北区王子。都電が走り、緑豊かな公園や由緒ある神社が点在するその街には、都会とは思えないゆったりとした空気が流れている。王子駅から飛鳥山公園を抜け、権現坂を登る途中にある「ランギャール」。地元客の強い支持を得ている店だ。



初めて店を訪れた時、入り口のドアを不思議に感じた。ケーキ屋といったらガラス張りで、店内が見渡せるように造るのが一般的。この店は両脇こそガラス張りだが、中心に位置するドアは鮮やかなブルーグリーン。店内が見えるようで、見えない造りになっている。これは、客が買い物をする姿が見えにくくするための気配りだそうだ。

「この方が男性のお客さまが買いやすい。おじさんだって、家族や会社の人にケーキを買っていってあげたいと思っているし、買うときもゆっくり選びたい。でも実際に買うときは恥ずかしい気持ちがあって、『これでいいです』って詰め合わせを選んでしまうことが多いと思うんです」

オーナーシェフの杉山亘さんは、常にお客さまの立場で物事を考える。なぜなら、「喜んでもらいたい」から。杉山さんの全ては、そこから発しているのだ。



最初に目指したのは料理人。「自分で作ったものを、自分で売りたい」と、最初から独立を考えていたという。レストランでのアルバイトを経て、サービスがいいと評判の三笠会館へ入社。最初から厨房には入れずギャルソンとしてサービスを担当していたが、その仕事を通じてパティシエを目指すようになった。

「料理をお出ししたときのお客さまが喜ぶ姿をみることが、この仕事の醍醐味。一番喜んでくださるのがデザートを出した時で、これを仕事にしたら自分も楽しく仕事が出来るのではないかと思いました」

当時三笠会館の製菓部は、杉山さんの師匠となる藤堂栄夫氏がシェフを務め、スーシェフは現「パティシエ タダシ ヤナギ」の柳正司氏、現「アン・プチ・パケ」の及川太平氏など、とても魅力的な職場だったそうだ。製菓部に異動した杉山さんは、シェフの藤堂氏に「3年で一人前にしてください」と頼んだ。

「今考えると「馬鹿なこと言っちゃったな」って恥ずかしいのですが。実は、会社からはギャルソンを続けるように勧められていました。お客さまも持っていたし、僕自身サービスの仕事も好きなんです。3年やってみて、ダメだったらギャルソンに戻ろうと思っていました」

三笠会館に籍を置きながらフランスでの修業も経験し、28歳でシェフに就任。「もっと料理的なケーキを作りたい」と希望と情熱を持って仕事に取り組んだが、そんな杉山さんからスタッフは次第に離れていったという。

「固定観念が強く、自分ばかりが走っていて、下が育っていなかった。これでは歯車が狂うのは当然ですよね。社員のスタッフ全員に辞められてしまって、初めてそれに気がつき学びました。人を育て、それによって自分も一緒に成長していくものなんだと」

それから杉山さんは新しい組織作りに取り組んだ。スタッフは社員からパートの女性まで様々だったが、出来る人を連れてくるよりも、育てることを重視した。

「最初から何でも出来る人は、長くは続かない。パートの方たちには、限られた分野でいいからプロフェッショナルになってもらえるようにしました」

組織が固まってくると杉山さんにも余裕が出て、新しいケーキを考えたり、どうすれば売れるかを考えられるようになってくる。ちょうどその頃、雑誌「Hanako」にはじめて三笠会館が取り上げられた。メディアに取り上げられたことで自信がつき、ますます仕事が楽しくなっていったそうだ。


三笠会館を辞めたのは、2003年2月。「自分がいなくても大丈夫」と確信したことがきっかけだった。ちなみにパティシエは複数の店で修業することが多いが、杉山さんは渡仏以外ずっと三笠会館。他へ移りたいと思ったことは無かったのだろうか?

「もちろん思っていました。ただタイミングが合わなかった。でも後悔はしていません。組織作りという大切なことを学びましたし、三笠会館が好きなんですよ」



退職から約半年の準備期間を経て、2003年10月22日に「権現坂ランギャール」をオープン。権現坂とは店舗前の坂の名前。権現坂、そして王子という場所を選んだ理由は何だったのだろう。

「下町で、歴史的な背景のある場所を探していました。僕自身が静岡の修善寺出身で、そういう匂いがする場所でないと落ち着かないんです。王子は義父の出身地で、権現坂の『駅から上ってくる坂の感じがいいなぁ』と思いました。近くには都電が通り、王子神社や王子稲荷があって、いい情景のある街。古くから住んでいる方も多く、守る雰囲気があるんですよ」

この街に住む人も、杉山さんにとっては大きな魅力だ。ご近所付き合いを大切にし、それが商売につながっている部分もあるという。

「近所の花屋さんと一緒に、『花華籠』というお花とお菓子のギフト商品を作っています。ケーキ屋と花屋はどちらもイベントには欠かせない存在。『一緒に出来たら楽しいかな』と思って始めました。他にも、美容院の開店記念の為に特別なケーキを作ったこともあります。こんなイベントがらみの仕事は、僕自身もとても楽しいんですよ」


花華籠

こんな話を聞くと、ランギャールが地元客の心をつかんでいるのがよくわかる。杉山さんは店でお客さまを待つのではなく、自らお客さまの中へ飛び込んでいく人なのだ。



店で出すケーキは、定番が6割。あとは季節のフルーツを使ったものや、イベントに合わせた商品を作っている。定番商品は根強い人気があるが、プラスアルファがあることで”迷う楽しみ”も出てくるのではないかと杉山さんはいう。

「実は和菓子も好きなんです。ちょっと先取りした季節感や、イベントに合わせたお菓子を作ることは、和菓子の世界に通じるものがありますよね。これからの時期は、子供の日と母の日に合わせた商品を出します。誕生日などの家族のイベントだけでなく、母の日なんかの一般的なイベントにも使ってもらえるようにしないと。ケーキ屋はイベントがないと暇になっちゃうんですよ」


桜の季節限定。他にロールケーキやミルフィーユも


店の接客は主に奥様の担当だが、杉山さんも極力店頭に立ち、お客様と接するようにしている。三笠会館では工場や厨房で仕事をしていたため、客の反応が見られなかった。
「お客さまに教えられることも多い」というが、アレルギーを持ったお客さまが多いのには驚いたそうだ。

「有名店だと頼みにくい。僕の出番だと思って、極力対応出来るように研究しています。このことをきっかけにもっと健康的なお菓子の必要性を感じていて、和の素材に興味が出てきました。今世界的に日本の食材が注目されていますが、やはり外国人は捉え方が違う。僕は日本人の感覚で使っていきたい。和素材に限らず、日本の基準に合わせたケーキを作っていくつもりです。商売的にいうと、凝ったフランス菓子の店よりも普通のケーキ屋の方が売上が多かったりする。売上は、喜んでくれるお客さまの数に比例しているんじゃないかな」


「店内から中が見えるように」と選んだ窯



   \2,100と良心的な価格が嬉しい



最後に、今後の目標について聞いてみた。

「王子銘菓を作りたい。和菓子では「都電もなか」「みみずく最中」がありますが、洋菓子でも何か出来ないかと。王子ロールは少しづつ広まっていて、「お土産でもらって美味しかったので」と買いに来てくださるお客さまも増えてきました。次は、焼き菓子でも何か考えたいと思います」


大人気の王子ロール


銘菓とはその土地柄を思い起こすもののひとつ。この街の情景が好きだと言っていた杉山さんらしい発想だ。そして、こう付け加えた。

「お菓子はあくまで脇役で、それを楽しむ人が主人公。楽しめるお菓子を作っていきたいし、いつかはくつろげる場所も作れたらいいなぁ」


王子に店を出してから2年。「ここは新しいものが出来にくい雰囲気がある」といっていたが、その場所で少しづつ根を張っている杉山さん。それは、「人を喜ばせたい」という気持ちが着実に王子の人々に届いていることの証なのだろう。






ランギャール
住所 東京都北区王子本町1-18-9
TEL03-5924-0422
営業時間10:00〜20:00
定休日月曜日
アクセスJR京浜東北線または東京メトロ南北線王子駅より徒歩4分