京王線の千歳烏山駅を降りて約3分。賑やかな商店街を抜けてわき道に入ると、人通りはぱったりと少なくなる。周りは住宅街に囲まれ、店一軒ない。そこに流れているのは、穏やかな時間。それから小さなたて看板がひとつ、ただそれだけだ。けれども、“出来立てのボンボンショコラ ひと粒からどうぞ”という優しい呼びかけに、早くも温かな気分になる。


看板をたよりに路地を進んでいくと、
小さなショコラトリーが出現!



「こんにちは。狭いですけれど、どうぞ〜」
と、オーナーシェフの宮原美樹さん。歌声のように澄んだ声と陽だまりのような笑顔で迎えてくれた。軽く挨拶を交わした後、早速、テラス席へ。手作り感覚溢れる小さな空間には、ガーデニング用の白いテーブル席がふたつ用意されている。ちょこんと腰をかけると、不思議と自宅に招かれているような気分に。実はここ、ショコラティエ ミキは、マンションの1階部分を改装して生まれ変わったお店。ドアを開けるとすぐそこが売り場になっているが、1人入ればいっぱいになってしまうほどの広さしかない。そして店の入り口横のスペースがテラス席に。なんと、全て元カースペース!というから驚かされる。
「父がテラス席を作って、叔母が壁を塗ってくれて。親族総出でやってくれました(笑)」
そんな肩肘張らない自然体の店に、ショコラ愛好家たちが足繁く通う。


緑の扉のすぐ向こう側が販売スペース。
ボンボンショコラや焼き菓子が並ぶ



宮原さんは小さい頃からショコラが好きだった。といっても、その頃のお気に入りは広く流通しているような普通のチョコレート。それが、あるショコラティエの出現で、世界観が一変した。
「大学生の時に、ラ・メゾン・ドゥ・ショコラが上陸したんですよ。もう信じられないくらいのおいしさで!今まで食べてきたチョコレートはなんだったんだろうって、思ってしまって・・・」

突き当たりのテラス席では紅茶と一緒に
ショコラをいただくことも可能



大学卒業後、一旦は服部栄養専門学校で調理を身につけるが、その後バンタン製菓学院で製菓を学ぶにつれてショコラへの想いが再燃。卒業後は、原料チョコレートを手がける国内メーカーの、大東カカオ鰍ノ入った。
「まわりは全てチョコレートだらけ。大好きなものに囲まれて夢のようでした」 実はアルバイトとしての採用だったが、宮原さんの熱心な仕事振りが認められ、後に正社員に。チョコレート開発本部でチョコレートや菓子の開発に携わるようになる。約4年半の間に、オートクチュール用のチョコレートを作ったり、販売促進用のチョコレート菓子を作って提案したり。様々な角度からチョコレートを探求する日々が続いた。
「チョコレートの良さを引き出せるようにとあれこれ考えて作ったお菓子を、お客様のところに何十種類も持っていくんです。すると、皆さん喜んで食べてくれるし、話も真剣に聞いてくれて。それがすごく嬉しかった!」
目をキラキラと輝かせて、心から嬉しそうに話す宮原さん。チョコレートと向き合ううちに、人のために作ることの喜びを知ってしまったようだ。と同時に、自分が本当に作りたいショコラも見えてきた。


真っ赤な箱に納められたボンボンショコラ。
ギフトにもぴったりの可愛らしさ



「すぐに始められるネット販売のお店からでもいいから、やってみたいなあと。結局は小さな販売スペースも用意できることになりましたが・・・。協力してくれたのは、主人なんです」
ご主人は職人でもなければ自営業の経験もないサラリーマン。けれども、"やりたいことがあるならどんどん働いてほしい"と前向きに考える性質が、宮原さんを後押しした。もしかすると、ご主人も無類のショコラ好き?
「ん・・・、量は全然食べられないんですが、的確な判断をしてくれます。主人から合格点が出ないと売れないんですよ(笑)」


ミルクとビター、2種類のタブレット「ムクチョコ」。
業界用語で、生地だけのシンプルなものを
「無垢チョコ」というのだそう



そしてもう一人ミキに欠かせないのが、スタッフの大島さん。2人は専門学校時代に知り合った。
「彼女とは昔から良く試作をしていた仲なんです。気づけばずっと一緒にいるという感じで。それに職人としての経験があるので、助けてもらうことも多いです。衛生管理のことなど、"物を売るとはどういうことか"など、たくさんのことを教えもらいました」
オープンにあたっては5ヶ月ほど前から試作を開始。本を買って仏人ショコラティエの配合を勉強したり、評判のショコラを買ってきたり。買って作って食べて・・・をひたすら繰り返した。大島さんも宮原さんの自宅に通い詰めて作業に没頭した。それほどまでに、宮原さんの中には理想のショコラのイメージがあったようだ。


オレンジのコンフィにはビターチョコレートをコーティング


「さあさあ、どうぞ。好きなだけ食べてくださいね〜」
テーブルには溢れんばかりのボンボンショコラとフレーバーティーが振舞われた。ミキのショコラは、見た目からして独特だ。少し丸みを帯びた優しい風合いが、なんとも魅惑的。つい、手を伸ばしたくなる。この形状には、ちょっとしたわけがあった。
「コーティングは全部手がけなんです。だから平べったいとチョコレートが厚くかかって山形になってしまう。そこで、上面の面積を小さくして高さを出してみたら、余分なチョコレートが適度に落ちてくれました。あまりないサイズだけど、それもいいような気がします」
ひと粒ひと粒手作業で?!ほとんどのショコラティエがエンローバーを使って効率的に作業しているというのに、想像するだけでも大変そう。だが、そのおかげでこんなにも優しい表情が作れるのだろう。


愛らしい姿のボンボンショコラ。夏向けの新作も登場


丁寧な仕事ぶりに納得しながら、早速、ひと粒とって口の中へ。初めは、フローラルな香りが優しく広がって、ほのかな苦みや酸味、そして渋みが後に続く。ミルキーなガナッシュは、時間と共に変化していく味わいが楽しい。
「これは、定番の『ナチュラル』。フレーバーを使わないプレーンなガナッシュです。カカオのおいしさを知ってもらうために、優しさの中にも荒々しさを表現したいというイメージで作りました。ベネズエラ、エクアドル、ガーナ、インドネシアの4種の産地のチョコレートを使用しています。特に、インドネシア産が少し入るだけでアクセントになるんです」


材料はチョコレートと生クリームのみ。
カカオの風味が楽しめる「ナチュラル」



こんな感じで、宮原さんのショコラ作りは始まるという。作る前に“こういう味、こういう広がり方をするショコラを作りたい”といった明確なイメージがあり、そこに素材を合わせていくというやりかただ。そのため、使うチョコレートを限定せず、ヴァローナやプラリュ、ドモーリなどから様々な産地のものをセレクトし、納得がいくまで試作を重ねていく。
「大東カカオにいる時に生チョコを作ったこともありましたが、手探り状態。人一倍時間がかかるんです(笑)」
謙虚に話しながらも、表情は明るい。むしろ、自分のペースで取りくむ時間を楽しんでいるようだ。


ローズマリーを煮出してキャラメルと
ミルクチョコレートを合わせた
「キャラメル・ローズマリー」


「ミントレモン」はフレッシュのミントと
レモンの皮を使って香りづけ



続けて「キャラメル・ローズマリー」と「ミントレモン」を口に入れてみた。いずれもハーブの効かせかたがさりげなく、それでいて膨らみがあるのがいい。カカオとも綺麗に馴染んでいる。
「フレッシュのハーブを生クリームに煮出して使っています。といっても、ものによって煮出し方はさまざま。沸かしたり、ひと晩つけておいたりとあれこれ試して、それぞれにベストな抽出方法を考えました。素材本来の素直な味を活かしたいなと思っています」


ベルナシオンのショコラに感銘をうけて完成した「ビター」。
力強く刺激的な風味が広がる



チョコレートのセレクトや香りの抽出方法など、独自のセンスが光るショコラたち。その上、どれも驚くほど喉越しが爽やかで瑞々しい。あまりに食べ後が清々しいので、ついもうひとつ・・・という気になってしまう。これにも何かしかけが?
「生クリームの油脂分が低いからかな。カルピスの37%のものを使っています。ナチュラルな牛乳の味がいい感じで、飲んだ瞬間に気に入りました。他のものもいろいろ試しましたが、バターっぽさや卵黄っぽさがあって、カカオの風味を邪魔してしまいそうな気がしたんです。ちなみに、バターも同じ会社のものを使っています」
低脂肪の生クリームを使うため、当然、ショコラの水分量が多くなる。水分量が多くなれば日持ちはしないから、作り置きすることも難しい。それでも妥協しないのが宮原流。というのも、しっとりとしたガナッシュを楽しんでほしいから。“無理に日持ちさせようとすると、ストレスが出てしまう”のだそうだ。


挽きたてのキリマンジャロブレンドを使った「カプチーノ」

(※この商品は現在は扱っていません。エチオピアの豆を
使った「エチオピア」が新作として販売されています)



ミキのオープンは2006年12月。まだまだ日が浅いが、その名を一躍有名にしたある出来事があった。なんと、2008年に開催されたパリのサロン・デュ・ショコラに出店!しかし、これには当の本人が一番驚いていたというから面白い。では、誰か仕掛け人がいたということ?
「主人です(笑)。密かに申し込んでいてくれたんです。さすがに断られるだろうと思っていたのに、サロンからは是非来てくださいとの返事をいただきました。もちろん、チョコレートをやるからには、いつか出店できたらなんて夢のまた夢として考えていたのは事実。でもまさか、本当に実現してしまうなんて・・・」


4つのベリーの紅茶が爽やかに香る「ベリーティー」


わずか2年目にして世界デビュー。これほど華々しい経験もないだろう。更に具体的にと話をもちかけると、意外な答えが返ってきた。
「んー、あまり想いだしたくないですね・・・」
なにせ全てが初体験。現地とのやりとりも大変なら、膨大な量のショコラの準備もかつてないほど。それでも一世一代のイベントに向けて全力を出しきった。ところが、サロン前日に、大どんでん返しが待っていた。
「ボンボンショコラが、全て変質してしまっていたんです。冷蔵便で持っていったのが裏目に出てしまったみたい。普通なら冷凍しちゃうんでしょうけど、質が落ちるので、どうしてもやりたくなかった。でも、うちのものは水分が多い上、真空状態にもしていないから、ちょっとした温度変化にも弱いんでしょう。スタッフの大島とも相談した結果、これは私たちのボンボンショコラとはいえないからと、出すのをあきらめました」
結局、当日はオレンジのコンフィにチョコレートをつけた「スペイン産オランジュのチョコレート掛け」を出して事なきを得た。といっても、本人は相当ダメージを受けたはず。次回からは長距離、長時間の移動にも耐えられるようなショコラを、と考えているかもしれない。


テラス席に飾られているサロン・デュ・ショコラの写真。
真っ赤なディスプレイが目を引いていた



「いえ、逆ですね。冷凍してしまったり時間が経ったりしたら、それは私のショコラではないんです。やっぱり、できたての最高の状態で、お客様に直接手渡ししたいなと強く思うようになりました」
ふわふわとやわらかい物腰の宮原さんだが、このときばかりはゆるぎない口調に。いかに効率よく多種類を作ることができるか、日持ちさせられるか、といったお菓子作りが常識になっている今、シンプルに取りくむことは意外に難しい。





「細々と長く続けていきたいというのが最終目標ですね」
少量でも自分が納得のいく方法で納得のいくショコラだけを出したい・・・そんな純粋な想いがにじむミキのショコラは、丁寧に作ることの心地よさを私たちに教えてくれる。(2009.05)






ショコラティエ・ミキ
住所 東京都世田谷区南烏山4-9-11-001
TEL03-3300-1277
営業時間11:00〜19:00(土曜12:00〜17:00)
定休日日曜・祝日
アクセス 京王線千歳烏山駅より徒歩3分
URL http://www.choco-miki.com/




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