取材・文 佐々木 千恵美  


サワードゥと聞くと、ドイツのライ麦パン作りに必要な、ライ麦粉で起こした酸っぱい発酵種のことを思い浮かべる日本人が多いと思います。でもそれだけではないんです。ベルギーに本拠を置くピュラトス社運営の‘サワー種ライブラリー’に2017年6月、銀座木村家の「酒種発酵種(さかだねはっこうだね)」の収蔵が決定しニュースになりました。

えっ、酒種ってサワー種なの?

それに‘サワー種ライブラリー’って何?

そもそもサワー種って…? 

そんな疑問とパンの未来についての取り組みを、外苑前にあるピュラトスジャパン株式会社 東京イノベーションセンターでレクチャーいただきました。

ピュラトスとは、パン・洋菓子・チョコレートを扱うプロフェッショナルを対象に、原材料を提供する1919年創業の、ベルギーを拠点に世界100カ国以上で製品やサービスを展開するインターナショナルカンパニーです。日本ではベルコラーデやショコランテなどのチョコレート分野で知られているかもしれませんが、実はパンの分野から始まった会社なのです。ただ原材料を売るのではなく、活用法や研究、情報提供といったサービスまで担うことで、双方より良い製品作りにつながる考えから、世界に81以上のイノベーションセンターが設けられているそうです。


イノベーションセンターのパンやお菓子に関する興味深い展示品。

その中にはサワー種関係の本も。


まずはサワー種のことから伺いました。
歴史を紐解けば、自然界に存在する微生物が粉と水を混ぜたものの発酵を促し膨らんだことから発酵パンが生まれたわけですが、顕微鏡の発明と19世紀中頃のパスツールの微生物研究によってパンが膨らむ理由が発見されると、パンを膨らますのに適した酵母の培養技術が進んで工業的にパン酵母が生産。パン屋さんはそれを使うことで失敗しない代わりに、手間がかかって難しい昔ながらのサワー種によるパン作りは忘れ去られてしまいました。
しかし近年、パンの美味しさはサワー種が生みだす香りや旨味にあると知った人々は、再び昔のやり方でサワー種(発酵種)を起こしパンを作るようになりました。粉と水を混ぜ野菜や果物、穀物などに付着している多種多様な微生物(乳酸菌、酵母)によって発酵させたものがサワー種で、ドイツでサワータイク、アメリカでサワードゥ、フランスでルヴァン、日本でパン種や発酵種、と呼ばれています。日本で一般的に天然酵母と呼ばれるパンですが、本来、酵母に天然も人工もなく、また酵母だけでなく共存する乳酸菌の影響も大きいので、発酵種と呼ぶほうが望ましいと言われています。

サワー種がパンのおいしさを支える。

研究開発部の山本麻里さんからサワー種のお話しを伺った。


味わいを深める乳酸菌と香りを引き出す酵母の相乗効果で、複雑な風味と味わいが魅力のサワードゥブレッドは、ここ数年世界で広まり、2014年から2018年の5年間で市場は2倍に。そういえばフランスでは天板いっぱいに大きく焼くルヴァンブレッドが目立つように思われますし、北欧でもサワー種のパンは大人気。日本でも大手流通メーカーがルヴァン種入りパンを売り始めるなど、いつの間にかサワードゥブレッドが身近な存在になってきていますよね。そうはいっても日本でサワードゥブレッドというパンを知っていると答えた人は16.4%にしか過ぎず(*2018年7月のインターネット調査による)、欧米に比べたら認知度はまだまだ。逆に伸びしろは十分あるということです。


日本での好感度と認知度アップは、やり方次第で期待できるはず。


サワードゥブレッドが放つ複雑な香りは、美味しさを感知する嗅覚に訴える。



ピュラトスではサワー種をより深く知るために、大学や世界各地のベーカーと協働で研究。サワー種の菌叢を調べてみると、土地(環境)や作り手と密接な関係があることがわかったそうです。同じ原料の粉で種を起こしても、風土や作り手の手が様々な微生物を持っていたため、それぞれの地域で種を継いでいくうちに違う性質になったそうです。
あるパン屋さんではパネトーネ菌を一年に一度リフレッシュしにイタリアに行くと聞いたことがあります。それがわかるほど環境で性質がかわるのですね。


パンに複雑なフレーバーと旨味をもたらすサワー種は魅力だけれど、良質で安定した種を作るのは案外大変なこと。それをサポートしてくれるのが「サポーレ」というピュラトスのサワー種製品。「サポーレ」は世界各地から厳選した乳酸菌・酵母の菌株を使用し製品化したもので、本拠地ベルギーではなんと18種もの製品を展開。日本ではそのうち6種類を販売されているとのこと。

液状と粉状、活性ありとなし、小麦、ライ麦、デュラム小麦をベースに、カルメン、オラコロ、フィデリオ、サロメ、トラビアータ、トスカと、それぞれオペラにちなんだ名前が付けられています。


実際どんな特色が出せるのか、お馴染みのパンに使って食べ比べてみました。

まずは食パンを4種類。ひとつはサワー種を使わないもの。その他3つには3種の異なるサワー種を入れ、他の条件は統一し焼き上げたもの。並べられた食パンは見た目では色や内相が微妙に違うくらいですが、香りは明らかに違いました。食べてみるとその差はさらに広がります。サワー種なしのものは乳や砂糖など副材料の香りと甘みを感じる一般的な食パンでしたが、1のカルメン使用はまろやかできめ細かな食感と粉の香りがふんわりやさしく、2のフィデリオ使用は口に入れた途端にきゅんと酸味が広がり、3のサロメ使用は香ばしさ、コクのある味わいと甘みが印象的。

食パンの食べ比べ。左からコントロール(サワー種なし)、カルメン、フィデリオ、サロメ。色の他、内相も少し違いがみられる。


各サワー種の特色をもう少し説明すると…
カルメン:パネトーネ種からパンに最適な菌株を採取・培養した、乳酸菌による発酵生成物のデキストランを含む液状活性サワー種。まろやかな風味となめらかな食感、しっとりふんわり感が特徴。
フィデリオ:サンフランシスコサワー種から菌株を採取・培養し、シャープな酸味が特徴の液状サワー種。キレのある酸味と、際立つ濃厚感が特徴。
サロメ:デンマークのライ麦ベースのサワー種をベースに、モルトエキス・糖蜜を加えた液状サワー種。黒ビールのような深みのある色付き、モルト香とほんのり甘い味わい、しっとり感が特徴。

試食した食パンに特徴が良く出ていることがわかります。

次はバゲット5種類で比較。ひとつはサワー種を入れないもの。それ以外には、フィデリオ、オラコロ、トラビアータ、トスカをそれぞれ使用し、見た目と味の違いをチェック。内相にも多少の違いを見ましたが、香りと味わいがまるで違うことに驚きました。
食パン同様、フィデリオは香りも酸っぱく噛むごとに唾液が出てきます。オラコロはおせんべいのような香りでもっちり。パン好きが好むコクもあります。トラビアータは芳ばしく軽い口当たり。今風のバゲットに感じる穀物の香りが印象的。トスカを使ったものは、酸味はマイルドだけど味わいは濃く、テクスチャーはイーストだけのバゲットに近いと感じました。

バゲット比較。左からコントロール(サワー種なし)、フィデリオ、オラコロ、トラビアータ、トスカ。やはり活性ありのオラコロの内相は特徴がある。


オラコロ:フランスのルヴァンから培養して生みだされた、芳醇な味わいのライ麦ベースの液状活性サワー種。もっちり食感とライ麦由来の華やかな芳香とさわやかな後口が特徴。
トラビアータ:ライ麦粉を最良な酵母と乳酸菌で長時間発酵させた液状サワー種を乾燥・濃縮し、粉末状に。芳ばしさと爽やかな酸味を付与し、軽い食べ心地に仕上げます。
トスカ:豊かな大地と太陽の恵みから生まれた、タンパク質を多く含む硬質のデュラム小麦から作られる液状サワー種を乾燥・濃縮し、粉末状に。酸味はマイルドで、力強い穀物の香り、デュラム小麦らしい腰のあるもちもちした食感を付与します。


3つ目はクロワッサン。
サワー種なしのものと、フィデリオを加えた2種類で比較です。断面を見ても生地の上がり方が違いますが、香りと味わいの違いに驚きます。食パンやバゲットでは酸が際だつ味わいでしたが、クロワッサンでは、そのシャープな酸がバターのリッチ感をキレのあるおいしさにグレードアップ。クリームソースをレモン汁で引き締めるような、後を引くクロワッサンになりました。この感じ、どこかで食べたことがあります。美味しいお店はとっくにサワー種の相乗効果を知っているのかも。

クロワッサン2種。左がコントロール(サワー種なし)、右がフィデリオ使用。*発酵バターの使用を売りにするお店はありますが、サワー種で風味の違いを打ち出すお店はまだ少ないのでは。


サワー種は、パンの香りと食感を幾重にも作り出すことができる。つまり美味しいパンのデザインをサポートする素材なのですね。ちなみに「サポーレ」シリーズのサワー種は種おこしや種継ぎ不要。そのままいつものパン酵母と一緒に使えます。違う種類を組み合わせることもできるので創作は無限大。まるで合わせみそ感覚ですね!

セミナー後はサワー種やカスタードクリームミックスなど、ピュラトスの製品を使ったパンのランチョンビュッフェ。ブリオッシュのオープンサンドやシリアルブレッド、デニッシュペストリーなど、食事系白いパンからシリアル入りのヘルシーなパン、食後を楽しむスイーツなパンまで華やかでバラエティ豊かなパンについ手がのびます。

ランチョンビュッフェのテーブル。パンの香りと食感を活かしたパン数種をコーディネート。

「サポーレ」シリーズのサワー種も並べられ、香りと味を確認。


さて、話は冒頭の‘サワー種ライブラリー’に戻ります。
ベルギーのセント・ヴィッツという町にあるピュラトスの「ブレッド・フレーバー・センター」内に2013年、開設した「サワー種ライブラリー」は、世界各地から収集した貴重なサワー種を保管、研究しています。
伝統を守っていくと共にサワー種を使った製パンの知識を守り続けることに加え、新たな製品の開発にもつながっていくこのライブラリーに、銀座木村家の「酒種発酵種(さかだねはっこうだね)」が加わったということは、日本のパン文化が世界に認識されるきっかけにもなるはず。

「サワー種ライブラリー」には、現在108種のサワー種が登録されており、日本のサワー種(発酵種)収蔵数は1種。収蔵されたサワー種は4〜5℃で冷蔵管理、2か月に1回のリフレッシュを行うほか、−80℃で菌株も保管。万が一本国の種が消滅しても、この保管庫の種から再生が可能だとか。



商品内容など詳細は下記サイト等でご確認ください。



ピュラトスジャパン株式会社
 https://www.puratos.co.jp/ja



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