Text by Chiemi Sasaki  


ヘルシンキの中心にあるカフェ・エクベリ。店名のスウェーデン語読み方が示す通り、フィンランド独立前の1852年、スウェーデンの影響が残るロシア支配時代に創業した、同国では最も古くからあるカフェ、パン、菓子の名店です。質感のある木やタイルのクラシックな店構え、老舗ならではの風格あるショーウインドウは見もの。ヘルシンキを訪れる観光客なら一度は足を運んだことがあるのでは。


ヘルシンキのエクベリ外観。夏はテラス席も賑わう。


私がエクベリのことを知ったのは、東京の高級スーパー「紀ノ国屋」製フィンランドパンの存在から。日本で早くから世界のパンを商品化してきた紀ノ国屋は、フィンランド人の健康が、毎日食べるライ麦パンによる影響と着目。今から28年前、エクベリにパン職人を派遣し、本格的なライ麦パンの製法を習得、今でもその味を守り続けているそうです。

そんな伝統あるエクベリのベーキングを、この秋教えていただけるイベントがありました。ヘルシンキから5代目のMartin Tkaczickin氏と講師2人(Jani Klemetti氏とSergei Muratovin氏)の計3名が来日。自由が丘クオカスタジオにて、デモと実習を交えながら行われたのでした。その様子を参加者の一人としてお伝えします。


フィンランドのテーブルウエアといえばイッタラ。日本でも大人気ですね。

会場は広々としたおしゃれで設備も申し分ない自由が丘クオカスタジオ。

エクベリから来日した3名。左からJani Klemetti氏、Martin Tkaczickin氏とSergei Muratovin氏。

今回教えてくださるのは3品。ネギとポテトのタルトとカラクッコ、ルーネベリタルトという、フィンランドの特徴的なスナックとスイーツです。

まずはカラクッコから。カラクッコと聞いてどんなものか知っている人はかなりのフィンランドフード通。お魚(カラ)をライ麦生地で包み焼きしたもの(クッコ)なのですが、一般には小魚を何匹も重ねて包むので出来上がりの断面に一瞬びっくり。ちょっとしたネタにもなるのですが、その見た目に反して、魚好きの日本人ならはまってしまう美味しさ。フィンランドに行くたびに食べるという人もいるほどです。実は私もその一人。それが今回の講座でプロから習えるのだから期待に胸が膨らみます。

カラクッコは湖の点在するサヴォ地方の伝統食。とはいえ低温のオーブンで半日かけて焼く手間から、自家製を売るところは専門店くらい。エクベリでもカラクッコは作っておらず、今回のデモンストレーションはスペシャルなのだそう。時間がかかるので開始早々、作業が始まりました。


サヴォ地方の町サヴォンリンナの市場で人気のカラクッコ屋さん。断面に小魚がぎっしりの看板が目印。

セルゲイシェフがライ麦粉主体の無発酵生地を広げたところに、小魚とラード、塩を交互に重ねていく作業を参加者がお手伝い。フィンランドではムイックという淡水小魚を使うところをワカサギで代用。魚にお肉を合わせるなんて驚きですが、淡白な淡水魚がラードのコクで美味しくなるのだとか。うまく包んだらオーブンで焼き始めます。高温から中温、低温へ、温度を下げるごとにたっぷりバターを塗りじっくり中まで火を通していきます。ただでさえ火通りの悪いライ麦粉、おまけに無発酵、大量の具は生なのだから時間がかかるのは当たり前。オーブンの中では蒸し焼き、揚げ焼きの両方がなされているのでしょうか? 重さ約2kgあるカラクッコの姿は見応えがあります。


事前に仕込んでおいたカラクッコの生地をこれからのばす。


すっぽりと包んだら焼成中に漏れないようにぴっちり生地をはりつける。


のばした生地にワカサギとラードを重ねていく作業ではちょっと不思議な気持ちになる。



溶かしバターをたっぷり塗る。これでカリッと香ばしいクラストが出来る。


カラクッコを焼いている間に2つ目のメニュー、ネギとポテトのタルトの実習に取りかかりました。仕込み済みの生地を丸くのばして、バターで香ばしく炒めたネギとじゃがいも、卵をつぶし混ぜたフィリングをのせ、もう一枚丸くのばした生地で蓋をして焼くというもの。まずシェフのお手本を見て、テーブルごとのグループに分かれての共同作業は和気あいあい。フィンランド、北欧好き、ベーキング好きが集まっているから、会話のきっかけもすぐに見つかります。

型を使わないで作るタルトは見た目もシンプルで新鮮。生地には本来クワルクチーズを使うところ、日本では手に入らないからと、ギリシャヨーグルトで代用のレシピにアレンジしてくださったのもありがたい。これなら家でも実践できそうです。フィンランドではこの生地で他にミートパイや甘い具も入れて作るそう。応用のきく生地なのですね。


じゃがいもとねぎの具に卵を混ぜて〜大胆ですが手でつぶすのが一番おいしくできるのだとか。



蓋生地をし、フォークで模様を付ければ見た目もかわいい。


液体の具ではないので型がなくてもできる。塗り卵で蓋になる生地を接着。


タルトが焼きあがるまで、Martin氏からエクベリについての紹介が映像を見ながら行われました。
「1847年にFredrik Edvard Ekbergが、ロシアのサンクトペテルスブルクでベーキングを学びに行ったことがきっかけで、1952年ヘルシンキで創業。1910年代に現在の場所に移転をし、今日に至っているそうです。2012年には160周年としてノスタルジックパティスリーを展開。150年前のお菓子を復活させました。冷蔵庫などなかった時代なので、バタークリームやキャラメル中心のお菓子ですが懐かしいと好評です。また夏は口当たりの軽いもの、ブルーベリー、秋はりんご、冬はチョコレートなど、季節ごとのフルーツや素材を使ってお客様にベストな、喜ばれるものを提供しています」
エクベリを訪ねたとき、ショーケースに並んでいたクラシックなナポレオンやシャンパーニュコルク(サバラン)といったケーキはその‘ノスタルジックパティスリー’だったのですね。(エクベリについては今度北欧記事で紹介するつもりです)


エクベリの展開するノスタルジックパティスリー(映像)

5代目としてエクベリの歴史を紹介するMartin氏。


「1987年に紀ノ国屋さんがライ麦パンの製法を習得しに来られました。今でも作り続けられていてうれしいです。実は海外でのセミナー開催は今回がはじめて。なにしろ素材が日本とフィンランドでは違うので、ちょっと工夫するする必要がありました。それで思い出したことがあります。1980〜90年代に日本から出店のオファーがあったのですが、その時は本国と同じクオリティができないだろうとお断りしたのです。今は流通も良くなったのでフィンランドに近い味を再現できるようになりました」とMartin氏。その時と状況を冷静に判断された采配はさすがです。

焼きあがったタルトでランチ休憩。各テーブルで作ったものを囲んで切り分け、みんなでいただくタルトは熱々、フィリングのじゃがいもはほくほく、火を通したネギの甘味と生地のサクサクが癖になるおいしさでした。


焼きあがったネギとポテトのタルト。

温かいところをカットして、きゅうりのピクルスを添えてランチに。


3品目はルーネベリタルト。フィンランド国歌の作詞をしたルーネベリの大好物として知られるお菓子で、フィンランドでは彼の誕生日である2月5日を祝い、2月になると菓子屋のみならずスーパーやパン屋でも販売される人気の行事菓子です。

ヤニシェフがミキサーで生地作りから仕上げまでをデモンストレーション。そして参加者は仕上げのラズベリージャムとアイシングのデコレーションを実習しました。
「焼いてからシロップをしみこませるのですが、お店では2種類用意していて、今日このタイプをフレデリカ、シロップに浸さないタイプをルーネベリとしています」
フレデリカとは奥さんの名前。彼女がルーネベリのためにこのお菓子を作っていたというストーリーは国歌とともに有名なのです。日本では、鉄火巻と勘違いされるArabiaのマグカップが有名ですが!


型にルーネベリタルトの生地を絞る。



トップにラズベリージャムを丸く絞り周りをアイシングで囲えばできあがり。


ラムシロップに焼き上がりを十分しみこませて。


これで講習メニューはすべて終わりと思いきや、もうひとつお二人のシェフからサプライズが…。何やら丸形にバターを塗り、予定にないお菓子を出したのです。前日の講座で作ったシナモンロールの余りを手でちぎって型に詰め、間にラズベリージャムを絞り、プリン液を流して焼き始めました。オーブンから漂うカルダモンとシナモンの香りがたまりません。
「このプディングはカフェのランチデザートに登場することもあります」
フィンランドでは余ったものも無駄にはしないのですね。


サプライズの追加メニューは前日のシナモンロールで作るパンプディング。卵液を流してオーブンへ。

焼き上がりはこんがりいい香り。


長時間焼いたカラクッコもオーブンから出し落ち着かせました。
さあ、待ちに待った試食です。
カラクッコにナイフが入ると、みなの注目が集まります。まだ温かい生地からワカサギが顔を見せ、何とも言えない香りが広がりました。
サワー種もイーストといった膨張剤を使わないのに生地のクラムはしっとり、表面はカリッ! そしてワカサギやラードの旨味を吸い、渾然一体となったカラクッコはベーキングの醍醐味。日本の食べ物に例えるのは難しいけれど、おやきやおにぎりのような、主食と具をうまくまとめた温かみのある食べ物に思えます。ピクニックに持って行き手で食べるという点も似ていますね。


指でカラクッコの焼きを確認。

カラクッコの断面。小魚とラードが何層にも重なる様はちょっぴりシュール!?


食べている間、シェフたちは特製ドリンク「コティカルヤ」を注ぎまわってくれました。コティカルヤはフィンランドでは食事と一緒に飲む伝統的なドリンク。ライモルトと水、砂糖、イーストで微炭酸に作るほんのり酸味とぴちぴち感のある甘い麦茶のような味でした。

自分でデコレーションしたルーネベリタルトと、サプライズのシナモンロールプディングにはヴァニラ風味のホイップクリームが添えられました。

どちらもしっとり、風味よく、甘さもほど良く、ここでしか味わえないフィンランド菓子に「美味しい!」の声が。休憩をはさんでの5時間はあっという間。


一人一人に配られた試食。左奥がカラクッコ、手前左がルーネベリタルト、右がシナモンロールプディング、茶色いドリンクはコティカルヤ。どれも美味しくいただきました。


この企画をされた宮下なつめさんは、大好きなフィンランドを度々訪れ、お世話になったフィンランドに恩返しする思いで食の交流を行うオフィスヴァロを立ち上げた方。フィンランドから日本へ本物の食文化を伝えるプロを招いたり、日本からフィンランドへ料理人を紹介するコーディネートをされているそう。今後もその活動が広がり、両国の豊かな食文化が新たな良いものを生み出していくといいですね。

この講座を企画された宮下なつめさん(左)とその隣はパティシエールで助手を務められた 遊馬光季(ゆうまみっき)さん。Martin氏(右)の隣は料理研究家・ライターの田内しょうこさん。この日は通訳を務めてくださいました。



「Ekberg」の公式サイト(英語あり)とfacebook
 http://www.cafeekberg.fi/
 https://www.facebook.com/ekberg1852/timeline





Panaderia TOPへ戻る