2009年7月、池尻大橋に一軒のパン屋がオープンした。 「トロパン」、ちょっと不思議な響きの名前だ。 聞けば、シェフの田中真司さんは、「デュヌラルテ」出身。あの、類い稀なるブーランジェリーに6年以上もいたと聞き、もしかしたら気難しい人なのでは…と不安がよぎる。 興味の中にわずかな緊張を秘め、取材に伺った。 店のある池尻大橋は、渋谷のすぐ隣。都会の便利さと、人情味溢れる賑やかな雰囲気が魅力の町だ。「トロパン」があるのは、駅からわずか1分ほどの場所。人々が行き交う商店街の中、しかも、昔ながらの魚屋のすぐ横にある。 |
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商店街にすっと馴染む白い外観。 中に入ると、明るい声が迎えてくれる |
小さな赤い看板に迎えられるように店内に入ると、どこか凛とした表情のパンたちが目に入る。"イケジリーナ""モダアン"・・・と、ちょっと変わったネーミングは、おいしそうなだけでなく、どんな味なんだろうと、ワクワクした気持にさせてくれる。
「こんにちは。今日はよろしくお願いします」 ニット帽に紺のツナギ姿の田中さんが現れた。すらりと背が高く、イメージしていた気難しい雰囲気はまったくない。神戸出身という田中さん、テンポのいい話し方や、打てば響くような受け答え・・・、関西的な人懐っこさが端々から感じられる。 |
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スピーカーは、田中さんのこだわり。 パン屋とは思えない、贅沢な音が響く |
いわゆるパン屋とは、どこか異なる雰囲気を持つ田中さん。いったい、どんな経歴の持ち主なのだろうか。 「子供の頃から、ずっとボクシングをやっていたんです」 実は、小学校の頃から、ボクシング一筋だったという、根っからの体育会系。パン職人になろうと思ったのは、意外なことがきっかけだった。 「高校生の時、ボクシングの減量中に、たまたま「魔女の宅急便」を観たんです。その中でパンが出てくるシーンがあるんですが、減量中なので、本当においしそうに見えたんですよね。しかも、そのパンを受け取った町の人がとても嬉しそうで。そういうのが、温かくていいなーと思ったんです」 と、ちょっと照れ臭そうに話す。当時は、ボクシングのタイトルを目指し、他人と打ち合い、傷つけられ、空腹を抱えていた毎日。パンのある風景が何ともいえない温かい世界に見えたという。 |
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窓からはパンを作る姿が見える。 お昼時にはサンドイッチも人気 |
「それから、すぐにパンの本を買いに行きました」 もちろん、ボクサーの田中さんにはパンの知識も経験もゼロ。本を頼りに、台所でパン作りを始めるようになった。 「ちょうど反抗期だったせいか、『パンを作る』というと母が喜んで手伝ってくれたんですよね。最初に作ったのが、島津睦子さんの本に載っていたシュトーレン。甘くておいしかったですね。できあがったパンは、母と一緒にご近所に配りました」 心のすき間を、温かい気持で満たしてくれたパン。ボクサーではなく、パン職人になろうと、田中さんは思うようになる。 …だが、そう簡単に物語は進まなかった。 |
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形の楽しさも「トロパン」の魅力
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「どこも長続きしなかったんです。最初の『三宮ターミナルホテル』の2年が最長で、あとは3ヶ月、半年というところばかり」 決してやる気がなかったわけではない。行った先では、マニュアルにそったパン作りが主だったことも理由のひとつだろう。専門的にパンを学んだ経験がない田中さんにとって、まだまだパンにはわからないことがたくさんあった。だが、やっとパンのことを勉強できると思ったのに、わからない。わからないから、周りにも馴染めない。そんな気持と現実とのギャップをどうすることも出来ないまま、田中さんは負の連鎖にとらわれていった。 「こんなこと言うのもいけないですが、最後はもうイヤでイヤで! とにかくみんなを見返したい!という気持ばかりでした」と当時を振り返る。 |
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アンティークの鞄はディスプレイ兼、商品棚。 木目をいかした床も雰囲気がある |
“見返してやるには、どうしたらいいだろう” そして、叩いたのが「デュヌラルテ」の門だった。 「東京に来て、まず衝撃を受けたのが『デュヌラルテ』のパンでした。それまでのパンとは全然違ったし、どうやって作るのか想像もつかなくて」 雑誌などを通じ、当時シェフだった井出則一さんの存在を知った田中さん。どんなことをしてでも、この人に弟子入りしたいと、今までにないほど強い気持を感じたそうだ。 ・・・が、履歴書で下された評価は「不合格」。理由はなんと、“顔つきが悪そうだから”だったそうだ。誤解のないように言っておくと、今は決して怖くはなく、むしろニコニコとした笑顔とやわらかい物腰が印象的だ。 「でも、その時は確かにコワかったかもしれないですね。見返したい気持でいっぱいでしたし…」 と田中さんは苦笑いする。 だが、ただひとり違う意見だったのが、井出さんだった。 「この目をしている子は、絶対に大丈夫だよ!」 その一言で、田中さんは「デュヌラルテ」に弟子入りすることが決まったのだった。 「デュヌラルテ」のやり方は、今までの仕事場とは何から何まで違っていた。 「井出さんに出会って驚いたのは、パンとはこれほどまでに神経をつかうものなのか、ということでした」 美しく整頓され磨かれた厨房では、誰一人口をきかずにパンに集中している。今までとはまったく違う、その環境に、田中さんは愕然としたという。 「特に気を遣うのが、クロワッサンの折込み作業。捏上げ温度がマイナス1℃というこの生地は、どれだけ手早く作業できるかが鍵なんです。といっても、生地を扱えるのは井手さんと柴田さん(当時のスーシェフ)だけ。自分たちはパイルームに入ることすらできず、ガラス越しに作業の様子をのぞいたりしていました」 確かに、マイナス1℃に捏ね上げるには相当な神経を遣わざるを得ない。普通だったら、現実的でないから、とやめてしまうだろう。だがここでは違った。 「井手さんにこう言われたことがあるんです。『パンを作るのは、ボクシングに例えるなら、スパーリングなしで本番にのぞむようなもの。しかも毎日毎日が本番。だから、疲れるんだよ』」 田中さんがずっとイメージしつづけてきた、真の職人。それが、井出さんだった。 「パンに気を遣うのはもちろんですが、それを扱う自分自身にも気を遣うように言われました。例えば、バンジュウをおく位置。体を無理に曲げたり伸ばしたりすると、それが小さなストレスになる。だから、自分にとって一番いい場所を見つけるようにと。それから、ベストな体重を維持するようにとも言われました。確かに、体が重くなると動きが鈍るんですよね」 普通ではちょっと考えられないことだが、例えば作業代の上についたちょっとした汚れでさえ、井出さんには邪魔になる。それでは最高のパンが作れない、と言うのだ。 「一度、立てかけてあったピーラー※が、扉を開けた拍子に“パタン”と倒れたことがあったんです。厨房が静まり返っているので、そんな音でも、ものすごく響くんですよね。井出さんは『大きな音がすると、生地に気持を集中できなくなるから、気をつけて』と。本当にびっくりするくらい神経の細やかな人なんです」 普通のパン屋だったら、ものが倒れるくらい日常茶飯事の出来事だろう。神経質といってしまえばそれまでだが、それだけ神経を研ぎ澄まさなければ最高のパンは作れない、と井出さんは考えていたという。 (※ オーブンからパンを取り出す、長い板のような道具) ところで、田中さんには、入る際に約束したことがあった。 それは、3年間辞めないこと。そして、3年間毎日勉強すること。 「3年間毎日です。帰りの電車ではパンの本を読み、眠くならないよう食事をする前に必ず2時間勉強する。もちろん、その間テレビやおしゃべりは一切なし。それでも、勉強するのは楽しかったですよ」 見返してやりたい、そして、もっとパンのことを知りたい。厳しいが、今までの職場とは違い、自分のことを真剣に考えてくれる人がいるのが嬉しかった。井出さんという最高の指導者を得た田中さんは、今までの乾きを潤すように、貪欲に知識を吸収していった。 「毎日質問されるんです。例えば、『塩は何で入れるの?』というふうに。その場ではっきり理由が答えられなければ、理由を調べてくるように言われる。そのときに大切なのは、ただ調べるのではなく、掘り下げて調べること。わからない人にも簡単に噛み砕いて説明できるようにならないと、わかったことにならないからね、と言われました」 掘り下げて勉強することによって、単なる“塩”が、途端に深い意味を持ち始める。パン作りにどうして塩が必要なのか? 量は? 種類は? 温度やタイミングはこれでないとできないのか…? 井出さんは、常に自問自答し、どんなことにも意味と理由を要求した。もちろん、その繊細さが合わない人もいるだろう。だが、田中さんの肌にはそのマニアックさがとても合っていた。パンが持つ、未知の世界に気が付いた楽しさが、田中さんを深いパンの世界へと引き込んでいった。 「井出さんと一緒だったのは最初の3ヶ月。でも、本当に精神的なこともいろいろと教えてもらいました」 その後、技術面の師匠となったのが、井出さんのあとにシェフを務めた柴田知実さん。女性らしい緻密さと繊細さで田中さんを育てていった。 |
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隠し味にベーコンの炒め油を加えた「イケジリーナ(\180)」。 深い旨みがあとを引くおいしさ |
そして、もうひとり。田中さんに強烈な影響を与えたのが、「デュヌラルテ」のプロデューサー淺野正己さんだ。 淺野さんは、今はなき青山のフレンチレストラン「カムシャングリッペ」のオーナーシェフ。計算し尽くされた料理とこだわりが、今でも語り継がれるほどの名店だ。料理を知り尽くしているからこそ、淺野さんのパンへの要求は、恐ろしく高かったという。 「淺野さんが大切にしていたのは、食べるシーンが見えるパンかどうか。切って食べるのか、ちぎった方がいいのか、それともそのまま食べるような小さなポーションか。さらに、ワインに合わせるのか、ソースを吸わせるのか…といった具合。シーンが明確でないものを作っても、絶対に認めてもらえませんでした」 当時の田中さんにとって、淺野さんは雲の上の人。最初の3年間は、声を掛けてもらうことさえなかったそうだ。 そんな田中さんに、転機が訪れたのは、「デュヌラルテ」での約3年が過ぎた頃だった。 大規模なリニューアルをすることが決まり、自分も何か活躍できないだろうかと考えていた田中さんは、ある日、たまたま耳にした淺野さんの独り言を、すかさず書き留める。それは、ポツリと言った「カカオとライ麦って合うんだよね」という言葉だった。田中さんは、すぐにカカオとライ麦でパンを作り、翌日、淺野さんに差し出した。 「なんだ、結構いいパン作れるんだな」 それを機に、田中さんは少しずつ頭角を現していく。リニューアルの際に登場した、キュブベーやシリンドルブール、そして件のカカオアメールなどは、すべて田中さんのアイデアだ。 |
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自家製マヨネーズとガチョウの脂が濃厚な「バコン(\180)」
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だが、淺野さんの信頼を少しずつ積み上げる一方で、田中さんはスランプに陥っていった。 「類い稀な(「デュヌラルテ」の意味)というパン作りを続けていくことが厳しかった…。変わったものを作るのは簡単ですが、しっかりとした根本があって、それを新しい切り口で表現することはとても難しい。形、温度、すべて誰かがやっていることばかりで、すっかり息詰まってしまったんです」 淺野さんが求めたのは、奇をてらうのではない、伝統があってこその新しさ。クロワッサン生地をマイナス2℃に捏ね上げる方法しかり、ブドウを100%生地に練りこむことしかり。だが、当然ながら、それは並大抵のことではなかった。 そして、淺野さんに認められたい、という気持も空回りを始める。 「認められようと思う気持が強すぎて、淺野さんのためにパンを作るようになるんですよね。でも、そう思って作れば作るほど、淺野さんにはダメ出しされる」 息詰まった田中さんは、「ダンディゾン」の木村さんに相談した。 「普通にしよう、昔のことをもう一度やってみよう。そう思ったら、また良いものができるようになったんです」 |
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パティシエの大貴さんの意見も積極的に採用。 サブレやスコーンも彼のアイデア |
デュヌラルテで6年半、そして、現在。 強烈な個性に育まれた田中さんが目指す店とは、どんな場所なのだろうか。 「実は、最初に見つけたのは、中目黒にある洒落たガラス張りの物件だったんです。でも、イメージと違うのでやめました。ここ(池尻大橋)は以前からずっと住んでいた場所なんですが、関西に近いような気さくさがあって、なんだか安心するんですよね」 ちなみに、店名のトロは川の“流れがゆるやかな所”を意味する“瀞”から。サラリーマンが多いこの場所をゆるやかにしたいという田中さんの思いを聞き、お兄さんが名付けてくれたそうだ。 |
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あんパンも田中さんの手にかかると、 こんな形に「モダアン(\160)」 |
「デュヌラルテでは、尖ったものが必要だった。でも、ここでは必要ないし、今は丸く作れているような気がするんです」 といっても、職人としての姿勢は変わらない。生地をアレンジさせた“派生もの”を嫌う田中さんは、12〜13種類の粉を使い、15〜18種類もの生地を作る。また、「この環境では無理」と思っていたクロワッサンも、工夫を重ねて完成させた。 |
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2ヶ月かかって完成した「クロワッサン(\240)」。 ハラハラとした食感がなんとも繊細 |
「生地に入れる砂糖の量を減らし、その分を折込みのバターの上に振りかけるようにしたんです」 フィユタージュの発想に近いという生地は、練りこみ用の牛乳をシャーベット状に凍らせ、その他の素材も冷凍することで、捏ね上げ温度を2℃に調整。少し発酵を取っては、冷蔵するという作業を繰り返すことで、バターへの負担を最小限に抑えている。 「技術者と違って、職人には魂が入っているような気がするんです。決して、技術者にはなりたくない。細部にもこだわり、気を配る、そんな職人になりたいと思っています」 |
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「モダンテ(\210)」。中の紅茶風味のクリームは、ホワイトチョコレートが隠し味。焼成しても、トロッとなめらかな口当りが保たれる
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ところで、田中さんの最終目的は、実はここではない。 「将来は、パンの技術を手に、海外でボランティア活動ができればと思っているんです。そのためには、まず職人として一人前にならないと!」 パンを作り、誰かに喜んでもらう。場所や環境が変わっても、その想いは変わらない。 改めて店内を見回すと、そこには田中さんがここに至るまでの人の姿が見えるようだった。 食べることの、楽しさと意味を教えてくれた淺野さん。 職人としての、真摯な精神を授けてくれた井出さん。 正確できめ細やかな技術を指導してくれた柴田さん…。 川の流れが深くてゆるやかなところを意味する「瀞」。 師匠たちが生み出した、大きな流れをしっかりと受けとめて、 田中さんはこれからも、瀞(トロ)のような存在のパンを作り出してくれることだろう。 |
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トロパン トウキョウ
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住所 |
東京都目黒区東山3-14-3
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TEL | 03-3794-7106 |
営業時間 | 7:00〜20:00 |
定休日 | 日曜 |
アクセス | 田園都市線 池尻大橋より徒歩1分 |
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