オーボンヴュータン 河田 勝彦 氏

子供の頃、おやじの実家が飲食店だったんです。おやじの作る飯が一番旨かった。そんなこともあってか、高校の頃から少しずつ料理に興味を持っていました。実はあまり高校にも行かなかったんですよ。でも、かわりに毎日図書館に行って勉強していたので、テストの成績は結構よかった。図書館では時々料理の本なんかも見ていました。少し専門的に勉強したいと、大学は農大の栄養課に。粉ひとつ、卵ひとつの成分などもおぼろげに頭に入ると、これ以上紙の上で勉強することもないなあ、実践のほうに行きたいなと2年で大学を辞めて、レストランに就職しました。

入社は東京オリンピックの年なんですよ。当時、菓子屋というのは自分にとって思いもよらなかった部分です。レストランでは最初は当然皿洗いと、皮むきしかやらせてもらえませんでした。でも、入社3,4ヶ月後に、オリンピック村に行くよう命じられたんです。色々な国の人が集まる会場では毎日宴会があって、夜遅くまで料理を作っていました。でもこれはまだオリンピックが始まる前で、なのに自分は風邪をひいてへばっちゃったんですよ。一ヶ月休まなくてはいけなくて、結局オリンピックが開催される時には厨房に立てなかった。ここで、いわゆる挫折っていうものを料理に感じたんです。
さてどうしようかというとき、オリンピック村で僕が料理を作っていた横で菓子を作っている厨房が面白そうだったことを思い出した。これがお菓子の世界へのきっかけです。

やるのならちゃんとやろうと米津風月堂に入ったのですが、この会社が2年で倒産。そのとき給料やら色々もめて、すっかり嫌んなっちゃって、フランス行っちゃえ、となりました。でも、いずれフランスに行こう、というのは料理に興味を持った高校の頃から思っていたことなんです。
フランスでは、びっくりの連続。もう、100%見たことのないお菓子ばっかりでしたから。見たこともない材料、食感。日本にいたときはそれなりに自分は出来ると思っていたのですが、ここにきて、今までの自分のお菓子を、自分の中から全て消しゴムで消しました。ショックも大きかったですが、新しいものを見るのは快感でもありました。だから、「やめた、日本に帰る」とはならなかったです。

とはいってもね、日本にいたときは思わなかったけど、フランスに行ってみたら、自分は意外と引っ込む性格だということがわかったんです。もちろん、言葉がわからないせいもありましたけど、いろんなことをふっ切れて、積極的になるまでには丸3年かかりました。それからは以前にも増してお菓子への興味も広がり、地方のお菓子を求めて旅行をしたり、文献を集めたりしました。全てが順調なわけでなく、ときに落ち込んだときも、誰も助けてくれないときもありました。そんな時にも僕を動かしたのは、フランスの空気そのものでしょう。あの空気の中、日本に帰ろうなんて思いはひとかけらもないままやっていました。

フランスでのお菓子の移り変わりも感じましたね。72、3年ごろまででしょうか、ずっとクラシックなお菓子が主流でした。50年以上変わっていないようなお菓子です。それが、『ルノートル』の製菓学校がスイスのポネという人を校長に迎えた頃からです。ケーキにもフレッシュなものをという流れが出てきて、目に見えるようにお菓子が変わってきたんです。同じ頃から、日本人でフランスにお菓子修業に来る人も出てきて、時々交流もありました。

僕は、いくつか菓子屋を回った後、ヒルトンホテルのシェフに。これが僕のフランスの集大成です。寝ずに仕事して、それまで学んだ全てを出し切りました。自分なりにやることはやったという気持ちになったとき、不思議なんですが、本当にぽこっと、日本に帰るぞと思ったんです。それで、その気持ちに正直に帰ってきたんです。ちょうど10年がたっていました。

こうやって振り返ると、今じゃなくてよかったなあなんて思いますよ。今だったらね、ちゃんとフランス語の勉強をしてから行ったり、向こうですぐ戦力になる実力くらいはつけていかなきゃならないと思う。若い人に言いたいのは、フランスに行ったら菓子なんか見てきてもしょうがないということ。これだったら旅行で充分でしょう。ちゃんと仕事をして、実力を表現し、労働者としての価値を認めてもらい、給料をもらうこと。そうやって生活していく上でいろんなものの価値を見て欲しいと思う。

自分も年をとって、『オーボンヴュータン』に入ってくる若い人との年の差も年々開いていくのを感じます。僕は自分のやりたいこと、作りたい菓子のためにそいつらにやってもらわなくちゃいけないことが色々あるだけで、若手を「育てる」という気持ちなんて持っていません。でも、だんだん引っ張っていく体力もなくなってきているかなあ。だけどフランスで培養した気力は僕の中にまだまだありますから、10年しないうちに、なにか新しいことをやってみようとは思っているんですよ。

オーボンヴュータン
東京都世田谷区等々力2−1−14原田ビル1F
TEL: 03-3703-8428


河田さんの秘密