2008年2月某日、パティスリー「レジオン」の店内。
カフェスタイルの丸テーブルに添えられた籐イスに、ちょっと窮屈そうに体を沈める一人のフランス人がいた。
名前は、アンドレ・ディベール氏。
オーガニックでありながら香り高い、スペシャルクオリティのチョコレートブランドとして、欧米を中心に高い支持を得るKAOKA社の社長である。

フランス・マルセイユから来日したアンドレ・ディベール氏


市場視察も兼ねた今回の来日。昨日の「パティスリー ラ・テール」に続き、オーガニック素材に力を入れる「レジオン」藤巻氏のもとを訪れていた。

「できるだけ体に良い原料を使いたいと思っています。そうそう、うちで出しているコーヒー豆もエクアドル産のオーガニックなんですよ。実際に栽培されている様子を見るため、おととしの9月にエクアドルに行ってきたんです」
と藤巻氏。「レジオン」の店内には、コーヒー豆のほか、様々なオーガニック食材が並べられている。当然ながら、オーガニックチョコレートにも興味津々だ。さっそく、「レジオン」自家製のオーガニックチョコレートをすすめる。

カカオマスにカカオバターを加え、型に入れて流し固めた自家製のタブレット


ひと口齧るなり、ディベール氏は
「うん。これはドミニカの豆ですね」
・・・即答だった。
その表情は、味わうというよりも、カカオの味を確認するといった方が近い。

「あ、そうですか?」
これには、当の藤巻シェフも少し驚いたようだった。
「じつは良いオーガニックチョコレートが手に入らないので、ベルギー製のオーガニックカカオマスを購入して、うちでテンパリングをとっているんですよ」
当然のことながら、ベルギー製もフランス製も、チョコレートの原料となるカカオ豆は、ガーナやドミニカ、エクアドルといった赤道付近の国々で栽培されている。だが、いくつかの豆をブレンドする場合は、産地までは明記しないのがほとんどで、使い手にはわからない場合も多い。


ところで、なぜ、藤巻氏は最初からオーガニックのクーベルチュールを使わないのだろう。
「実は、オーガニックチョコレートは随分前に一度試したことがあるんですが・・・」
と口をにごす。

KAOKA社の製品、そしてその取り組みに興味を示す藤巻氏。奥は、KAOKAチョコレートの販売を手がける「トレコ」の玉井社長


確かに、“オーガニックチョコレート=安心。だが、美味しくない”は定説だった。
それが、今、確かに変わろうとしている。


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アンドレ・ディベール氏は、チョコレート会社の社長である前に、オーガニックのパイオニアであり、カカオの探求者だ。すべての情熱をカカオに傾けていると言ってもよいだろう。だが、意外なことに、甘いものが好きではない。

「旅をするのが好きなんですよ。民族文化に興味があり、それを見て周りたいという気持ちが最初にありました」
今から30年以上前の若かりし頃を振り返って、ディベール氏は言う。
「1970年代になると、もうそろそろ地球を汚さない生活をしたい、環境破壊から世界を守りたいと考えるようになったんです」
今でこそ、誰もが知るようになった“エコ“。だが70年代始めといえば、日本はまだ高度経済成長期。果たして“エコ”の発想を抱く人はいたかどうかは疑わしい。そして、理想だけでは終わらないのが、ディベール氏のすごいところだ。


インタビューの際、「僕の今までの話?じゃあ、1週間はかかるよ」とディベール氏


「1978年にフランスで有機栽培への取り組みを開始しました。当時、私は25歳。まだフランスで有機栽培をする人はほとんどいませんでした。70年代末頃から80年代にかけて、主に有機のフルーツや野菜を作っていました。私がパイオニアと言ってもいいかもしれませんね」
そう話す氏の顔には、自信こそあれ不遜の色はない。
「1982年頃になると、南仏全体で有機栽培への取り組みを始めるようになりました。でも、私の中では、もっとエリアを拡大して、大きくやってみたいという気持ちが強くなっていったのです」
すでに彼には、考えを行動に移すだけの経験と手腕があった。より質の良いBIOの柑橘類を求め、イタリアのシチリア島やスペインのアンダルシア等へと、その活躍の場を広げていった。

いち早くから有機栽培に取り組み、経験を積んだディベール氏が、関係者から一目置かれていたことは想像に難くない。少ない情報の中、手探りで進むしかない生産者や企業の確かなアドヴァイザーとしても活躍するようになっていった。

「そんな経緯もあって、1987年、トーゴにトロピカルフルーツの乾燥加工工場を設立することになりました。大切に有機で栽培したものだから、加工までの工程を自分のところで管理したいと思ったんです」
ヨーロッパを飛び出したディベール氏は、灼熱の太陽が照らすアフリカの大地へと降り立つ。気候風土の異なるその地では、ヨーロッパにはない珍しいフルーツが出迎えてくれた。
そしてここに、運命の出会いともいえる、魅惑の果実がディベール氏を待ち受けていたのだった。

鮮やかな黄色に熟れたアリバ種のカカオボッド。カカオは比較的高い位置に実をつける


「トーゴではトロピカルフルーツだけでなく、カカオ豆も栽培されていました。そのうち、どうしてカカオは自分のところで加工しないのか?と感じるようになったんです」
トーゴはガーナの隣に位置する人口約630万ほどの国。当然、良質なカカオ豆の産地でもある。そこで、ディベール氏はさっそく有機カカオ豆の栽培に着手、トーゴ産有機栽培カカオ豆の輸入を開始するようになった。カカオ豆を収穫し、発酵・乾燥を経てチョコレートに・・・。野菜やフルーツにはない、カカオ豆の魅力にディベール氏は惹きつけられるようになる。

そんな彼の知識や経験を必要とする企業も当然いた。イギリスの某企業がその資質に惚れ込み、ディベール氏の指導の下、1991年にGreen&Black社を立ち上げる。
強力なバックアップを得て、波に乗るディベール氏は、まさに順風満帆そのもの。そのすぐ後ろに荒れ狂う大波が待ち受けていようとは、知る由もなかった。

「92年、トーゴが政治的危機状態に陥ったのです。国全体が混乱していて、とても活動できるような状態ではありませんでした」
ドライフルーツ、カカオ・・・。今までコツコツと築き上げたものが、一瞬にしてゼロへと帰した。普通だったら、動乱の地を逃れ、フランスへと帰るだろう。だが、そんなことで諦めるディベール氏では、当然ない。
「全てを無くして思ったんです。今度は、カカオ豆一本に絞ろうと。とはいえ、その時期、経済的な活動は皆無。ただ、現地のカカオ生産者を守ることだけが、自分に残された使命だと思いました」
当時、トーゴでは、小さな生産農家が作ったカカオ豆を村ごとにまとめて作業を行っており、組織立ったシステムが必要とされていた。組織が崩れれば、生産者にまでその影響が及んでしまう。これまで続いてきたカカオの担い手を失ってはいけない、その一心でディベール氏は活動を続けた。
そして、93年に有機チョコレートメーカーKAOKA社を設立。97年にはトーゴ全域でカカオの生産・加工に着手、パプアニューギニアを皮切りに、ドミニカ共和国やマダガスカルでもカカオ豆の栽培を開始するようになった。

カカオポッドの断面。この中味を出し、発酵・乾燥の工程を経てチョコレートになる


様々な国を訪れ、良質なカカオ豆を捜し求めるディベール氏。次第にその好奇心は、カカオの起源へと向けられるようになっていく。
「メキシコの隣にベリーズという国があります。そこは、かつてマヤ民族が住んでいたといわれる場所なのですが、マヤ山麓はカカオのルーツでもあるんですよ」
今までの険しい表情から一変、ディベール氏は目を輝かせる。まるで、宝のありかについて語る冒険家のようだ。

確かに、カカオには宝に似ているところがある。カカオのルーツと言われる純正クリオロ種は、今や世界の生産高の1%にも満たない希少品種。世界中から注目が集まる、まさに幻の豆なのだ。
クリオロ種やナショナル種を始め、いくつかの品種があるが、同じカカオといっても、ポッドの形も違えば、その味わいも違う。恐らく、元々はひとつの種類だったのが、交配を重ね、時を経て、枝分かれしていったのだろう。
「そこで、エクアドルでカカオの品種がどうやって分かれてきたのか、というリストを作り始めたのです」
品種を解き明かすのは並大抵ではない。だが、やると言ったら、限界までやらなければ気がすまないのがディベール氏。
「エクアドルでナショナル種の起源を探るのは、お金もかかる上、様々な支援が必要とされる一大プロジェクトでした。でも、根本的にカカオを理解するためには、絶対に必要な作業だと思ったのです」
こうして、一大カカオプロジェクトがスタートした。

ディベール氏がまず目をつけたのは、木だった。
「まず、遺伝品種を手がかりにスタートしました。例えば、花の香りが特徴のアリバ種なら、花の香りのある木を探し、それをたどっていったのです」
深い森へ分け入り、香りを手がかりにカカオの木を探す。そして、集めた膨大なカカオの味わいや香りをリサーチ機関で分析。いかに複雑な交わり方をしているかを、少しずつ解明していった。

フォラステロ種のカカオの木。ポッドが細長い形をしているのが特徴


長年に渡るこのプロジェクトを経て、品種、そしてその広がりについて、初めて明らかになった。その意味でも、ディベール氏はカカオ豆のパイオニアでもある。
「プロジェクトを通して、味を決める要素が2つあることがわかりました。ひとつは、品種が持つ味。そして、収穫後に行う発酵の工程です」
今でこそ品種や発酵の工程は重要視されているが、当時は大手チョコレートメーカーの研究室でも、味は加工(コンチングなど)で決まると考えられていた。
「チョコレートの品質保持のためには、品種の確保と追及、そして、発酵の工程が重要です。そのために不可欠なのが、農民との深い結びつきです。それゆえ、常に私は、栽培の段階から生産者と関わって一緒にカカオ作りを進めるようにしているのです」

エクアドルにて。クオリティを高め、そして維持するために生産者とのコミュニケーションはかかせない


90年代初頭、コーヒー豆やコットンなど世界的に価格が低すぎる作物に関して、安定化への取り組みが進められていた。最低価格を取り決め、下回った場合にはそのギャップを国がサポートするなど、生産者を保証するシステムが構築されたのだ。だが、実はここに問題があった。自由貿易になる前は、国指定の検査機関を通らなければいけなかった。だが、検査機関もなく、そういったチェックがなくても売れるようになると、当然、質はないがしろにされた。気が付けば、著しい品質劣化を招いていたというわけだ。
良質なカカオ豆を手に入れるにはどうしたら良いか・・・?
だったら、自分自身の目でチェックをすればいい。
実に単純明快。これが、ディベール氏の導き出した答えだった。

継続をするのが一番大切なこと、と氏は言う。毎年、蚊の大群に襲われながらも、カカオの栽培を自分の目で確かめ、生産者と話し、工場の設備を確認する。それにより、いくら有能なトレーダーや商社マンでもわかりえない情報がディベール氏には見えるのだ。

山々の麓、近くに小川が流れるカカオ農園では、湿気が肌にひんやり冷たい。その場所柄ゆえか、とにかく蚊が多いのが難点


そんなディベール氏が憂いていることがある。
「世界的に見て、ここ数年、カカオの品質が落ちているんです。農民たちが、収量の多いCCN51等のハイブリッド種を作るようになってしまった結果です。しかも、それぞれの農家で勝手に発酵、乾燥したものは、質が良くない。それが混ざるようになっているのです」
実際には、今、こうしたカカオが一般に流通しているという。ちなみに、氏の使う豆の供給を行うエクアドルの組織“UNOCACE(ウノカセ)”では、収穫して6時間以内に乾燥場に持ち込むことを含め、細かい規定がしっかり作られている。信頼関係ができた農民と栽培したカカオ豆を、発酵、乾燥まで管理するからこそ、味と質を保てているのだ。

カカオの苗木

乾燥

3段階にわけ、4日間かけて発酵させる


農民との結びつきを通し、新しい取り組みも始った。「KAOKA基金」の設立、カカオ豆のフェアトレードだ。エクアドル政府公認のもと、売上の一部を苗木や環境整備に必要な資金として現地に還元する運動が実践されている。

「もうひとつ。カカオバターをたくさん追油したチョコレートが最近増えているのも心配です。世界的に、品質よりも、口どけが優先されていること。カカオの質を曖昧にして売るような傾向が見えます」
上質なカカオ豆が手に入らなければ、食感で隠す。そういうことなのだろうか?
ディベール氏は、生クリームたっぷりのガナッシュに肩をすくめてみせる。
「だって、カカオ豆の品質が味わえなければ何の魅力もないでしょう?」
彼にとってのチョコレートは、ワインにブドウの品種や産地の魅力を求めるのと同じなのだ。

KAOKAのチョコレートを味わってみる。
余計なものを加えない、すっきりとした味わい。そのキレの中に、カカオ豆の個性がストレートに表現されている。スペイン語で“赤道”を意味するエクアドル。繊細なアロマは、その大地が持つ力強さをも秘めているようだ。

小さく可憐なカカオの花。隣に小さなカカオポッドの赤ちゃんが実っている


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KAOKA社は、今やヨーロッパ最大手のセモア社の傘下となり、クオリティの高い有機チョコレートとしての地位を確立した。
だが、ディベール氏の原点となっている、世界を旅して、異国の文化を自分の目で見たいという気持ち。そして、地球のために何かをしたいという気持ちは今も変わらない。

取材の翌日、氏はバヌアツへと旅立った。
「そうそう!バヌアツには、珍しいアメロナード種という品種が残っていてね・・・」
宝探しならぬ、カカオ探求の旅はまだまだ終わりそうもない。
そして、その情熱と好奇心こそが、常にディベール氏をパイオニアであり続けさせているのだろう。

※ 前回のインタビューの様子はこちらから





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