「パティシエになったのはごく自然のことでしたね」

と、シェフの猿舘英明さんはさらりと言う。実家が岩手で和洋菓子店を営んでいたため、小さい頃からお菓子に囲まれて育った。幼稚園児のとき、既に「将来はケーキ屋さんになる!」と意気込んでいたほどだ。そんな猿舘さんが選んだ自店のスタイルは“パティスリー・ショコラトリー”。光が差し込むガラス張りの店内は、白を基調にナチュラルウッドテイストの飾り棚がしつらえてあり、窓際にはカフェスペースが用意されている。明るく開放的な空間に生ケーキや焼き菓子、ヴィエノワズリがずらりと並び、パッと見は街のパティスリーそのものだ。ところが更に、専用のショーケースに並ぶボンボンショコラは産地別のものを含めて20種類と充実しているし、生ケーキや焼き菓子の中にもショコラ通好みのものが散りばめられていたりする。気取らない雰囲気の中に、何か別のオーラが漂う。

「私にとっては、ケーキもショコラも同じくらい大切。これまで体得してきたものの中から、好きなものばかりを集めて自分の味に仕上げています」


L字型に配置されたケーキのショーケースとショコラのショーケース

明るいカフェスペース。ウィーン直輸入のコーヒー豆を使ったコーヒーがお勧め



猿舘さんは、高校卒業後、辻調理師学校の東京校とフランス校で製菓のベースを学んだ。その後は「ル・サントノーレ」に入社。同社が経営する世田谷区の「アルパジョン」にて半年間販売の仕事につき、接客から掃除、ラッピング、在庫の補充までひと通りの仕事の流れを体得。続く5年間は、系列店「ヴォアラ」で厨房の仕事が待っていた。幼少時代からの夢が現実のものとなり、さぞかし感慨深かっただろうと話をもちかけると、
「とにかく、きつかったですね。人数も多いし、上下関係の厳しい職場でしたから。いわゆる修業の場だと思っていました」

厳しいが、活気があった。ヴォアラは平日でも300人、週末になるとそれ以上の来客数を誇る繁盛店。当然、作る量も半端ではない。常に15人ほどのパティシエが行き来する厨房で着々とテクニックを習得し、ついには勤務管理や売り上げ計算など、管理側の仕事も任されるようになっていた。だが4年ほど経った頃から、猿舘さんの中で変化が生じ始めていた。


シューキャラメル。大きく焼きすぎてしまったシューからこのデザインが生まれた

ガトーフレーズ。グラニュー糖をフロストシュガーに変えることで優しい甘みを表現


「そろそろ環境を変えてみたいなと。そのためには自分の好きな菓子を探したかった。時間を見つけてはパティスリーめぐりに励んでいました」

せっかく働くなら自分がおいしいと思うところで働きたい。そうしてたどりついたのが「和光ケーキショップ ルショワ」だった。当時のシェフは、現「ラ・ヴィ・ドゥース」の堀江 新シェフ。早速働きたい旨を伝えると、意外な答えが返ってきた。

「ルショワを辞めるって言われて。ちょうどラ・ヴィ・ドゥースをオープンしようと考えている時期だったんです。それなら自分も堀江シェフの下で働きたい、そう告げると“うちは大変だよ”って。それでも是非やりたかった」


店名を配したマ・プリエール。ホワイトチョコレートとイチゴという甘い組み合わせに、レモンと隠し味のパッションフルーツをプラスすることで完成された味に

アリババ(サバラン)。パリのストレーのスペシャリテを猿舘流に再現

アルザス地方の伝統菓子クグロフは、2サイズが揃う



猿舘さんのその想いは晴れて現実のものになった。尊敬するシェフの下で、幸いにも自分が好きな菓子を作ることができるのだ。そしていざ始めてみると

「ほんとうに大変でした(笑)」

何故なら、堀江シェフはかなりの完璧主義者である。徹底的に衛生面に気を配るのはもちろん、仕事は無駄なく美しく、が当然と考えていた。例えばフィナンシェの生地を絞っていて、ほんの少し型の窪みの外に生地がついてしまっただけでも厳しく指摘される。朝早くから夜遅くまでその調子で仕事が続き、体力的にも相当きつかった。それでも、猿舘さんの中ではある確信があった。


アレキサンダー。大人向けにベイリーズ酒とコニャック酒をたっぷり効かせたチョコレートケーキ

タルトショコラ。エクアドル産カカオ55%のチョコレートを使用



「僕はスーシェフだったので、新しくスタッフが入ったら指導する立場。良く、“お前は完璧に仕事をこなさなければいけない”と言われていました。きっとシェフの中では、自分の代わりになるように育てなくては、という気持ちが強かったんだと思います。在庫管理や発注まで、全てマンツーマンで教えてもらいましたから。すごく恵まれていましたね」

オープン時から押しも押されもせぬ人気店だったラ・ヴィ・ドゥースの厨房を、当初はシェフを含めて3人でやりくりしていたというのだからいかに大変だったことか。けれども、猿舘さんの爽やかで落ち着いた口ぶりはどうだろう。相当の逆境にもじっと耐えられるだけの強さが潜んでいるに違いない。

「確かに、堀江シェフには、“見かけによらずしぶといな”って言われていました(笑)」

マ・プリ・ショコラ。産地別に5種類が揃う、ひと口サイズの蒸し焼きショコラ

ショコラフリュイ。自家製ショコラのコンフィチュール



オープニングスタッフとして密度の濃い1年半を過ごした後、猿舘さんは新たな転機を望むようになった。それは、フランスへ行くという想い。28歳になったらフランスへ、そこでショコラやヴィエノワズリ、グラスなどフランスでこそ充実している菓子を習得したいと常々考えていたからだ。その希望通り、ノルマンディー地方の「ドゥヌー」「ルオー」、パリ郊外の「ラトリエ・ドゥ・ショコラティエ」、パリの「ストレー」、グループアランデュカス「be」、「ミッシェルショーダン」など、渡仏後は何店ものパティスリーやショコラトリーをまわり、行く先々で日本の修業時代にはなかった経験を積むことができた。中でも、「ミッシェルショーダン」はすごかったという。いったい何がそんなにすごいのか。

まつの実ショコラ。カカオ70%チョコレートを使用したほろ苦い味わい


「かなりの完璧主義者なんです。ショーダンさんの中には、絶対にこうあるべきといった理想のスタイルがある。全ての動作に意味がある、だからそれ以外のやり方はあり得ないんでしょう。厨房では、ショコラを作るプロセスはもちろん、それ以外の動作も全て直されました。例えば台の上にこぼれてしまったチョコレートをカードで払った時、1回で綺麗に払えないと許されないし、汚れたところをダスターで4回拭いたら、そこは3回で拭ける筈だと怒られる。説教だけで2時間近くを費やすことだってありました。でも、それは全て私を見込んでのこと。いずれは東京店のシェフを、との考えがあったからなんです。結局、諸事情があって実現しませんでしたが」

自ら進んで掃除をしたり、下に落としたものでも食べられる位に床をピカピカに磨いておくなど、ショーダンシェフの言動から学ぶことは多かった。そして何より、パティスリーとは時間の流れが違っていたそうだ。勢いでどんどん仕事をこなしていくパティシエに対して、一つ一つの仕事を丁寧に繊細に行うのがショコラティエ。もちろん早さも要求されるため、いかに無駄なく確実に作業するかがポイントになる。キュイジニエとパティシエがそうであるように、ショコラティエとパティシエも全く違う職業なんだと、思い知らされた。それまでの自分を見つめ直すいい機会にもなったのだろう。

焼き菓子も豊富に種類が揃う


更に、フランスに数年滞在し修業を重ねていく中で、猿舘さんはコンクールにも果敢に挑戦。パリのクープ・ド・フランスで飴のピエスを出品したのを皮切りに、続けて出場した「ガストロノミックアルパジョンコンクール2003」「ガストロノミックディジョンコンクール2003」では飴のピエスで共に準優勝、「ガストロノミックディジョンコンクール2004」ではチョコレート部門(味審査)で1位という快挙を成し遂げた。なんとピエスを手がけるようになったのは渡仏してから、しかも全くの独学だというからすごい。それなのに当の本人は
「偶然ですよ」
といたって普通。だが、おそらく寝る間も惜しんで飴と格闘していたに違いない。謙虚な口ぶりの中にも、猿舘さんの粘り強い一面が垣間見える。

タルト・バナーヌ。ちょうど熟れ頃のバナナを選ぶこともポイント


堀江シェフやショーダンシェフなどの優れた師匠に育てられ、その時々で得た経験を確実に自分のものとして蓄積してきた猿舘さん。自店である三鷹の店では、それらが形となって随所に散りばめられている。例えばサブレ生地とアーモンドクリームを詰めたタルトにバナナとクリームを乗せた「タルト・バナーヌ」。その力強いタルトの食感や切れ味の良さがどこかラ・ヴィ・ドゥースを想わせる。

「タルトとバナナと生クリーム、というシンプルな組合わせですが、三者のバランスが鍵。試作した結果、全て同量というのが一番おいしくなるとわかりました。またアーモンドの風味を強調したかったので、深さのあるタルト台にたっぷりアーモンドクリームを詰めて焼いています」 

ボンボンショコラ。中には、親しい人やお世話になった人の名前を冠したものも

パプアニューギニア、サントメ、ドミニカなど、産地別も揃う


ボンボンショコラの「エムセー」は、ミッシェルショーダンで覚えたもの。

「一番好きだったのがこれ。アーモンドとヘーゼルナッツのプラリネをショコラ・ノワールでコーティングしたもので、ショーダンシェフのレシピをアレンジしています。プラリネのおいしさを引き立たせるため、強すぎない味のショコラを3種ブレンドして使っています」

原料となるクーベルチュールに関しては、7社15種類を使い分けるというこだわりよう。また、温湿度差による影響を最小限におさえるため、ボンボンショコラを一粒ずつセロファンで個包装しているというのも嬉しい気遣いだ。更に嬉しいことに、ショコラティエに比べると一粒のサイズが大きめ。これについては、
「ひと口で食べることができて、満足感も感じてもらえる大きさにしたかったんです」
お陰で夏の時期でも好評だし、自分用にと数粒購入していく人もいるのだそうだ。



「シューとタルトとサバランと・・・」
「それから、ボンボンショコラを一粒!」
ショコラ好きのフランスでは日常のこんな光景が、日本のパティスリーで見られる日も近いのかもしれない。









マ・プリエール
住所 東京都武蔵野市西久保2-1-11
Tel&Fax0422-55-0505
営業時間10:00〜20:00
定休日水曜
アクセスJR三鷹駅より徒歩6分
URLhttp://www.ma-priere.com/