ふんわり、なめらかな口当たり。
そして、ゆっくりと鼻腔へと広がる、バターのまろやかな風味・・・。
今、改めて注目されているのが「バタークリーム」だ。
とはいえ、バタークリームに苦手意識を持っている人も少なくない。
それも当然。というのも、おいしいバタークリームは稀だからだ。
おいしいバタークリームとは?
それを探るべく、日本のバタークリームの歴史を知る「コロンバン」東京工場に伺った。


場所は、埼玉県川口市。目の前が小学校の校庭というのどかな場所にコロンバンの工場はある。工場ができたのは1992年。特に目立つ看板などはないせいか、お菓子好きの小学生たちにも見つからずにすんでいるそうだ。
人気の「原宿焼きショコラ」が高く積み上げられた横を通り、工場の中へ。2階の応接室で製造課長の堀江靖彦さんが私たちを出迎えてくれた。

「実は、ここ最近にないほど、バタークリームのケーキが話題になっていて。私たちもびっくりしているんですよ」
元々バタークリームのケーキを作っていた「コロンバン」だが、時代の移り変わりと共に主力は「生クリーム」へとシフトしていった。ところが、昨年の11月に期間限定で「バタークリームロール」を販売したところ、問い合わせが殺到。リクエストに応える形で、今年の1月からレギュラー商品として販売することになったというのだ。

「コロンバン」とバタークリームの関係は、大正時代にまでさかのぼる。
「コロンバン」の創業者、門倉國輝氏が、フランスを訪れたのは1921年のこと。なんと、門倉氏は日本人として初めて菓子製造視察研究のためにフランスを訪れた人物でもあるという。
その当時、フランスのパティスリーで主流だったのがバタークリームを使ったお菓子。初めて食べるそのリッチな味わいに、きっと門倉氏も衝撃を受けたことだろう。

大正10年8月。29歳当時の門倉國輝氏。
渡欧に必要なパスポートに使った写真


なぜバタークリームが主流だったのか・・・。答えは簡単だ。1950年代に入るまで、冷蔵・冷凍の技術がなく、生クリームでデコレーションしたり、美しくムースを重ねたりしたケーキが存在しなかったのだ。おそらく当時は、バタークリームで美しくデコレーションを施したアントルメが、パティスリーの華としてショーケースを賑わせていたことだろう。

そんな中、門倉氏はパリの「ホテル・マジェスチック」、「ジュックス」、そして「コロンバン」で修業を重ね、フランス菓子の技術を手に帰国。1924(大正13)年、東京・大森に日本初の本格的フランス菓子店となる「コロンバン商店」を創業した。当時、コロンバン洋菓子店のお菓子といえば、一部の上流層のみが口にできる貴重な存在。バタークリームのケーキが憧れの的だったことは想像に難くない。

大正13年3月。東京・大森「コロンバン商店」、創業当事の記念撮影。フランス菓子とはいえ、ほとんどが着物姿。これから始まるハイカラな仕事に、胸を高鳴らせていたことだろう。歴史を感じさせる貴重な1枚


1931年になると銀座の街(6丁目の角)にも店を構えたが、藤田嗣治氏による6枚の天井壁画が飾るフランス風サロンでは、まだ日本では珍しかった本格的なフランス料理を食べることができたそうだ。
「ケーキをお持ち帰りいただく際には、箱職人が作るフタのついた貼箱(はりばこ)に入れていました。エッフェル塔の模様がついた包装紙で包み、リボンと熨斗をするというスタイルだったんですよ」
門倉氏は、エコール・ド・パリを代表する画家、藤田嗣治氏や作家、遠藤周作氏らと懇意にするなど広い交友関係を持ち、「コロンバン」は文化人に愛されるサロンとして一時代を築き上げた。

銀座店の外観。「純フランス菓子 コロンバン」の看板の上に立つエッフェル塔がパリを思わせる。アーチ型の窓も洒落た雰囲気

優雅でフランス風のサロン。白黒写真なのでどのような色合いかわからないが、きっと華やかだったことだろう。


門倉氏は、本場フランスの味をもっと日本人の味覚に合うものにと門倉流のフランス菓子を考案した。ご存知“ショートケーキ”や“モンブラン”は門倉氏が生み出したもの。つまり、日本の洋菓子のルーツは門倉氏、そして「コロンバン」にあるといっても過言ではないかもしれない。

現在「コロンバン」では、ある部分では現代風に進化しつつも、しっかりと創業からのレシピや技術を受け継いだケーキを守り続けている。そのひとつにバタークリームがある。門倉氏が日本人として初めてフランスで学んだであろうレシピと作り方を忠実に守り、今も変わらぬおいしさが作られているのだ。
梯子に登り天井壁画を描く藤田嗣治氏を収めた貴
重な一枚。壁画は現在、迎賓館に収蔵されている


「バタークリームのように昔のスタイルを守っているものもありますが、実はレシピがなくなってしまったお菓子も多いんです。今のようにパソコンがない時代のものは、データがなかなか見つからないんですよね」 改めて考えてみると、80〜90年前には当然ながらパソコンなど存在しない。プリントアウトもできなければ、保存しておくこともできない。大切なことを誰かに伝えたいと思っても、手書きの1枚を取っておくしかないのだ。そうなると、残っている方が不思議と言ってもいい。

ところが。
「実は、門倉が生前に書きためたレシピがたくさんあるんです。見てみますか?」
まさか、そんな貴重なものを見せていただけるとは!

「これです」
奥の部屋から現れた堀江さんが両手に抱えていたのは、丁寧に手でタイトルをしたためたレシピブック。数十年前のものとは思えないほど、状態は良く、美しい。タイトルは、「パティスリー モデルヌ」、「菓子のアントルメ」、「料理のアントルメ」などなど。いったい、中にはどんなことが書かれているんだろう。

几帳面さと温もりを感じさせる手作りの装丁


「どうぞ、中を見てみてください」
堀江さんに促され、緊張しながら表紙を開くと、原稿用紙にびっしり書き込まれたレシピが現れた。

思わず感動!手書きの原稿には、その人の想いと
時が閉じ込められているかのような迫力がある


例えば “パン・ド・ポワ−ル”だったらこんな具合。
“・・・ムラングが充分に煮詰まったら予め冷水に漬けておいたゼラチン少量を加える。煮詰まり加減は熟練に依て判別する。”
すべてをきちんとした文章で綴ったそのレシピは、配合と手順で構成された現代のスタイルよりも心に訴えかけてくるものがある。手順とタイミング、門倉氏が経験でつかんだコツのようなものまでが、行間から溢れ出ているようだ。

「パン・ド・ポワール」
“オレンジ1箇の皮をむき、種を去って粒に切り、砂糖をかけ、白葡萄酒をふりかけて放置する・・・”
手順がはっきりと目に浮かぶような、要点を抑えた書き方が印象深い


「こういう本が全部で50冊くらいあるんです。本にしようと思っていたのか、すでに本になったものなのか・・・。こうした文書のほかに、型のコレクションなんかもたくさんあるんですよ」

当時は想像もできなかったであろうお菓子は絵と共に紹介。ゴッフル(ゴーフル)は何パターンものレシピが紹介されていた


日本におけるフランス菓子のルーツを語る、まさにお宝のような品々。ふと、いつの間に時代はこんなに変化したのだろうかという思いがよぎる。携帯電話で写真を撮り、たちまち世界中に配信できる現代からは想像もできない。そんな興奮冷めやらぬパナデリアとは違い、「コロンバン」チームは“へぇ、そんなにスゴイものなのか”という表情を浮かべている。

フランス語でしたためられた目次。なんとも洒落ている


話をバタークリームに戻そう。
ショートケーキやモンブランは今も人気があるのに、バタークリームの人気は時代と共に低迷していった。“バタークリームより、生クリームとイチゴのケーキの方が高級でおいしい”、子供心にそう思ったアラフォー世代も少なくないはずだ。
その理由を考えてみる。コロンバンは何ひとつ変わらなかった。だが、日本のケーキを取り巻く環境が大きく変化していったのだ。

東京オリンピック以降の高度成長期、バターに代わり、安価で使いやすい油脂として登場したのが“マーガリン”や“ショートニング”などの代替油脂。高級なケーキをもっと安価にという思いも重なり、マーガリンやショートニングを使ったバタークリームのケーキが大量に出回るようになっていった。
バターは好きだけど、バタークリームのケーキはちょっと苦手・・・という方は、よく思い出してみてほしい。嫌いだったのは、人工的な油脂のバタークリームだったのでは? もし本当のバタークリームを知らないだけだとしたら、きっと、かなり損をしているはずだ。

とはいえ、コロンバンもその時代を経て今に至っている。油脂についてはどうだったのだろうか?
「元々、コロンバンではマーガリンを使う文化がないんです。ずっとバターで作ってきましたから。軽さなどのためにショートニングを使用することはありますが、バターの代わりにマーガリンを選ぶことはありません。マーガリンを使いたいというと、古株の上司に怒られてしまうんですよ(笑)」
堀江さんの言う上司とは、すでに会社を卒業した諸先輩方のこと。愛社精神に溢れる諸先輩方が今も厳しさと愛情を持って見守ってくれているのだそうだ。

それでは、約90年前の創業当初から守り続けているという、コロンバン秘伝の“バタークリーム”を作っていただくことにしよう。作ってくださるのは、ケーキや焼菓子などの開発に携わる金子さん。コロンバンで約35年間、製造に携わるベテランの職人だ。

約35年のベテラン職人金子さんと
製造課長の堀江晴彦さん



〜 「コロンバン」流 バタークリーム の作り方 〜


・バター(よつ葉無塩)を薄くスライスし、室温に戻しておく
・砂糖、水、水あめを入れた手鍋を火にかける。(焦げないように、途中、水刷毛をする)

・ぶくぶくと泡が出てきたところで、卵黄を入れたミキサーをスタート。ふわふわ、ツヤツヤの白っぽい状態になるまでしっかりと泡立てる。
・シロップが120℃になったら、ボウルの中に垂らすように注ぎいれる。

・ツヤのあるしっかりとした状態になったらスピードを落とし、スライスしておいたバターをちぎり入れる。この見極めは職人の勘!
・すべてを入れ終わったら、バーナーでボウルの周りを温める。こうすることでバターが他の素材と馴染み、よりクリーミーでなめらかな状態になる。

・バターがなめらかなに馴染んだら、ミキサーのスピードを中高速に。

・ツヤツヤの状態になったら、最後はスピードを低速に落とし全体を整える。

・完成!まだ少しゆるくてなめらかな状態でOK。


バタークリームの作り方にも色々あるが、もちろんコロンバンではパータボンブを使った正統派スタイルで作る。しっかりと甘さがあり味も濃厚だが、これこそが王道。ザ・バタークリームだ。

ではさっそく、できたてのバタークリームを試食させていただくことに。ふわっふわ、なめらか〜なクリームは、口どけが良く、しつこさも重さもない。ついつい、お代わりをしてしまうほどの危険なおいしさだった。

できたてのおいしさは、また格別!冷蔵庫に入れる前なのでバターの口どけがよく、気泡もたっぷり


ラム酒で香り付けしたバタークリームを卵黄たっぷりのコクにある生地で包み込む。美しくデコレーションすれば出来上がりだ。

バタークリームロール (¥1,260)

好評のため、カットでの販売も検討中とのこと。
レトロな雰囲気のデコレーションが逆に新鮮

ところで、ロールケーキの上に飾られた小さなバラも、実はバタークリームで作られたもの。職人が花びら1枚、1枚を丁寧に絞って仕上げている。ちょっとレトロな雰囲気が逆に新鮮なのだろうか、若い女性からも“かわいい”と人気が高いそうだ。


昨年の母の日には、このバラを一面に飾ったケーキが登場して話題に。今年も下記店舗にて、母の日の販売が決まりました
池袋東武店/ 新宿小田急本館/ 京王新宿店/ 町田小田急店
浅草松屋店/ 船橋東武店/ アトレ松戸店/ 原宿本店サロン



門倉氏の教えの元、「コロンバン」には緩やかな時間が流れていた。
時を経て、創業者から受け継がれたロールケーキの味は、どこか懐かしく、そして新しい。 泡立てた生クリームを巻いたロールケーキとは違う、職人にしか作れないおいしさがそこには受け継がれていた。




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