東京・五反田でフランスの味がするパンに出会った。 飾らないけれど、おいしさがにじみ出る、パンの表情。 力強い旨みがギュッと閉じ込められた、骨太の味わい・・・。 店の名前は「パン オ フゥ」。 “パンの虜(fous)になって欲しい”、そんな意味があるそうだ。 |
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昨年、2010年12月にオープンした「パン オ フゥ」。レンガ造りの石窯を思わせるデザインが目をひく
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パンのラインナップにも、フランスを感じさせる。メインは、もちろんハード系。クロワッサンやパン・オ・レザンといったヴィエノワズリーやカスクルートもあるが、日本人好みのやわらかいパンは少ない。 「もちろん、あんパンを作ってくれという声もあります。でも、実は作り方をよく知らなくて・・・」 と苦笑するのは、シェフの荻原浩さん。長野県で生まれ、食事には白米が欠かせないという、生粋の日本人だ。 |
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シェフ荻原浩さん
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「実は、日本のパン屋さんで仕事をしたことがないんですよ」 パリで修業経験のある職人はもちろん珍しくないが、荻原さんの場合、修業はパリのブーランジェリーのみ。日本では、ロールパンひとつ作ったことがなかったという。それにしても、パリで一からパンを学ぶなんてことができるのだろうか? 「えーと、その前に10年ほどパティシエをやっていたんです」 え? パティシエ?! ますます深まる荻原さんの謎・・・。では、その興味深い経歴についてお話いただくことにしよう。 |
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五反田駅前の雑踏を抜けてしばらく歩いていくと、緑の看板が出迎えてくれる。オフィスビルの中なので、見逃さないように!
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もともと、荻原さんの中にあったのは海外への憧れだった。 「中学、高校くらいからでしょうか。海外で働いてみたいという気持があって。だから、青年海外協力隊なんかにも興味がありました。でも、一番行きたかったのはヨーロッパ。おいしいものが好きだったので、特にフランスへの憧れが強かったですね」 そして、学校を卒業。海外への憧れを胸に選んだ仕事は、フレンチの料理人だった。おいしいものが好きで、料理が得意だったことがその理由だ。 「入ってから1年位経った頃かな? 同じ店で働くパティシエの子がタルトフレーズを作ってくれて。それまでケーキは好きじゃなかったんですが、すごくおいしかったんです」 このタルトフレーズとの出会いは、荻原さんにとってまさに運命的だった。というのも、これがきっかけでパティシエになってしまったからである。 「『こんなおいしいものを、どうやって作るんだろう?』と思ったんですよね」 確かに、同じ"作る"でも、料理と製菓は異なる部分が多い。すっかりケーキに魅せられた荻原さんは、なんと長野から上京。パティシエとして本格的に修業を始めることになった。 |
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ガラス越しに光が差し込む明るい店内。パンは、2階のイートインスペースで食べることもできる
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心機一転、パティシエとして修業を始めた荻原さん。性に合っていたのだろう、すべては順風満帆で、5年半が過ぎた25歳には念願のフランス行きも実現した。 「楽しかったです。老舗店や有名店などで勉強し、さらに旅行に行ったり、おいしいものを食べたり。とにかくそのときは、色々なものを見てみたいという気持が強かったですね」 かねてからの夢を最高の形で実現した荻原さん。もちろん、この時点でパティシエとして未来予想図に曇りはない。ちなみにパンについては、『フランスのパンはおいしい』と感じたが、それ以上ではなかったそうだ。 |
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ハード系は、ルヴァン、カンパーニュ、トラディションなどの生地がベース。ドライフルーツやナッツ入りの食べやすいタイプもあるのが嬉しい
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フランスで充実した1年半を過ごしたのち帰国した荻原さんは、日本で再びパティシエとして仕事を始めた。だが、海外生活が憧れだっただけに、フランスで仕事をした楽しさは心に深く刻まれていた。 「30歳になる手前でもう一度フランスへ行くことにしたんです。ワーキングホリデーの資格が30歳までなので、最後のチャンスだと思って」 そして渡仏。今度の修業先はショコラトリーだった。 だが・・・ 「シェフの引退に当り、お店をクローズすることになってしまったんです。それで、紹介されたのがブーランジェリー。パティシエとして、ヴィエノワズリーの勉強もしたかったし、パンとパティスリーの両方を作ると聞いていたので問題はありませんでした」 |
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新しい修業先は、ショコラトリーで一緒に働いていた仲間がパトロンを務める、オープン間もないブーランジェリー。パトロンといっても、年齢も近く、気心もしれているので、働きやすい環境だった。 「町の小さなパン屋さん、という雰囲気の店でしたね。最初の1年は、クロワッサンなどのヴィエノワズリーを担当していました」 だがそのうち、あの“タルトフレーズ”の時と同じ気持が荻原さんを襲うようになる。 「あるとき、すごく気になったんです。“パンはどうやって作ってるんだろう?”って」 気になったら最後、追求するのが荻原さん。まったくの未経験だったが、“パンの方をやらせてほしい”とパトロンにお願い。すると、意外にもすぐにやらせてくれた。 「やってみた印象ですか? 簡単だな、と思いました。もちろん何もわかっていなかったからなんですが・・・」 もちろん、パンを作ったことへの感動は大きかった。だが、レシピ通りに工程を進めていくのは、思いのほか簡単だったという。大きな苦労もなく、すっとパンの世界に溶け込んだ荻原さんだったが、大変だったのは何十キロもの粉や生地を扱う重労働。正直、パンはやめたいと思ったそうだ。 「でも、あるベテランの職人に言われたことがあったんですよね。最低でも3年間は続けるようにって。壁なのか何かはわからないですけど、その先には何かがあると思い、続けることにしました」 |
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フランス「ピエラル」社のジャムやハチミツも販売。 バゲットにつけて食べたら、おいしそう! |
気が付けば、パトロンがパティスリーを担当し、パンは荻原さんというスタイルが定着していた。 「そのうち、パンが売れるようになってきたんです。道を挟んで3軒先までずらっと行列ができるようになって。それは本当に嬉しかったですね」 行列といっても、日本の人気店の行列とは少し意味が違う。フランス人にとって、パンは毎日欠かせない主食になるもの。本当においしいという信頼がなければ、行列はできないのだ。そんなフランス人からのお墨付きをもらうことで、荻原さんは自信をつけていく。 「フランスでは、ブーランジェリーに文化があるんです。日本でも昔は、空瓶を持って醤油を買いに行ったり、鍋を持って豆腐屋に行ったりしていたそうですが、そういう感覚が残っているんですよね。ブーランジェリーを中心に町が成り立っていて、店とお客さんとの間に信頼関係がある。行列を見ても、毎日来てくれる顔見知りばかりなんです。それが、素敵だと思ったし、自分の自信にもつながりました」 そして、言われていた“最低でも3年間”が過ぎた。 「確かに3年間はそんなに大変だと思わなかったんです。それは、良いパンとは何かがわかっていなかったから。それからは大変でした」 とはいえ、フランス人に行列を作らせるほどの技量があるのでは? 「自信はありました。でも、パンのおいしさは、ある程度、粉で決まるところがある。その裏にあるのが技術で、それを安定的に出すために必要なのが経験だとわかったんです。3年経ったとき、初めて、今まで何気なくやってきた工程の意味に気付くというか、それがつながっていくような感覚を覚えました。そこから新しいものが見えてきたんです。そのときの感動は、最初にパン作りを覚えた時と同じくらい大きかったですね」 本当の意味で、パン職人への道をスタートさせた荻原さん。それからは、試行錯誤の日々が始まった。レシピをひも解き、一からやってみる。気がつけば、すっかりパンの世界にのめり込んでいた。 |
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外からも見える、ドイツ・ミベ社製のデッキオーブン。遠赤外線効果のあるセラミックの人工石炉床が入っているので、中からじっくり火が入るようになっている
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そして、フランスでの4年が過ぎ、日本に帰国。料理人、パティシエ、ブーランジェの顔を持つ荻原さんだが、選んだのは当然ブーランジェだった。 「自分で店を出すことも考えていました。でも、知人の紹介でこの場所を紹介してもらえることになって」 人気ビストロ「ボノミー」のシェフと知り合いだった荻原さんは、その紹介で同じオーナー企業のもと、トントン拍子に「パン オ フゥ」をオープンすることになった。 「駅から遠いし、オフィスビルの中なので、わかりにくい場所なんですよね。でも、手応えはありますよ!」 オフィスビルが多い立地ということもあって、OLやビジネスマンの利用も多い。近くには住宅街もあり、意外にも、年配の方にハード系が人気だそうだ。 |
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人気のランチボックスは、カスクルートに専属パティシエが作るデザートが付いて600円。そのほか、サンドイッチは7〜8種類と豊富なラインナップ
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「もちろん、もっとやわらかいパンはないの?という声もありました。パン・ド・ミは作ることにしましたが、あんパンやクリームパンは出しません。フランスで感じたおいしさを伝えたいというのもありますが、本当に作ったことがないので・・・」
と、苦笑する。
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2階は広々としたイートインスペース。 今後は料理なども出す予定とのこと |
「フランスで覚えた味を伝えたい。まだパン職人ではなかった自分がおいしいと感じた味は、きっと他の人にもおいしいものだと思うから」 フランスで感じたのは、“日常の中にある、飾らないおいしさ”。だからこそ、粉はあえて国産にも挑戦する。 「日本で作るので、国産素材でやってみたいという気持は強いです。今のところハルユタカが多いですが、すごく良いものもあるのでトライしてみたいですね」 だが、ゆずれないのがバゲットトラディション。これだけは、100%フランス産小麦を使う。 「日本の粉でトライしてみたのですが、フランスで食べたのと同じような味がどうしても出せなかったんです」 国産の粉も使うが、あくまでも味の基準となっているのは、荻原さんの中にある味の記憶。おいしさの記憶に忠実に、味や食感を決めていく。 「極端に凝ったり、追求したりということはしません。深く考えず、シンプルにおいしいというものを作りたい。それを日常にしてもらえたら嬉しいです」 |
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バゲット トラディッションの粉は、100%フランス産。一晩、長時間発酵させることで生まれる、コクのある甘みと深い味わいが楽しめる
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オープンして約半年。「パン オ フゥ」は、少しずつ、周りの日常に溶け込みつつある。 「朝早い時間に、『今、朝食用にコーヒーを入れているから、クロワッサンを頂戴!』なんてパンを買いに来るお客さまもいるんですよ」 フランスには及ばないが、“鍋を持って豆腐屋に行く”、そんな古きよき日本のスタイルが垣間見えるような気がした。 |
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トラディションの焼き上がりは1日2回。朝から焼き立てのクロワッサンとバゲットが楽しめるのが嬉しい
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ごく当たり前の日常にパンが作り出す、温かい人間関係がここにはある。 あなたも、そのフゥ(虜)になってみてはいかがだろう。 きっと、おいしさ以上の喜びをかみしめられるはずだ。 |
パン オ フゥ
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住所 |
東京都品川区東五反田3-20-14高輪パークタワービル 1F
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TEL&FAX | 03-5420-5404 |
FAX | 03-3513-7613 |
営業時間 | 7:30〜19:30 |
定休日 | 日曜 |
アクセス | JR五反田駅より徒歩約7分 |
URL | http://www.painauxfous.com/ |
※このページの情報は掲載当時のものです。現時点の情報とは異なる可能性がございますのでご了承ください。 |