常にパティスリー界をリードし、スイーツファンを魅了してやまないピエール・エルメ氏。 今度もまた、新しいことを始めてくれるという。


取材に訪れると、今までの定番だった黒尽くめのスタイルから一転、スーツに身を包みさわやかな笑顔を浮かべたエルメ氏の姿があった。
ピンストライプが入った深い紫色のシャツ、そして胸には同系色のハンカチを合わるという、洒落たいでたち。以前より格段にシャープになった顔つきには、晴れやかで力強い意思がみなぎっていた。

“エルメ氏の中で何かが変わった”

そう感じさせるに充分なオーラがそこにあった。


「Bonjour!」

握手をすると、ふくよかで力強い手の感触が伝わってくる。


さっそく新しい展開について伺うことにした。

「ご存知のように、『ピエール・エルメ・パリ』では、年に2回のコレクションをメインにしてきました。それを今回からはやめ、新しいテーマを展開することにしたのです」

なんとエルメの象徴ともいえるコレクションがなくなる…、その言葉に思わず耳を疑った。


2003年コレクション「kawaii」のイベントでは
こんなキュートなバッチが登場


「ブランド立ち上げ以前から始めているコレクションは、もう20年ぐらいになりますが、2,3年くらい前から少しずつ違和感をおぼえるようになってきていました。そして、もうひとつの理由は、ほかの店でもコレクションという手法が一般的になってきたこと。私は自分の考えや解釈を示す手段としてコレクションを始めたのですが、それが形だけのものになってきている今、ちょっと違うのではないかと考えたわけなんです」

昨年のテーマ“垂涎”では、味覚を刺激する、まさに涎の垂れそうなコレクションを発表。ファンを魅了したことは記憶に新しい。第3者にはわからないことだが、エルメ氏はずっと違和感を持っていたのだろうか。テーマに沿って作るという制約が、氏の周りに次第に薄い殻のようなものを形成し、その自由な感性に窮屈さを与えていたのかもしれない、そんな風に感じた。


2005年コレクション「desirs〜垂涎〜」での
名作「ラ・スリーズ・シュル・ガトー」のピンズ


「自分にしかできないものをやりたい。それからシステマティックに時期を決めるのではなく、『ピエール・エルメ・パリ』ならではのリズムを探したいと思っていました。これからも旬の素材は使いますが、展示の仕方や出し方を変えていきたいと考えています」

“コレクションもとても楽しかったので少し残念です”と伝えると、

「やっぱりみんなが同じことをしていると、別のものを始めたくなってしまうんですよ」

とエルメ氏はいたずらっぽく微笑んだ。


「そういうわけで、これからは『コレクション』という言葉は使いません。今回のテーマは『フェティッシュ』。“好きでたまらない”という意味なんですよ。パリの店では、毎日のように『私はこれが好き!』というお客様の声を耳にします。たいていお客様には、特に気に入ったアイテムがあるんですね。だから例えば、イスパハン『フェティッシュ』の人のために『イスパハン フェスティバル』を設け、その期間中は、ミルフイユ、タルト、マカロン、シュープリーズ、アイスクリーム、ミスグラグラといった様々なアイテムでイスパハンを楽しんでもらおう!というわけなんです」

言うまでもないがイスパハンは、バラ、フランボワーズ、ライチの風味を組合せたケーキ。この味の虜になっている人は、数知れない。フェティッシュな味わいを、様々なアイテムでトコトン味わい尽くすというのは、文字通りファンにはたまらない喜びだろう。少し前に、「プレジールシュクレ」がマカロンヴァージョンで登場したときの感動と喜びが頭をよぎる。



3月からフェティッシュのテーマとなる「イスパハン」


「色々な形で楽しませてあげたいと思っているんです」

そう話す目が、愉しそうに光った。

その他、マカロンなどの定番アイテムに関しては、「マカロンフェスティバル」なども予定している。なんとパリでは、店中がマカロン一色に染まる「マカロンデー」を3月20日に開催するそうだ。通常は10種類程度のマカロンだが、この日には今まで登場したマカロン全24種類が勢揃いし、他の商品は一切置かないという。色とりどりのマカロンが店内を埋め尽くす様子は、マカロンフェティッシュにはたまらないことだろう。(ちなみに、東京青山でも4月1日に「マカロンフェスティバル」を予定しているそうだ)


フェティッシュも数多いマカロン!


そして、今回の来日のもうひとつの目的は、伊勢丹新宿店で開催されたサロン・ド・ショコラだ。
「ピエール・エルメ・パリ」には、ケーキのほかに、焼き菓子やアイスクリームなど様々なアイテムがある。エルメ氏の中で、ショコラの位置付けはどんなものかを伺ってみた。

「そうですね。まずは、これを食べてみてください」

トレイにはボンボンショコラが美しく並べられている。
1粒選んで口にすると、カリカリッと弾けるカカオニブ、そしてそれを被うキャラメリゼの食感にハッとした。たちまち口内が楽しいリズムで溢れる。そのあと、キャラメルを思わせるミルキーな風味がゆるやかに広がり、カカオをそっと引き立てる。リズミカルに軽やかに、そして幕切れはあくまでもやさしく…。気が付くと、ショコラが奏でるメロディを体が楽しんでいる。そして、ごく自然に口から「おいしい」という言葉がこぼれた。


ボンボンショコラ 6個入り \2,100


カカオ豆の苦味や酸味などカカオ豆本来の味云々はもちろんだが、楽しさや発見がこのボンボンショコラには詰まっている。だからだろうか、初めて食べたのではないのに、新鮮な感覚があった。ショコラティエとパティシエがショコラに求めるものは、決してイコールではない。このボンボンを食べるとそのことが良くわかる。

「私もいつも新鮮なおいしさを感じているんですよ。何度食べても、初めて食べたのと同じような気持ちになります(笑)」

と、ボンボンを口にして幸せそうな表情を浮かべた。

「チョコレートはショコラティエだけのものではありません。パティシエにとっても、ケーキからカクテルまで、何にでも使える大切な素材のひとつ。同じひとつの素材でも、解釈次第で大きな違いが生まれると考えています」

ボンボンショコラには作り手の個性が現れる、とはよく言われることだが、口にしたボンボンショコラは紛れもなく“ピエール・エルメ”そのものだった。


ピスタチオでカバーされた、
マッチャ入りミルクチョコレートガナッシュのトリュフ


ショコラはもちろんだが、どの作品にも確固たる主張がある。エルメ氏が世界のスイーツ好きを惹きつける、心が躍るようなそのオリジナリティは、いつから表れ始めたのだろうか。

「私の両親はアルザスに店を持つブーランジェとパティシエで、私はその4代目です。生まれてからずっとそういう環境にいるので、この道に入るのはごく自然なことでした」

パティシエを目指し、14歳でパリへ。まずは、素材の使い方や選び方など基本的なことを学んだ。

「オリジナリティといっても、何か特別なきっかけや思い出があったというわけではありません。ただ、パティシエのタイプは2種類あると思うんです。最初の修業時代にはパティスリーのノウハウや技術をマスターする訳ですが、そこで自分の中に蓄えたものをそのまま表現するタイプと、それを解釈し応用して自分のスタイルに変えるタイプ。私は、かなり早い時期から、新しい風味の組み合わせを試したい、そして自分のオリジナリティを出したいと考えていました」

しかしながら、その才能の萌芽は、しっかりとした土壌を必要としていた。


パリのピエール・エルメより


「しかし、例えばフランボワーズとチョコレートのように、定番とされている組み合わせも一通り学ぶ必要があるのです。基本と伝統を全てマスターした後、自分なりの解釈で、オリジナルのクリエーションをするようになりました」

他の追随を許さないオリジナリティ、それは天性のものであるのだろう。しかし、それだけでは人を惹き付けることはできない。確固たる基本があってこそ、それは花開くものなのだ。

「とはいえ、結局、やりたい時にやることです。今までのコレクションも、その時やってみたかったから(笑)。決まりやシステムにしばられることなく、これからは感情のままに表現していきたい、そう思っています」

晴れやかなエルメ氏の表情が、その心情を見事に物語っていた。



最後に日本のファンにメッセージをいただいた。

「好きなものがあれば、誰にも遠慮せず、“好き”と言ってください。そして、好きでたまらないなら、“たまらない”と言って食べてください!」


今までの殻を破り、新たに解き放たれたピエール・エルメ氏。
その眩いばかりの感性を、思う存分楽しめる日がもうすぐやってくる。








ピエール・エルメ・パリ 青山
住所 東京都渋谷区神宮前5-51-8 ラ・ポルト青山 1F・2F
TEL03-5485-7766
営業時間11:00〜21:00(土日〜20:00)
定休日無休
アクセス東京メトロ「表参道駅」より徒歩5分