先日行われたパナデリア主催「ライ麦パン講習会&試食会」で講師をしていただいた宮崎シェフ。マインベッカーのパンのおいしさもさることながら、シェフ宮崎さんの人柄そしてドイツパンへの思いの深さに改めて触れる機会となった。




今回はその想いを胸に取材へ伺った。 時間は午後6時、宮崎さんがパン作りのすべてをやっているマインベッカーではこの時間でないと体が空かない。 こちらが無理を言っているのにもかかわらず、少し申し訳なさそうな笑顔を浮かべた宮崎さんがトレーにパンを乗せて現われた。かわいいミニチュアサイズのクリームパンや即席で作ってくれたカスクルート。オニオン入りのパンからハムがおいしそうに顔をのぞかせている。


「どうぞ、どうぞ。あ、ちょっとすみません」

タイマーがピーピーと鳴ると急いでオーブンの様子を見に行く。 広々とした厨房内は隅々までしっかりと掃除が行き届き、オーブンや冷蔵庫の扉までピカピカだ。そのことを告げると、

「ありがとうございます。でも、一般の方や子供たちが見学に来ても『きれい』なんて一言も言わないですよ。食べ物を扱う以上、これが本当は当たり前なんだと思います」

当たり前のことを丁寧にきちんとやる。これは宮崎さんの全てに通じる姿勢だ。


「これはライ麦が25%入ったパン・オ・セーグルにオニオンを入れているんですよ。しっかりとした食感でフランスパンの目がちょっと詰まった感じです」

甘みが強く香ばしいタマネギとスパイシーなハム、程よく弾力のあるパンからじんわり旨みが広がった。ドイツといえばプンパニッケルなど黒いライ麦パンを思い浮かべる人も多いだろう。実際はどうなのだろうか。

「ドイツではライ麦50%以上のものが多いんじゃないでしょうか。今まではブロートハイムには食事パンが多いと思っていたんですが、ドイツから帰国してみると『白いパンばっかりだな!』と感じました。今はわかりませんが、当時のドイツはそれくらい黒いパンが多かったですよ。ライ麦が好き、というよりも北の方だとライ麦しか取れないんじゃないでしょうか。南の方へ行くとライ麦の含有量が減るともいいます。でも、ドイツ人に言わせると白いパンはいっぱい食べないとお腹一杯にならなくて面倒くさいから嫌だそうですよ」



ライ麦のパンではサワー種を使うことが多い。サワー種を使う店はたくさんあるが最初のスターターに既成の酵母を使う所も少なくない。宮崎さんはもちろんライ麦と水のみで種を起こす。

「種の作り方をちゃんと説明するのは難しいんですよ。実際に1週間見てもらって『このタイミングだよ』と説明してあげられればいいんですが。本では1週間でできるという風に説明してありますが、その通りにやると酢酸に近い酸味の強い種になってしまうんです。種は室温や粉の質によっても全然発酵の進み方が違います。発酵が進みブクブクと膨らんだ種が落ちるタイミングがあるんですが、それを見て調整するのがいいと思います。例えば12時間で実際は落ちてきているのに、本の通りに24時間続けた場欲しい菌とは別の菌が増えて結果として酸味の強い種ができてしまうんです。あくまで本の説明は目安なんですよね。この他にもデッドモルト2段階法、3段階法というのもあるんですよ」

種のことに話が及ぶと、自然とその口調に熱が入る。長年続けてきたこと、それもあるだろうが、本だけを読んで誤解しないで欲しい、もっとおいしい種を作って欲しいという熱いメッセージを感じる。




ドイツパン一筋の宮崎さんだが、そのきっかけとは。

「元々ドイツが好きなんです。小学生の頃サッカーをやってたんですが、当時はドイツがすごく強かった。サッカーと車が好きで、“Made in Germany ”と書いてあるとなんでも買ってしまう位なんですよ。質実剛健、地味、そこが好きですね」 しかし、それはすぐにパンと結びつくことはなかった。少年時代の宮崎さんのもうひとつの憧れ、それは意外にも“コックコート”だった。 「こういう格好がしたかったんです。“料理天国”というテレビの料理番組に出演していた、今は亡き辻調の小川先生を見て憧れていたんです。それで、どのジャンルにしようかと考えたんですが、実は当時“鶏肉”が苦手だったので料理は嫌だなと思った。ケーキは非日常的なものだし、だったらパンにしようと思ったんです。結果的にはパン屋が自分の性に合っていたんだと思います」

意外にもシンプルな理由からパンの世界へ入っていった宮崎さん。パン屋が朝早いことを知ったのも、実は入ってからだというから驚く。


宮崎さんの“パン”と“ドイツ”、それを結びつけたのが師匠 明石 克彦氏の存在である。

「ブロートハイムのビューリーブロートを食べて、こういうシンプルなパンもおいしいんだな、と思ったんです。それまでは、世の中で一番おいしいのはクリームパンだと思っていたんですよ(笑)」

ブロートハイムでは現ヴォルテールピープルの市倉さん、最近オープンした穂の香のシェフの奥様と一緒に修業をした。

「僕の方が年上なんですけど、実際には僕の方ができなかったんです。悔しかったですよ。なんとか追いつこうと頑張ったんですが、ある日ついに、どうしても自分ではわからない作業が出てきてしまったんです。自力でやりたくても自分には残されている時間も少なかった。ここで意地を張っても仕方ないと、思いきって聞いたんです。それからは吹っ切れて楽になりましたね。他の誰かに勝つのではなく、一番勝たなくてはいけないのは自分の気持ちなんだと、その時わかったんです」

それからはお互いに知っていることを教えあう、いい関係が築けるようになったという。


「ライ麦パンはごはんと似ています。それだけよりも、何かと一緒に食べることでおいしさが増す。かつて明石さんや金石さんがやってくれていた勉強会では、最後にその日に焼いたパンと料理が並ぶ懇親会があったんです。主催の方たちが朝から料理を用意してくれるんですが、明石さんなんて前の日からスープを仕込んでくれたりして。そういう雰囲気だと自然と知らない人との会話も弾み仲間も増える、こういう楽しみ方っていいと思うんですよね」

パンの技術はもちろん、パンの魅力そしてパンそのものについて師匠から受けた影響は大きい。




今年の5月、マインベッカーは8年目を迎えた。

「最初は食事パンが全然売れなかったですね。でも店を開いた目的に“ドイツパンを広めよう”ということがあったので、これだけは絶対にやめられないと思っていました。それに、ラインナップのレベルを下げていくことは出来ても、逆に調理パンや菓子パンしかない店がレベルアップして本格的なドイツパン屋になるのは無理だと、明石さんから言われていたんです。今は、ライ麦パンがよく売れるようになりました。週末にはライ麦パンが売り切れて食パンが残るということもあるんです。でも、まだまだフランスパンには追いつかないですよね。人気がもっと出ればいいな、とは思います。でも、ドイツらしく地味にジワジワと広がっていって欲しいですね」

宮崎さんの作るドイツパンは着実に近隣の人々の心を捉えているようだ。しかし、ライ麦パンを「6枚切りにしてください」と頼まれて、薄くスライスして食べるものだと説明することもある。都心や繁華街ではない立地では、ドイツパンが受け入れられるのに時間そして努力が必要だったことは想像に難くない。

「パン教室をやっているんですが、うちは朝から夕方までと時間が長いんですよ。せっかくだから自分で作ったパンを焼いて食べてもらいたい。発酵時間の間にスタッフの伊部が、パンに合うパテのような簡単な料理を教えて、焼き立てのパンで食事を楽しむというスタイルなんです。近所の人が多いので『このチーズはこのスーパーにありますよ』とかそんな感じでやっていますよ」

お客さまからも人気のスタッフ伊部さん


ドイツパンは食べたことがあっても、上手い食べ方がわからず手を出せない人もたくさんいる。この他にも、焼き上がりを見ることができる見学会(祭日)などドイツパンに親しむ機会を設け、パンと食事の楽しさを伝える。スタイルだけではない、ドイツパンを知ってもらうために必要だからやる、その姿勢が宮崎さんらしい。

「最近は粉とか塩にこだわる人も多い。でも、まず普通の粉と水と塩でパンを作ってみればいいんです。それが100点のできになったら、次は塩を変えてみてもっと美味しいものに挑戦する。それが出来たら次は粉を変えてみればいいと思う。できないのは道具や粉のせいじゃない、全ては自分の技術なんです」

自家製天然酵母やブランド性のある素材を謳う店が多い中、1歩1歩着実に仕事をしてきた職人の言葉だ。

「実はこの店の窯や道具はほとんどブロートハイムと一緒なんですよ。でも、それは真似したんじゃなくて、この位の量でこういうものを焼きたいと考えてチョイスした結果、行き着いたところが同じだったんです。そうすると、問題はブロートハイムと同じものができないと言い訳にならないこと。違うのは全部自分の技術のせいになる。でも、そこまで自分を追い込んでもいいかな、と思ったんです。だから全部新品でそろえました。本当は中古の窯でも良かったんですが、そこに逃げたくなかったのでやめました。結局は自分の技術が全てなんですよ」

いつもやさしく、物腰のやわらかい宮崎さん。そう言い切る姿には厳しい、職人の姿が重なった。
   


「“こだわりパン屋”という言葉が好きじゃないんですよ、こだわるのは当たり前のことだと思うんです。レストランだったら特に“こだわり”とは言わないですよね。その中で良いものを作るのが当たり前だと思うんです」

今まで、それができていないパン屋が多かったから、逆に“こだわり”と言われてしまう。それが辛いのだ。以前、地域情報誌からの取材の際「どんな特徴がありますか?」と聞かれ、「普通の材料で普通に作っています」と答えたところ、なんと“普通の材料で普通に作るパン屋さん”と書かれたことがあったのだとか。 自分が当たり前だと思うから良いものを使う、それはあえて書くことではない、そんな宮崎さんらしいポリシーがわかってもらえなかった悲しい出来事だ。

「例えばパイだったら300円で当然でも、パンが300円だと高いと感じる。それは、パンが毎日食べるものだという理由もありますが、今までのツケだとも思うんですよ。パン屋は自分で自分たちの地位を下げてしまっている。例えば、上に飾るアーモンドをきれいに見えるように乗せるとか、そういう当たり前なことができていないんです。掃除も同じで、きれいにするのが当たり前なはずなのに実際はキレイだと驚かれる。始めは自分も誉められて嬉しかったんですが、そうじゃないと気がつきました」

色々なパン屋がある分、パン屋そして買い手側にも使い分けが必要な時代なのかもしれない。その反面、“こだわり”を売りにする店が急速に増えているのも事実だ。




質実剛健、ドイツ好きな宮崎さんだが実はこんないたずらな一面もある。

「いつも“お客さんをびっくりさせたい” 、”こんなの出したらビックリするだろう“とかって考えているんですよ。お客様にプンパニッケルを説明するときも“これ12時間も焼いているんですよ”って相手の反応を期待したりして」

簡単なことを丁寧にやる、宮崎さんのポリシーはいつまでも、そしてこれからも変わらない。揺るぎない技術、ドイツパンへの思い、そして少年のような気持ち、それがマインベッカーには溢れている。






住所千葉県市川市新井1-6-7
TEL&FAX047-358-3700
営業時間9:30-19:00
定休日日曜日、第1・3月曜日
アクセス東京メトロ東西線 南行徳駅から徒歩15分