小ぶりなのに存在感がある。地味だけど何故か惹かれる。そんなケーキを、ヴォワザンで見つけた。2010年3月。開店から半年ほど経ったヴォワザンを訪ねたときのこと。ショーケースの中のタルトタタンから、目が離せなくなったのだ。食べてみると、その期待は見事に的中。くったり柔らかいリンゴとパイというお決まりのスタイルではなく、プリンと歯応えを残した濃厚なリンゴとリズミカルな食感のクランブル、というなんとも新鮮な組み合わせがよかった。早速、今回の取材時にそのことを伝えてみると、 「あれは低温でじっくりとリンゴに火を通しているからなんですよ。3〜4時間は窯の中に入っているんです。土台にはフィユタージュ、というのが普通ですが、僕はもっとインパクトをつけたくて。そこでクランブルにしました」 とシェフの広瀬達哉さん。あの事件?!から、既に3ヶ月。もうタルトタタンはショーケースから姿を消してしまったけれど、他のお菓子もきっと何かあるはず。華美なデコレーションを削ったシンプルなフォルムの中に、静かな主張を感じるから。 |
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店に入るとすぐ目の前にショーケースが。 端正なフォルムが美しい |
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季節限定のタルトタタン
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「基本はシンプルでわかりやすいものばかりです。主役がきちんとあって、それが食べた人にも伝わるような。ただその中で素材を際立たせたり、食感を変えてみたり。そうすることで、他にはないお菓子をと思っています」
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「マロン・エ・カシス」 栗の甘みが カシスの酸味でメリハリある味わいに |
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「モンテリマール」(写真左) 蜂蜜のクリームに レモンを、タルトの部分にライチを香らせた一品 |
どこの店にもあるけれど、何かが違う・・・そんな味作りを目指しているという。そうした広瀬さんの価値観が培われたのは、おそらく、あの店の影響が大きい。 「20歳のときに、成城のマルメゾンへ。その前にレストランで働いた経験はありましたが、お菓子は全く初めてで。一から全部教わりました」 もともとは料理人を志していたため、料理の専門学校を卒業してレストランで働き始めた広瀬さん。だが、なぜか “お菓子の方がもっと面白そう ”と思ってしまった。さて、実際にその世界に飛び込んでみて、どうだったのだろう? 「やっぱり面白かったし、もちろんその反面、大変なことも多かったです。でもそれがプロの世界。大山シェフには、いつも “プロとして作ってお客様に提供していることを忘れるな ”って。それから “いずれは自分の店を持つという自覚を持って欲しい ”とも。徹底的にプロ意識を叩き込まれました」 |
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「マカロンプランタニエ」 ピスタチオグリーンが鮮やかなマカロン
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言わずと知れた名店のひとつ、マルメゾン。フランス菓子の基本を守りつつ力強さと軽さのバランスがとれたお菓子は、オープンから30年以上経った今でも多くのスイーツファンを魅了している。そしてマルメゾンといえば、 「やはり『ムースマルメゾン』ですね。ココット型に仕込んだキャラメルムースで、見た目も構成もシンプルです。でも、あの味は忘れられません」 スペシャリテとしてお客に人気が高いのはもちろん、この店で修業したパティシエたちにとっても忘れがたいと言われるのが、このお菓子。ポイントは、キャラメルの苦味と香りを際立たせること。誰もが知っているキャラメルのムースが特別なムースとなり、強いインパクトを残すのだ。食べ手の心も、そして作り手の心をもつかむお菓子・・・それは何年経っても色褪せることはないのだろう。 「それから、チョコレートの面白さに目覚めたのも、この頃でした」 チョコレートという素材を扱うとすぐに、その性質にはまった。温度や湿度の変化を受けやすいチョコレートは、他の素材以上に緻密さを要求されるもの。神経を使う作業だが、広瀬さんにとっては、 「楽しかったですね。確かに、いい加減な気持ちでいるとそれが全て形に出てしまいます。でも、一生懸命やればきちんといい結果になって表れますから」 |
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「エクレールショコラ」 チョコレート片と ヌタチンをトッピングしてリズミカルな食感に |
もっとチョコレートのことを知りたい、極めたい・・・。マルメゾンで4年半ほど過ごした後、渡仏していた広瀬さん。次の修業先にと選んだのは、意外にも日本のジャン=ポール・エヴァンだった。 「大山シェフに紹介していただいたパティスリーで修業する予定で渡仏していました。ところが、店の都合でできないと言われてしまって。暫く他の店で研修させてもらったり、パティスリーめぐりをしていた時に、日本のジャン=ポール・エヴァンでパティシエを募集している話を聞いたんです。これは是非、やってみたいと」 ちなみに、日本のジャン=ポール・エヴァンではボンボン・オ・ショコラを作らない。全てパリから空輸しているからだ。日本で作るのは、ケーキと焼き菓子全般。とはいえ、パティスリーとは違って、全てにチョコレートを使っている。 「そう、ショコラティエなので、当然、ケーキも焼き菓子もチョコレート系。扱っているチョコレートの種類も半端ではありません。でもそれだけではないんです。パティスリーとの一番の違いは、その扱い方。例えばチョコレートのムースを作るとします。パティシエの感覚だと、アングレーズベースにして優しい味に・・・なんてことが多いのですが、エヴァンには、逆にそういうものはひとつもありません。ここでチョコレートに合わせるのは、メレンゲだったり生クリームだったり。何よりもカカオを食べさせることを最優先しているんです」 カカオ分の高い個性的なチョコレートを使い、その味を際立たせること。パティシエ出身の広瀬さんにとって、その発想はとても新鮮だった。それからエヴァン氏の仕事振りも。 「エヴァン氏は来日するたびに、必ずこちらの工房を細かくチェックしています。また学生相手にデモンストレーションを行う時なども、いつも120%の真剣勝負。道具もピカピカでないと気がすまないし、白衣に皴がよっているのも許せない。実はそうしたこと全てが、チョコレートに向き合う姿勢とつながっているんですね。僕はデモンストレーションのアシスタントを任される機会があったので、エヴァン氏のいい意味での神経質な部分や緊張感を目の当たりにしました」 |
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その後は、ジョエル・ロブションヘ。パン、菓子、レストランと幅広く手がける同店の、パティスリー部門に入った。 「パティスリーといっても、ここは高級フレンチの中の一部門。だからこれまでとは随分違っていました」 もっとも大きな違いは、素材選び。すべての素材を厳選して最高のものを揃えていた。もちろん、個人のパティスリーではとうてい考えられないほどの贅沢さだ。当然、さぞおいしいものができるに違いないと期待してしまう。 「実はいい素材ばかりを使って作ったお菓子って、意外と印象に残らないんです。何故って、主役がわからなくなってしまうから。それよりも主役にしたい素材を厳選して、それを際立たせる。その方がきっと食べた人の心に響くはず」 贅沢な素材と接するうち、次第にその活かし方に気づき始めた広瀬さん。ところが、何故かジョエル・ロブションを1年ほどで辞めてしまったという。 |
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「フィナンシェ・オ・ヴェルジョワーズ」 自家製のアーモンドパウダーで香り豊かに |
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「この場所(ヴォワザン)を居抜きで使う人を探しているって、話を聞いたんです。独立するには少し早いかなとも思ったけれど、せっかくだからやるしかないなって」 少し早い?!というより、かなり早いのでは? だって、この時、広瀬さんはまだ29歳。悩んだり不安になったりすることはなかったのだろうか? 「それは、もちろん。でも、ずっと前から考えていましたから」 と、こちらの予想を裏切ってさらりと言う。 そして、 「居抜きで入ることを決めてから、4ヵ月後にヴォワザンをオープンしました。でも、2ヶ月間はロブションで働いていたので、準備期間は、実質2ヶ月でしたね」 というから、ますます、すごい。しかし、パティシエになった時から自分の店を持つことだけを考えてきたという広瀬さん。マルメゾン時代にプロとしての意識を叩き込まれていたから、 “独立してこそ一人前 ”と考えていたのかもしれない。 |
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さて、実際に独立してみると、嬉しい誤算があった。 「シュークリーム、ロールケーキ、ショートケーキにプリン・・・。街中の店だと定番ものしか売れないって話をよく聞くんです。でも、うちの店はそうした偏りはないですね。ムースやチョコレート系のお菓子も同じように売れています。そうした、自分が好きで作っているものが売れるのは、やっぱり嬉しい」 “わかりやすい味 ” “面白い食感 ”のお菓子が好き。 “自分が好きなものを作る ”スタイルは、2009年9月のオープン時から変えていないという。この6月で10ヶ月が経った。 製造については落ち着いてきたとはいえ、まだまだわからないことは山ほどある。実は広瀬さん、経営者としての経験や知識はほとんどないのだ。それでも、 「まずは安定した、いいお菓子を並べること。それだけです」 ときっぱり。 ショーケースの中には、端正なフォルムのケーキが並ぶ。周りに流されることのなさそうな凛々しい表情。・・・それは、広瀬さんの真っすぐな信念を表しているかのようだった。 (2010.07)
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パティスリー ヴォワザン
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住所 |
東京都杉並区上荻2-17-10
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TEL | 03-6279-9513 |
営業時間 | 10:00〜19:00 |
定休日 | 水曜 |
アクセス | JR中央線・東京メトロ丸の内線荻窪駅より徒歩約7分 |
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