジャージー牛乳を求めて阿蘇へ行った時の写真が。ヒンメルでは、ジャージー乳の牛乳や、ヨーグルトも販売されている


ラ・テールのパン作り、特にシェフの栄徳さんの存在が、金長さんに大きな影響を与えたという。

「材料へのこだわり、そして仕事に取り組む姿勢。栄徳さんは、パンに対しても、人に対しても、本当に優しいんです。忙しい時でも、常にマイペース・・・そんな時は、僕がついつい腹を立ててしまいケンカになることもありました。5つくらい年下なんですけど僕よりもずっと大人です。僕に無いものをいっぱい持ってる。パンのことで衝突することはまず無かったですね。僕は、最初から栄徳さんのほうが粉やパンに対してはプロだと思っていたから。栄徳さんがこういうパンが作りたいっていうのがあったら、基本的には賛同できたし、お互いに認め合っていい仕事ができたと思っています」

ラ・テールで4年間スーシェフを務めた後、独立を決めた。36歳。予定よりも1年早かったが、初志貫徹だ。

「金さんの物の考えなら、絶対、失敗しないよ」

栄徳さんにこう言われ「何を根拠に!」と、笑った。しかし、その言葉には、二人がラ・テールで切磋琢磨しあった4年間の全てが含まれているのだろう。オープンのその日、ラ・テールの社長から、電報が届いた。
“ラ・テール独立第一号、おめでとう” 

店内からは、厨房全体が望める。厨房スタッフも接客スタッフも、揃いのボーダーに身を包み、和気藹々とした雰囲気が伝わる。


「厳しすぎる上下関係は嫌なんです。何でも話せる、とにかくフレンドリーな職場にしたかった。でも、時々度を越して、妻から『声が大きい!』と叱られてしまうことも・・・(笑)」

奥様の真紀さんには、接客を一任。一緒にドイツへ飛んだ時は、初めての土地でも積極的に語学を習得し、現地で美容師として立派に働いた。帰国後は、カフェで働き、飲食の接客とサンドイッチを覚えるなど、彼女のバイタリティーに、金長さんは随分助けられたという。 ヒンメルの目指す、接客スタイルは“半セルフ”。接客スタッフにもしっかりパンの内容を伝え、直接お客様に説明し、コミュニケーションを取りながら買ってもらうようにしている。

「ヒンメルバゲット」(¥300)はタイプER。「18時間」(¥380)はムール・ド・ピエール他、何種かの粉をブレンド。イーストを極力減らし、低温長時間発酵を行うことで、粉の旨みを引き出している


「厨房は、ラ・テール時代からのスタッフ含め3人。粉を12種類程使っているので、仕込みが大変。まず初めに“こういうパンを作りたい”というのがあって、その為にどんな材料で、どんな製法で・・・と考えていくので、自然に粉が増えてしまいました。内麦・外麦にこだわらず、作りたいパンのイメージを優先します。人数も少ないので、なるべく代用して共通化できればいいのですが、ちょっとでも違うと別で仕込もうということになってしまいますね。そこはなかなか妥協できません」

国産小麦は、江別製粉のタイプER、太陽製粉のみなみの穂、瀬古製粉の全粒粉の3種を使う。ブレンドしたり、単品で用いたり、パンの種類によって細かく使い分けている。

「食パンは人気ですね。タイプERの1本でリーンに仕上げた山型のハードトースト。そして角食は、練乳やバターもたっぷり使ってどんどんおいしくてしていったら、かなりリッチな配合になりました。店では角食がダントツに売れます」

とろりと溶け出たマシュマロがそそる・・・「マシュマロカッチャ」(¥150)

デニッシュ姉妹。その名も「KIMIE」と「MIDORI」(各\270)


マシュマロを使ったフォカッチャ「マシュマロカッチャ」や、3種のナッツを使った「KIMIE(木実恵)」、ピスタチオとラムレーズンの「MIDORI」など素材使いやネーミングも個性的。粉の使い分け同様、菓子パン作りも「他でも売っているようなものは作りたくない」と、一本筋が通っている。中でも、一度食べたら忘れられないのが、ヒンメルのメロンパン「メロンメン」だ。

「実は僕、メロンパンが昔から嫌いだったんです。皮が薄くて、どうも軟弱な気がして。メロンパンは“邪道なパン”だと思って、最初は作っていなかったんです。でも、スタッフに『だったら、メロンパンの常識を覆すような、すごいメロンパンを作りましょうよ』って言われて、オッ!と思っちゃって」

いいものは作りたいけど、好きじゃないものはやりたくない。そんな金長さんに、スタッフの一言が火をつけた。何日か経って、「これをメロンパンの皮にしたら、うまいんじゃないか?」とふと思い立つ。・・・シュトロイゼル生地だ。焼いてみると、驚くほどガリガリッとした食感に。もう少し柔らかくして、もっとミルキーに・・・と改良していくうちに、金長さんが思わず「うまい!」と口走ってしまうメロンパンが出来上がった。

「メロンメン」(¥160)ガリッと力強い食感のトップに、ミルクと卵の薫りが優しいリッチ系のパン生地。メリハリのある食感と、まろやかな甘みがクセになる。


「そうしたら、『今までメロンパンが好きじゃなかったんですけど、ここのを食べてびっくりしました』っていうお客さんが、1人や2人じゃないんです。間違ってなかったなと思いました。・・・ネーミング?軟弱じゃない、ガリッと男らしい食感のメロンパンだから、“メロンメン”ということで(笑)」

厨房に鎮座する、ドイツ製窯“Welker”。「初めは本当に言う事を聞かない、だからこそ可愛くて仕方が無い奴なんです」・・・そう言って目を細め、我が子のように語る。同じように、どんなパンもどんな粉も、じゃじゃ馬をならすように、実に楽しげに、自分色に染めていく。今後はライサワー種のパンを増やし、自家製の天然酵母のパンなども増やして行きたい。そして、食べ手の五感に訴えかけるようなパン作り、売り方をして行きたい。やりたいことが、まだまだたくさんある・・・

――“37歳で自分のパン屋を持つ”
大きな夢を叶えた今も、金長さんの中には、さらなる夢がどんどん膨らんでいる。

「金さんの物の考えなら、絶対、失敗しないよ」

もう一度、その言葉が脳裏によぎる。確固たる想いを込めながら、ひとつひとつ。
ドイツでもなく、どこかの店でもなく。どこかのメロンパンでもなく、どこかのバゲットでもなく。
ここにしかない、金長流の“ヒンメル”パンが、これからも焼き上がって行くのだろう。(2008.6)










Himmel ヒンメル
住所 東京都大田区北千束3-28-4
TEL03-6431-0970
FAX03-6431-0971
営業時間7:30〜19:30
定休日 火曜
アクセス東急大井町線 大岡山駅より徒歩2分



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