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![]() オーボンヴュータン 河田 勝彦 氏 |
![]() 入社は東京オリンピックの年なんですよ。当時、菓子屋というのは自分にとって思いもよらなかった部分です。レストランでは最初は当然皿洗いと、皮むきしかやらせてもらえませんでした。でも、入社3,4ヶ月後に、オリンピック村に行くよう命じられたんです。色々な国の人が集まる会場では毎日宴会があって、夜遅くまで料理を作っていました。でもこれはまだオリンピックが始まる前で、なのに自分は風邪をひいてへばっちゃったんですよ。一ヶ月休まなくてはいけなくて、結局オリンピックが開催される時には厨房に立てなかった。ここで、いわゆる挫折っていうものを料理に感じたんです。 さてどうしようかというとき、オリンピック村で僕が料理を作っていた横で菓子を作っている厨房が面白そうだったことを思い出した。これがお菓子の世界へのきっかけです。 ![]() フランスでは、びっくりの連続。もう、100%見たことのないお菓子ばっかりでしたから。見たこともない材料、食感。日本にいたときはそれなりに自分は出来ると思っていたのですが、ここにきて、今までの自分のお菓子を、自分の中から全て消しゴムで消しました。ショックも大きかったですが、新しいものを見るのは快感でもありました。だから、「やめた、日本に帰る」とはならなかったです。 とはいってもね、日本にいたときは思わなかったけど、フランスに行ってみたら、自分は意外と引っ込む性格だということがわかったんです。もちろん、言葉がわからないせいもありましたけど、いろんなことをふっ切れて、積極的になるまでには丸3年かかりました。それからは以前にも増してお菓子への興味も広がり、地方のお菓子を求めて旅行をしたり、文献を集めたりしました。全てが順調なわけでなく、ときに落ち込んだときも、誰も助けてくれないときもありました。そんな時にも僕を動かしたのは、フランスの空気そのものでしょう。あの空気の中、日本に帰ろうなんて思いはひとかけらもないままやっていました。 |
![]() 僕は、いくつか菓子屋を回った後、ヒルトンホテルのシェフに。これが僕のフランスの集大成です。寝ずに仕事して、それまで学んだ全てを出し切りました。自分なりにやることはやったという気持ちになったとき、不思議なんですが、本当にぽこっと、日本に帰るぞと思ったんです。それで、その気持ちに正直に帰ってきたんです。ちょうど10年がたっていました。 こうやって振り返ると、今じゃなくてよかったなあなんて思いますよ。今だったらね、ちゃんとフランス語の勉強をしてから行ったり、向こうですぐ戦力になる実力くらいはつけていかなきゃならないと思う。若い人に言いたいのは、フランスに行ったら菓子なんか見てきてもしょうがないということ。これだったら旅行で充分でしょう。ちゃんと仕事をして、実力を表現し、労働者としての価値を認めてもらい、給料をもらうこと。そうやって生活していく上でいろんなものの価値を見て欲しいと思う。 自分も年をとって、『オーボンヴュータン』に入ってくる若い人との年の差も年々開いていくのを感じます。僕は自分のやりたいこと、作りたい菓子のためにそいつらにやってもらわなくちゃいけないことが色々あるだけで、若手を「育てる」という気持ちなんて持っていません。でも、だんだん引っ張っていく体力もなくなってきているかなあ。だけどフランスで培養した気力は僕の中にまだまだありますから、10年しないうちに、なにか新しいことをやってみようとは思っているんですよ。 |