10月1日にオープンしたばかりの「ロワゾー・ド・リヨン」は異色のパティスリーである。場所は文京区湯島。この界隈は日本料理屋や和菓子屋など和のイメージが強い。「え、こんな所に?」と首を傾げたくなるような場所にあるロワゾー・ド・リヨン。開店時間も夜10時までと随分遅い。

「場所柄、夜買いにくるお客様が多いんですよ。なんでこの場所にって?実はここは私の実家なんです。以前は両親が日本料理屋を経営していました。だから私も、生まれ育ったこの場所でやっていこうと決心したんです」

シェフの加登 学さんはそれを敢えて“挑戦”と表現する。落ち着きある口調の中にも、静かな闘志が見え隠れする。その想いについて語っていただいた。

小さな頃から両親の仕事を見て育った加登さん。食に対する興味が膨らみ、物づくりに喜びを見出したのは自然の成り行きだったようだ。しかし、食の中でも洋菓子に関心を抱くようになったのにはわけがある。

「和菓子屋は身近にあっても、ケーキ屋は少ない場所なんです。だから洋菓子を口にする機会はほとんどありませんでした。でも、誕生日に母がケーキを焼いてくれたのはとても嬉しかった。私にとってケーキを食べるということは特別なことだったのです」


高校卒業後は料理を習得するために調理師学校へ。実家の料理屋を継ぐ覚悟で選んだ道だった。しかし洋菓子への夢は捨て切れず、卒業後は「ルコント」でパティシエとしての道を歩むこととなる。「ルコント」はルコント氏が1968年に創設。フランス人によるフランス菓子店として注目を集めていた店。ここでお菓子作りにおけるルコント氏のポリシーを叩き込まれたそうだ。

「彼が目指していたのはフランスそのものの味わい。日本人の味覚に合わせることはしませんでした。だから、甘みは強くても素材の味わいがはっきりある、そんなお菓子のおいしさを知りました」

上司には現「レ・アントルメ国立」のA澤シェフの姿があった。そのA澤さんとの間に、加登さんにとって忘れられない事件がおきた。それはルコントに入社して2年ほど経ったある日のこと。

「初めてオーダーケーキを任されたんです。どんなケーキを作ったらよいのか、必死で考えましたよ。そして夜中の2時までかかって完成させたものを翌朝A澤さんに出したら、「これじゃ葬式のケーキだよ」って。チョコとマジパンで仕上げた白黒のケーキだったんです(笑)」

A澤さんは、加登さんが作った生地を使って新しいケーキを作り上げた。所要時間はわずか30分、あっという間の出来事だった。綺麗で夢のあるそのケーキは、ただただ“すごい!”のひとこと。この瞬間、加登さんは真剣に技術を習得しようと決意したのだそうだ。

プティガトー、アントルメ、チョコレート、飴細工、マジパン、ヴィエノワズリ・・・。ルコントに在籍していた5年間、加登さんは徹底的にテクニックを磨いていった。そして、ついにフランス行きを果たすことに。

「渡仏したのは技術を学びたいというよりも、むしろフランス人が日常生活の中でどんなお菓子を食べているかを知りたかったから。もっと素朴でシンプルなお菓子に触れたいと思ったから」

そう話す加登さんは、在仏していた約7年の間に多くの店を修業してまわった。初めに1ヶ月ほどパリのパティスリーに入り、その後リヨンに居を移した。リヨンではブーランジェリー兼パティスリー「ベタン」、パティスリー「サンタン」、レストラン、MOFジョルジュ・ドウ・ロング氏の総菜屋さん、パティスリー兼シャルキュトリー「ジャン・ポール・ピニョール」などさまざまな場所で修業。最後にはリヨンの隣町エキュリーのパティスリー「パレ・ド・ゴーメ」でシェフとして腕を振るった。

「リヨンのお菓子はシンプルなおいしさのものが多かったですね。それは乳製品やフルーツなどの素材に恵まれているからなのでしょう。それから、フランス人はおいしい店を見つけたら、基本的にはその店でしか買わないということもわかりました。つまりほとんどが常連さんということ。自分がいいと思ったらそのポリシーを貫き、最後まで応援してくれるんです」

帰国後はルコントのシェフとして迎えられることとなった。その2年後にはフランス料理学校「ル・コルドン・ブルー」の教壇に立ち、5年間、パティスリーの講師として活躍した。

「自分がそれまで感覚でとらえてきた“お菓子作り”を、生徒たちにわかりやすく説明することがどんなに難しいことなのか。全く新しい経験でした。それからもうひとつ。生徒たちの嗜好や考え方は、お店をやっていく時にとても参考になるんです。何故なら、お客様と似ているところがありますから」


20年近くもの長い修業期間の後、ついに自店をオープン。日本とフランス、国籍の異なる多くの人と触れ合う中で経験を積み、視野を広めていった加登さん。静かな語り口の中にも自信が見え隠れするのはその豊富な経験ゆえなのだろう。もちろん、その自信はお店に並んでいるお菓子からも見てとれる。

「ひとことで言うなら“高級感のあるお菓子”を作りたい。その“高級感”とは、素材やテクニック、外見、包材、全てにこだわることなんです」

加登さんが作るお菓子のベースになっているのはトラディショナルなもの。そこにこれまで培ってきた本人なりの感性がプラスされている。そのひとつが、自信作のオペラだ。
「オペラのおいしさは、生地(ビスキュイ)とコーヒーバタークリーム、ガナッシュの一体感にあるんです。だから通常よりもビスキュイを薄くして、シロップが染みやすくなるように工夫しました」

ビスキュイ、コーヒーバタークリーム、ガナッシュ。3つのパーツを限りなく薄く、どこまでもまっすぐに重ね上げた層。シャープなフォルムはショーケースの中でも一段と輝いて見える。更に食べてみるとその美しい姿を裏切らないおいしさがあった。生地とクリーム、全てが口に入れた瞬間なめらかに重なり合う。その一体感からくる喉越しの良さが、甘くて濃厚なオペラをキレの良いものへと変えてくれる。

他にも、エクレア・ショコラなら上掛けのフォンダン(糖衣)を限りなく薄くつけることでチョコレート本来の風味を際立たせたり、シュー・パリジャンなら黄身の濃い地鶏の卵を使用し、通常より長めにクレーム・パティシエールを炊くことで卵の風味を際立たせたり、等々。全てのお菓子に加登さんの緻密な技が秘められている。

「開店から約1ヶ月とまだまだ始まったばかり。今はとにかくここにお店があることを知っていただく段階ですね。でも、いずれはこの街でパティスリーを根付かせることができたら、そんな風に思っています」





人々がロワゾー・ド・リヨンのおいしさを知ったとき、きっと馴染みの店にしたくなる。そして自信を持って周囲の人に薦めているはずだ。それだけの魅力がこの店にはあるのだから。(2005.10)







ロワゾー・ド・リヨン
住所 東京都文京区湯島3-42-12
TEL&FAX03-3831-9901
営業時間平日 11:00〜22:00
日曜・祝日 11:00〜19:00
定休日不定休
その他 夏休み・冬休みあり
アクセス東京メトロ千代田線湯島駅より徒歩4分      
東京メトロ大江戸線上野御徒町駅・銀座線上野広小路駅・日比谷線仲御徒町駅より徒歩3分