アニバーサリー 本橋 雅人さん
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まだ26才のときに、ある店でシェフパティシエになったんです。26って、まだ先輩に教わる年だと思っていたのに、教えなくてはならない立場になってしまったんですね。それで、何か"自分のスタイル"を作りたいと思っていたとき出会ったのがシュガークラフト。ウエディングケーキを作るなかで出会ったんです。 例えばシュガーは、飴やマジパンよりずっと本物らしい花が表現できる。そんなことにはじまり、ウエディングケーキを飾る可能性がぐっと広がると思ったんです。それで、もともと好きだったウエディングケーキを極めるためにシュガーを本格的に学ぼうと、イギリスに渡りました。 イギリスにいれば、近いからフランスに遊びに行きますよね。同業者で渡仏している友達に会うと、「おまえ、イギリスなんかで何やってるの?」と言われることはしばしばでしたよ。だって、「ケーキを学び」にと言えば普通、フランス、せいぜいドイツくらいでしょう? イギリスはありえない。でも、シュガーが発達していることに加え、自分としては、人がまず行かない場所というのもいいと思っていたんです。人と同じことはやりたくない、というのが気持ちのどこかにあったから。だからね、"本物のウエディングケーキを作る店"を、早くやりたかった。誰かに先を超されちゃわないうちにね。 日本に戻って店を出しました。その頃はバブル真っ只中。ウエディングケーキは高く高く積み上げられ、実際は食べられないというのが圧倒的な主流でした。でもその時代はいつか終わると確信していたんです。 店を、ウエディングケーキ専門にするつもりはなかったですね。まずは通常の小さいケーキを召し上がって頂き、それを美味しいと思ったお客様がウエディングケーキを注文してくださると思っていたから。でも、開店しばらくは、この小さいケーキしかでなかった。ウエディングのほうは月にたった1台というのもざらで、自分で作って自分で届けていましたよ。当時、ホテルに食い込むことも不可能でしたね。 流れが変わったのは、バブルが崩壊して、ウエディングのスタイルが変わったことと、本物志向のお客様が増えたことかな。ブライダル雑誌など、メディアの力も大きいです。いまでは一日に80台が出ることもあります。開店当時4名だった製造スタッフも、37,8名います。でも、どんなに売れて忙しくても、絶対一つ一つ手は抜けません。自分達には一日80台でも、それぞれのお客様にとってはたったひとつの記念のケーキですから。
近い将来、ハワイに店を出すことが夢。実は、もうほとんど決まりかけていたのですが、テロ事件で延期になってしまったんです。ハワイにはオープンエアのカフェも併設したいですね。楽しそうでしょう?楽しみながら仕事をすること、これは自分の絶対の原点なんです。 アニバーサリー |