アンデルセン 青山アンデルセン
児嶋弘志さん

<経歴>
高校卒業後からずっとアンデルセン一筋。
現在青山アンデルセンのシェフ・ブランジェを務める

   




宮崎の田舎出身で、小さい頃から物を作ったりすることや、食べることが大好きだったんです。家には七面鳥やニワトリもいて、行事の時には父親がさばいて庭で採れた薬味を使って料理してくれました。そのうち自分でもさばいてみたり、時には燻製なんかも作りましたよ。男の子のくせに台所で母親の仕事を見たりして、見よう見まねでプリンを作ったこともありました。そういうところが、私が食に関わっていった原点じゃないかと思います。


高校では食品を専攻し、本当は料理人希望だったんですが、アンデルセンへ就職してパンの配属になったんです。その頃は東京へ出てきても何年か働いたら田舎へ帰るというパターンが多かった時代で、自分も3〜4年間修業して帰るんだろうと思っていました。 でも気づいたら4〜5年経っていた。途中で辞めようと思わなかったんですね。少しずつパンの道にはまっていってしまったという感じです。 それに仲間との連帯感やライバル意識、昨日よりも今日はもっといい仕事をしたいという気持ちがあったから、自然に続いたんだと思います。

入社して10年くらい経った頃、海外で研修させてもらうチャンスがあったんです。それまでも諸先輩たちが築いてきたものがあるんだから、そんなに日本と大差はないと思っていたんです。ところが全然違ったんですね。本場で見たのは大きくてかたくて酸味も強い、パンそのものの迫力が違うんです。どうしてこんなパンが主流なんだろうと不思議に思いました。それでも食べているうちに、その土地の食事に合うのはそういうパンなんだとわかってきたんです。それで、パンだけを持ってきてもだめだ、パンを含めた食生活全般を提案していかなければいけないと実感しました。 海外へはフランスやドイツなどいろいろ行きましたが、印象深かったのはエジプトです。ミイラと一緒に発見された数千年前のパンが、いまだに現地の人によって作られ、食べられている。こういう素朴なものがパンのルーツなんだ、と感動しました。


また逆に、フランスなどで新しいパンを見ると、品質の向上とともに人の質も向上させなければいけないな、と思います。今は大量生産の時代が終わり、本当にいいものが残っていく時代ですから。よく若い人達に言うのは、パンを作る技術だけでなく、原料や機械・器具にも興味を持ち、気を配るようにしなさいということです。マニュアルがあっても自分でにおいを嗅ぎ、手で感触を確かめたりするのは当たり前です。自分達が使う機械や器具についてもどういう構造になっているのか知ってほしいし、熱をもっていないか、汚れていないかと意識してほしい。そういうところでその人の技術というものが養われるんだと思います。同じレシピ・材料・時間でパンを作らせると、本当に個人の特徴がでておもしろいんですよ。

この青山店では、地下1Fと4〜6Fに製造室があり、作ったものをすぐに店頭で売るというしくみになっています。 気をつけているのはやはり安全性とおいしさです。これは広島から始まった創業当時から変わらないことではないでしょうか。それから、日本に初めてデニッシュペストリーを紹介した当社としては、ヨーロッパの食文化を伝えたいという思いも代々受け継がれているものです。ですからリーンな食事パンにしても、食べ方も含めて提案しています。アンデルセン発祥の地、広島アンデルセンではその考えに基づいて、パンに合う食材の販売、食器の販売、レストラン、ウェディングやフラワースクールなども行なっているんですよ。全ての店舗で全く同じようにできることではありませんが、そういう姿勢は会社全体で伝えて行きたいと思っています。そのために自分が日々できることはおいしいパンを焼くことですが、それに加えて積極的にお客様の要望を取り入れたり、ヨーロッパの伝統・行事のパンを作るようにしています。

今後作りたいパンとしては、少々個人的ではありますが日本の食文化に合ったパンを作りたいと思っているんですよ。日本には世界中のパンがありますが、みなその国の名前を持っていますよね、だから日本オリジナルの定番パンを作れたらいいなと思います。 それには日本の気候・風土、そして国産の素材といった条件も関わってくると思います。日本は技術的にはかなりレベルが上がりました。これからは外国のパンを上手においしく作ることに加え、この国独自のパンづくりというのも発展させていきたいですね。



2003年3月取材


アンデルセン 青山アンデルセン
東京都港区南青山5-1-26
児島さんの秘密