2007年8月。埼玉県庁近くの街道沿いに、オレンジ色のファサードが鮮やかなフランスらしいパティスリーが出現した。いや、この店に限っては“らしい”というあいまいな言葉は必要ないかもしれない。外観からインテリア、お菓子のラインナップやデザインまで、どこをとってもフランスそのものだからだ。
「中途半端なことが嫌いなんですよ。どうせやるならとことんまでパリのパティスリーを表現したかったので」
と、オーナーシェフの興野 燈さん。




店のイメージは始めからあったんです。でも、いざ工事業者さんに伝える段階でパティスリーの外観写真ぐらいしかないことに気づいて。もっと具体的に説明するには、もう現地に行くしかないからって、パリへ飛びました」
「滞在したのは10日間。その間、気に入った建物や看板や細かいパーツを見つけてはひたすら写真を撮っていました。それから計測も。メジャーを持って行って、扉の高さとか窓の大きさとか、照明の角度とかを調べたり。もちろん、道具を買ったりお菓子を見たりもしましたけど、パリジェンヌには目もくれなかった(笑)」
「帰国後は、すごくスムーズでしたね。窓は床から何cmの高さにして下さいとか、○○色にして下さいとか、具体的に話すことができたので。デザインや細部のデコレーション、ショーケース、照明など、全て僕が選んだんです」

取材を始めて早々にこの話しぶり。エネルギッシュで体中から次々と言葉があふれ出してくる、そんな印象だ。実際には、そこまで厳密に再現しなくても充分フランスらしさは伝わると思うのだが、本人的には納得がいかないらしい。そんな凝り性の興野さんのパティシエ人生も、相当密度が濃そうだが・・・。

ホワイト×オレンジ×ダークブラウンの色合いがお洒落なマカロンツリー


「小さい頃からケーキは大好きでしたね。“今日はショートケーキがあるよ”って言われたら、遊びにも行かないで家に帰っちゃうくらい。だって僕たちの子供時代っていったら、ショートケーキは最高のご馳走で。誕生日とか記念日とか、いわば、ハレの舞台にしか食べられないものでしたから。ケーキ屋以外にも、パイロットとかホテルマンとか俳優とか。非日常の空間で夢を与えてくれる仕事に憧れましたね」

“夢”や“感動”に強く反応していた少年が結果的に選んだのは、ホテルのパティシエだった。高校卒業後に新宿の京王プラザホテルへ。しかし普通なら、まずは専門学校に入って知識や技術を習得してから就職を、というパターンが多いのでは?

「そういう発想は全くなかったですね。手に職をつけるなら、とにかく早いほうがいいんです。学校で習うよりは、現場で勉強しようと思っていましたので。ホテルを皮きりに、地元、春日部の店や、「パティスリー・レカン」、時にはスキー場でもパティシエとして働きました。働きながら常に考えていたのは、自分の店を持つこと。19、20歳の頃から、“お店持たなくちゃ意味がない!”なんて、生意気なこと言っていましたね(笑)」

フランス修業時代には、洋菓子の世界大会「ガストロノミック・コンクール・アルパジョン」ショコラ部門で優勝。ショコラにはひと一倍思い入れが強い


自分の感動を伝えるためには自分の城を持つしかない。その夢を描きながら、様々なジャンルの店で経験を積んでいった。次第に、自分の中で足りない部分が明確になっていく。それは、

「やっぱりフランスに行くしかない!っていうことですね。もちろん日本にもフランスの風を入れてくれたすごい先輩たちがたくさんいて、ずっとその方たちを目標にやっていました。でも、彼らが感じたフランスらしさを自分が表現している限りは、いつまでたっても真似でしかない。原点を知らなければ、本当に表現したいフランス菓子の姿もわからないんです」



ケーキはシンプルながらインパクトのあるデザイン。サイズも大きめでフランスらしく


何のコネもなかったが、とにかくフランスを見たいという気持ちは強まるばかり。とりあえず航空券を片手にパリへと渡ってしまった。そんな興野さんが修業させてもらえる道はただひとつ。

「ひたすらパティスリーをまわりましたよ。でも、どんなに働きたいって言っても“ダメ”の一点張り。そうして2ヶ月ほど探し続けた頃に、在仏歴の長い日本人の友人ができて、店を紹介してくれることになったんです。そこからですね、道が開けたのは」

気合充分でフランスまでやってきたものの、実は仏語は全くダメ。しかし、ビジョンは明確だった。“フランスのパティスリーでお菓子を、ブーランジェリーでヴィエノワズリを、ショコラティエでショコラを学びたい”その夢は、1年間の滞在期間内にきっちりと現実のものになる。パリの老舗の「ストーレー」やパリ郊外のショコラティエ「ラトリエ・ドゥ・ショコラティエ」、パリ6区のブーランジェ・パティシエ「ファビヤン・ルドゥー」などで修業することができたのだから。

「何が大切かっていうと、やっぱり勤勉なこと。すごいテクニックを自慢するよりも、毎日きちんと仕事をこなしていればフランス人は認めてくれるんです。言葉が通じないのに、あれこれと世話をやいてくれるフランス人の友人もできたし。彼らとコミュニケーションをとるために、必死にフランス語を覚えたんです」

クロワッサンも自信作のひとつ。発酵バターをたっぷり使用


そしてもうひとつ、興野さんのパティシエ人生を決定付けるような収穫もあった。
「“オリジナル”にこだわらなくても、同じルセットでもいいんだってことですね」
それは、フランス人なら誰しも普通に思っていること。

「例えばルノートル氏のマドレーヌのルセットがあるとしたら、皆、全く同じ配合でお店に出しているんですよ。彼らに言わせると、“せっかくおいしい配合なのに、何故アレンジする必要があるの?”って。やけに説得力がありました」

お客にとっては、“おいしさ”が全て。真似を恐れてオリジナルを目指すよりも、確立されたおいしさを追求するほうが食べ手だって嬉しいはず、そう気づいた瞬間だった。

「以前は同じルセットを使うことに抵抗がありました。でも、偉大な先輩たちのルセットを真似することは、決して失礼なことではないんです。同じルセットでも自分なりの解釈で作れば、それはもう自分の味になる。僕は先輩たちほどは知識もないですし、それならおいしいと思ったものを素直にやらせてもらおうって、いい意味で開き直れました」

白いトレーに整然と並ぶ焼き菓子。オレンジ色の背景が菓子の輪郭をはっきりと際立たせる


ルセットに対する考え方もそうだが、パティスリーのスタイルが日本とは全く異なることも衝撃だったという。

「日本でイメージしているこじゃれたフランス菓子とは違うんですよ。もっと飾り気がなくて素朴というか大雑把というか。仕上げは適当だし形だって不揃いで、全然かっこつけてない。でも、それが何故かおいしいんですよね。ルセットも無駄を省いたシンプルものですし。素材を活かしたストレートな味わいに驚かされて。ああ、僕の目指したいものはこれでいいんだって、肩の力が抜けたような気がしました」

プチガトーに負けない存在感を放つマカロンは、大きめサイズ。バラとグロセイユの組合せの「マカロン・アントワネット」や、ココナッツとパイナップルを合わせた「マカロン・ココ・アナナス」など個性的なものも


自分の目標がはっきりと見えたことで、自信につながった興野さん。帰国後は春日部の「ベルパエーゼ」シェフ・パティシエを経て、ついに念願の自店をさいたま市にオープンした。オープンにあたって意識したのは、

「フランスで食べて僕が感動した味を、ダイレクトに伝えたいってこと。甘いものはしっかりと甘く、苦いものはしっかり苦く。はっきりしているのが好きで、味作りも直球勝負がかっこいいなって思っています。」

フランス王妃マリー・アントワネットをイメージした豪華なサントノーレ「アントワネット」。サイズは10cm程もあり、食べ応えも充分「6p、7p・・・といろいろなサイズで試したけれど、やっぱりこの大きさがいいんです」とシェフ


そのひとつが、アカシエの顔とも言える「アントワネット」。フィユタージュの上にプチシューとクリームを積み上げたピンク色のサントノーレだ。このお菓子、通常の2倍ほどの大きさがあって、ショーケースの中でも断然目立っている。

「パリのラデュレのサントノーレがモデルなんです。初めて食べた時に、あまりのおいしさにびっくりしました。すごく大きくてクリームもたっぷりなのに、軽く食べられちゃうんですよ。あの味を是非再現したいなと。」

ポイントともなるクリームは、コクと軽さを備えるために47%と35%のものをブレンド。そこにバラのコンフィチュールをプラスすることで、ナチュラルなバラの風味が実現した。クリームの甘さは控えめにしているが、フォンダンはしっかりと甘く、そしてフィユタージュとシュー生地はしっかりと焼いて香ばしさを出すといったメリハリも忘れない。ひとたび口にすれば、記憶にしっかりと刻まれるほどのインパクトがある。

ケーク・シトロン。焼き上がりにかけるレモン汁をかけすぎてしまったのが、このケークができたきっかけなのだとか


「ひとつひとつにきちんと意味を持たせたいんです。なんとなく作ったというのではなくて、これはこうでこうだからこの味なんだって、アピールしたい。そしてできるだけシンプルなルセットで、印象的な味に、と思っています。例えば焼き菓子なら、「ケークシトロン」っていうすごいのがあるんですよ」

見た感じはごく普通のケークシトロン。ところが、食べてみると酸味が半端ではない。ほんのりではなく、はっきりと“すっぱい”のだ。

「レモンのパウンドっていうと、レモンピールやレモンの皮のすりおろしを入れたりするのが一般的。でも、これは、焼きあがったパウンドに驚くほどレモン汁をかけているんです。だからレモンそのものの味がダイレクトにやってくる。好き嫌いははっきりでると思うけれど、それでいいんです。人の好みはそれぞれだけど、うちの味が好きな人にはとことん印象付けたい。実際、なかなか評判いいんですよ(笑)」

確かにこの酸味、初めは驚かされるが次第に慣れてくるから面白い。こうした“他にはない味”が、徐々に評判を呼んでいるようだ。

タルトシトロン(右)。シュトロイゼルを底にしいてタルト生地に見立て、レモンゼリーを冷やして泡立てたものを、メレンゲに見立てているところがポイント


「最近考えているテーマは、“酸味と香り”。このテーマで、今回、3つの新作を出しました。中でも、レモンのタルトをグラスに仕立てた「タルトシトロン」はお薦めで・・・」
「パリセヴェイユの金子シェフは、僕の大師匠です。菓子作りの姿勢とか、味作りとか、店のあり方とか、全てがすごいですよね。よくお店に伺って話し込んだりして、本当にお世話になっていて・・・」

最初から情熱的だった興野さんの話ぶりは、ますますヒートアップしていく。素材のことから製法のこと、更には敬愛する先輩の話にいたるまで、とにかくつきることがないようす。既に、取材を始めて2時間あまり。そういえば、さいたま市浦和区に出したきっかけをまだ伺っていないことに気がついた。やはり地縁があるとかで?


「いえ、全く縁はない場所です。でも、ここは埼玉県庁の近くで、いわば埼玉の中心地。そしてさいたま市は浦和と大宮と与野とが統合して、新しい市になって頑張っているところ。そうした活気ある場所で、僕も一緒になって盛り上がっていきたい。地元の方はもちろん、東京のお客様にもわざわざ来ていただけるような埼玉の一番店を目指しています。」 どうすればより喜んでもらえるか、より驚いてもらうことができるのか―。“夢を与える”パティシエの挑戦は、まだ始まったばかり。これからどんなインパクトで攻めてくれるのか、楽しみで仕方がない。(2008.06)










パティスリー・アカシエ
住所 埼玉県さいたま市浦和区仲町4-1-12 プリマベーラ1F
TEL&FAX048-877-7021
営業時間10:00〜19:00
定休日  水曜
アクセスJR宇都宮線・高崎線 京浜東北線 浦和駅西口より徒歩約13分



※このページの情報は掲載当時のものです。現時点の情報とは異なる可能性がございますのでご了承ください。