![]() 晴れてフランスに行き、初めに仕事をしたのはパリの「ミエ」 オーナーのジャン・ミエ氏はフランス菓子業界の重鎮です。「自分が東京でやっていたこととはまるで別世界でした。切り替えはすぐできましたが、向こうでは、ゼロからのスタートでした。」という藤生シェフがパリで最初に作ったのは、シャルロット・ポワール。このお菓子には、やはり特別な思いがあって、今では「フジウ」の看板商品となっています。店の入り口には、なんと!シャルロットのオブジェまであってまさに「初心忘れるべからず」 ![]() 帰国後しばらくは本場の味を忠実に再現していましたが、「今は自分の欲している味、甘さで作ってますね。それが無理のない形ですから。」と味の変遷がありました。シェフはここ数年、伝統的な焼き菓子などクラッシックなフランス菓子に取り組んでいて、お店はそれらであふれんばかりです。そのなかで私達の目を引いたのは、「栗カナコ」というお菓子。すかさず「奥様のお名前ですか。」と聞くと「やあ、娘です。」と照れながら答えてくれました。「10年前のスタイルと今とでは変わってきているし、この先はまた違ってくると思う。」と私達にはすでに完成された形に映るフジウのお菓子ですが、シェフは常に先を見据えているのです。 ![]() 秘密はこちら お知らせ フジウでは奇数月と8月、年に7回お菓子教室を開いています。ぜひご参加くださいとのことです。 取材日 1998年
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