ベルグの4月

山本 次夫 氏

帝国ホテルで6年勤めた後スイスへ。ジュネーブのベルグホテルなどで働き、カナダへ。ホテルやドイツパンのお店でお菓子を作るなど様々な経験を重ねた計8年の海外生活の後帰国、「ペリニョン」、「カトリーヌ」で働き、「パティスリーキハチ」ではオープニングに携わる。88年「ベルグの4月」をオープン。


美しい並木道を歩いていくと黄色いひさしの「ベルグの4月」はある。日本で一番社長さんが多いという上品な住宅街の並木道。いかにも美味しい洋菓子屋さんにふさわしい場所を選んだんだなあ、と思わせる立地だ。
 
オーナーシェフの山本氏は、中学高校時代に4年間、学校に行く前に市場でアルバイトをしていた。そこで魚やフルーツといった食品を取り扱ったのがそもそものきっかけで、その後飲食関係に進んでいくことになる。24才から8年間、スイスやカナダでお菓子を学んだ経験はもちろんお菓子作りにも反映されるが、外国人の友人とのアパート生活などで学んだ人生経験は、「人生遊び!」と言い切ってしまう氏のその明るい性格を生み出したようでもある。
 
「素材にはこだわりたい、けれどもこだわりきれない」と氏はいう。せっかく見つけたヨーロッパのような酸っぱい、生では食べられない加工用の北海道のリンゴも採算が合わないと農家が生産を中止してしまった。小笠原で取れるパッションもである。素材探しは大変だが、まず使ってみたい素材ありき、の氏は、原価計算より何より美味しいものを追求していく。お客さんが買えなくては意味がない、利益率は低くてもマイナスでも、丼勘定で大きく見て帳尻があえばいい、という。そしてせっかくの素材の味がいきるようにクリームはあくまで軽く。使っている生クリームは35%だ。作り始めた当時、35%の軽いショートケーキは業界で驚かれたという。
 
味は素直に「美味しいかまずいか」だけ、自己満足に終わらない美味しいと思うものを作っていくという氏は、外国で学んだものをそのままかたくなに、これが本場のもの、と取り入れたりはしない。こっちのほうが美味しい、というものを絶えず求め続けている。飽くなき追求である。看板商品の「マロンパイ」でさえ、もっと美味しい素材に巡り合うと味を変えてしまう勇気がある。本場は真ん中がへっこむチョコレートケーキだといわれても、こっちのほうが美味しい、と「ベルグ」のようなしっかり焼き込まれたチョコレートケーキを作り出す。そしてその味覚に狂いはなく、人気商品になる。
  
「この土地を選ばれた理由は?」きっと、生活した外国に似ていたとか、高級住宅地という地域性なんていう答えかなと期待していた私たちは大いに裏切られた。「本当は都心に店を出そうと思ったけど、当時はバブル、高くて高くて。たまたま散歩して通りかかったここに汚い家が建っていて、工事の看板が出ていた。テナントを募集していたから、ここいいかなと。本当に何にもないところだった」あえて選んだわけではなかったこの土地も、今はすっかり変わり、文頭のような高級住宅地だ。
駐車場になっている、当時草ぼうぼうだった隣の土地に、来年早々工場と店舗を拡大する。「場所がなくてやれなかったことがいくつか出来るようになる」と、「また借金だよ、崖っぷち人生」といいながらも、とても嬉しそうな山本シェフである。
将来、この店を引退したら奥様と2人、使用人は誰も使わず「ベルグ」と「マロンパイ」と「ショートケーキ」3種類だけを作るお店をやりたいそうだ。「なかなか引退もできなそうだけど」と笑う山本氏、大御所シェフなのに気取りが全くない、インターナショナルなダイナミックさを感じさせる人物であった。
取材日 1998年



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