ブーランジェリー ラ・テール 武田 幹夫シェフ |
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<経歴> 調理師学校卒業後、「東京フロインドリーブ」で8年間勤務。 その後「オー・バカナル」に立ち上げから4年半勤務し、「ブーランジェリー・ブルディガラ」代官山店のシェフを2年勤めて、2003年11月「ラ・テール」のシェフに就任。 |
はじめは料理人を目指していました。辻調理師専門学校を卒業し、レストランかホテルに就職しようと思っていたんですが、先生に「パンやケーキもやっておけば後々ためになる」と勧められ、東京フロインドリーブで働くことに。出身は宮崎なんですが、東京で働くようになって、目新しいものはたくさんあるし自分で自由に使えるお給料ももらえるという環境で、1〜2年のつもりが結局そこに8年勤めました。 パンの知識がほとんどないまま入ったフロインドリーブでは、身体で覚えていったという感じです。だから今でも「何グラムで何℃で何分で」と細かいことを教えるのは苦手なんですよ。 |
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その後、いよいよレストランに就職しようと試験を受けたら、その会社がパン屋「オー・バカナル」を開くのでオープンの手伝いをしてほしいを言われました。やはり1〜2ヶ月のつもりだったんですが、池田シェフと一緒にパンを作っていて、やっぱりパンでやって行こうと思ったんです。料理に興味はあったものの、8年間フロインドリーブでやってきた基礎が自分の身についていることを実感したんですね。その後はブルディガラ代官山店でオープン立ち上げから2年間働きました。 ずっとハード系に力を入れた店でやってきたわけですが、ドイツ系のパンにもフランス系のパンにもそれぞれのよさがありますよね。それから天然酵母にも内麦にも。そういういろいろな選択肢の中から、いいものを選んで自分なりにおいしいと思うパンを作っています。 「和」のテイストのものを取り入れるのはお客様に喜ばれるようですし、洋菓子店「ラ・テール」中村逸平シェフの希望でもあります。だからといってあまり「和」に走りすぎないようにはしています。 |
ここは先述の洋菓子店「ラ・テール」の姉妹店なので、オープン時に特に宣伝もしなかったけれどケーキを買いにくる常連さんたちが初めから来てくれているんです。母体があり、客集めをしなくていいという利点はありますが、その分プレッシャーも大きいですね。 洋菓子店「ラ・テール」と同様、素材にはこだわりたいのですが、内麦100%ですべてのパンを作るというのは、金額的にも難しい。だからおいしさを第一に、そして安全も考えて素材を選んでいます。 |
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店の売りでもある石窯ですが、1回で、普通の窯の1段分くらいしか焼けないので、補助的にデニッシュ系などには平窯(普通の窯)も使っています。とはいえハード系とクロワッサンはすべて石窯で焼くんですが、この扱いが慣れないと難しい。クセがあるし、日によって人間の方が調整しないと一定には焼けないんです。平窯のように目盛りで調節できるわけではないし、ほんとうに勘頼りです。 将来的に田舎に戻ろうという気持ちは今のところはないです。果たして自分の作りたいパンが宮崎の人達に受け入れられるかというと、それは難しいと思います。 ブルディガラで少しだけ一緒だった山崎さんは博多のジェラール・ミュロで頑張っていらっしゃって、すごいなあと思います。彼と同じようなパンを作ろうと思ってもなかなかできないですよ、レシピがあっても同じものは作れるものじゃない。もっと一緒に働きたかったです。彼だから、そして博多だからできたことだと思います。 |
当面の目標は、やはり洋菓子店「ラ・テール」のように地元に根付いたお店になるということです。ケーキを買ったお客様が帰りにパンも買いに寄るとか、パンを買いに来た人がおやつにケーキも買うとか、そういう流れが自然にできるようになるといいですね。 あとは、「こういうパンが食べたい」とお客様の方からリクエストがあれば嬉しいです。そういう声を直接聞けたら張り合いもでるし、お客様の期待に応えることが自分にとって一番のやりがいがだと思っているんです。 | ![]() |
2003年3月取材