深川不動尊、富岡八幡宮の門前町として栄え、今も活気に溢れる街、門前仲町。手焼き煎餅やお饅頭、漬物といった店々の暖簾が賑わいをみせる参道には、江戸っ子の粋がそこかしこに顔をのぞかせている。
そんな下町の雰囲気にしっとりと馴染むように佇む、一軒のパティスリーがある。「サロン・ド・ペリニィヨン」。約20年間、門前仲町で親しまれてきたこの店には、3代続けて通う地元の常連客も少なくないそうだ。

細長い造りの店舗。奥は6テーブルほどのサロンになっていて、地元常連客の憩いの場として賑わう


20年続くケーキ屋さんと聞くと、昔ながらのクラシックなケーキをイメージするかもしれない。だが、ショーケースに並ぶのは、ムースやフルーツを重ねた華やかなケーキたち。さらに、商品のタグをよく見ると、“ジャージー乳”のシュー、“あまおう苺”など、素材へのこだわりが感じられるものが目に付く。
「素材が好きなんですよね。だから、業者さんは大変だと思いますよ」
現在シェフを務めるのは、今年37歳になる澤井志朗さん。下町パティスリーの看板をしょって、今年で7年になろうとしている。
“まず素材ありき”、という澤井さん。といっても、〇〇社や〇〇産といったブランド名で決めるわけではない。
「そういうのには、まったくこだわっていないんです。メーカーを決めて使っている職人さんも多いと思いますが、僕は国産でもフランス産でも気にしません。自分で食べておいしくて、安全ならどこのものでもいい。ちなみに、今使っている和栗は、京都の中利というメーカーのもの。試食したらおいしかったので、翌日から即変更してしまいました(笑)」

春に登場するさくらのダックワーズ。ほかに、さくらのマカロンも


そんな、ちゃきちゃきとした性格の澤井さん。てっきり江戸っ子かと思ったが、イントネーションがどこか東京とは違う。 「僕は大阪の難波出身。コテコテの関西人なんですよ」
実は、澤井さん、大阪はミナミの日本料理店の息子に生まれ、13歳くらいまでは料理人を目指していたそうだ。
「高校までは家を手伝ったりもしましたが、反骨精神と言うんでしょうか…。自分の道を考える時間が欲しいからと、親に頼んで大学に進ませてもらいました」
だが、実はこのとき、澤井さんの頭に浮かんでいたのは、板前ではなくパティシエの姿だったという。
「そうなんです。でも、どうしてパティシエがいいと思ったのか、そのきっかけは覚えてないんですよね。ただ、サラリーマンにはなりたくなかった。実家が繁華街の近くだったので、酔っ払ったサラリーマンをよく見かけたんです。会社の愚痴を言って、くだを巻く・・・。絶対、ああいうふうにはなりたくない、手に職をつけたい、とは子供の頃からずっと思っていました」


常連や参拝客で賑わうサロン。ゆっくりケーキを楽しめるのが嬉しい


パティシエになりたい…。とはいえ、漠然とした想いだけで、ケーキ作りに関してはまったく知識がない状態。そこで、大学3年生の時に、苦楽園の「シーキューブ」でアルバイトを始めた。
「本当に何もできなかったので、リンゴのむき方から教えてもらいました。それから、お菓子屋さんは大変だよ、ということもここで学びましたね(笑)」
ちなみに、当時の「シーキューブ」はまだ2店舗ほどのパティスリー。現在、デパ地下で人気の、あの「シーキューブ」とは、ケーキの種類もずいぶん違ったようだ。当時シェフを務めていた城本さん(現「ナチュール シロモト」オーナーシェフ)は、頼れる兄貴分として、技術はもちろん、パティシエとしての心構えまでをしっかり教えてくれたという。
「当時は、本当に毎日が楽しくて仕方ない、という感じでした。作ったものが形になるということが嬉しくて。それに、他の人にできて自分にできないことが明確に見えるから、目標ができる。昨日できなかったことは今日必ずできるように、と自分で目標を決めて仕事をしていました」
パティシエの魅力にすっかり引き込まれてしまった澤井さんは、大学卒業後、そのまま「シーキューブ」へ入社。そして、合計3年半、みっちりと基礎を学び、六甲のパティスリー「マディ」にオープニングスタッフとして迎えられた。


わかりやすい味ながら、食感や味作りには新鮮なおどろきが


そして、転機が訪れる。1年がたった頃だろうか、東京・代官山の本店オープンに合わせ、東京に移ることになったのだ。
コテコテの関西人という澤井さん、関西と関東では、ケーキの味も違うと言うが、実際どう感じていたのだろうか。
「東京のケーキの印象ですか?うーん…、小さくて高いイメージ。関西に比べて、考えないとわからない難しいケーキ、というイメージでした」
そして、澤井さんを待ちうけていたのは、まさに東京のイメージそのもののケーキだった。
当時、代官山「マディ」のシェフパティシエを務めていたのは、現「フラウラ」の桜井修一さん。フランス帰りのシェフの下で、澤井さんは、これまでとはひと味違う、フランス流パティスリーを学んだ。
「『マディ』で作っていたのは、よりフランスに近いケーキ。材料にもこだわって、かなり質のいいものを使っていました。例えば、チョコレートだったら『ヴァローナ』や『プラリュ』といったフランスのものがメイン。確かにおいしいのですが、自分が独立した時を考えると、こういう素材の選び方は難しいなと思ったのも事実です」
フランスに憧れ、周りが次々と渡仏していく一方で、澤井さんは冷静な目で現実を見つめていた。
「フランスに行ってないのは、実はちょっとコンプレックスだったりもするんです。でも、逆にいえば型にとらわれないのが強みかなと思っています」
澤井さんの頭には、明確なビジョンが描かれている。3年単位で店を経験して腕を磨き、32歳くらいで独立。店を構えるのは、自然が豊かな場所。そして、地元に根ざしたスタイルで…と、かなり細部までイメージされている。その実現のために、渡仏経験は必ずしも必要ではなかったということだろう。


コーヒーに添えられたマカロンは、カリカリの食感が小気味良い。チョコを入れて焼き上げることで、風味豊かな味わいに


「マディ」で3年間、正統派フランス菓子を学んだ澤井さんは、より自身のイメージに近い店を経験するためにと、高津(川崎市)にある「パティスリー パーク」に入った。
ところが、ここで問題が生じる。転職をしたために、財政が苦しくなってしまったのだ。すでに結婚をしていた澤井さんは一念発起。どうしても30歳までにシェフにならなければと、積極的にコンテストに参加するようになった。
「30歳でシェフになるには、コンテストで優勝するのが近道。そう思ったんです」
持ち前の負けん気も手伝って、年に2回はコンテストに参加するように。そして、2002年、ドーバー洋酒貿易主催の「ルクサルド・グラン・プレミオ 日本大会」で、ついに優勝を手にした。いよいよ、シェフの座も近い。
「…ところが、そんなに簡単には行かなかったんですよ。実は、今の『ペリニィヨン』のシェフ職も『フロムA』で見つけたんです(笑)」
予定はさらにずれていった。シェフ職を東京で3年間、大阪で3年務めた後に独立…、というシナリオを描いていたが、「ペリニィヨン」は今年ですでに7年目を迎える。

ケーキ、焼菓子のほか、コンフィチュールやハチミツなども揃う


「結果的にこの場所が自分には良かったんだと思います。最初は、代官山や自由が丘にも憧れましたが、ここは本当に地域密着型だしサロンもある。オーナーも自由にやらせてくれるので、居心地が良くて…」
とはいえ、下町の人間は味にうるさい。味の質を保っていなければ、すぐに見放されてしまうはずだ。
「そうですね、新作は、月に2品を目標に出すようにしています。ですから、ほぼ毎日、試作していますよ(笑)」
そこまでして新作にこだわるのには、もうひとつ理由がある。
「常連のお客様の存在は大きいのですが、スタッフの士気を上げるためにも必要だと思っているんです。というのも、スタッフが飽きてしまうと、おいしいものは作れないと思っているから。ちょっと恥ずかしい言い方ですが、お菓子の何割かは気持でできていると、僕は信じているんです」
ムースひとつとっても、素材によって作り方や合わせる素材を変える。例えば、ユズの酸味がキリッと清々しい「ユズモ」のムースは、メレンゲの量を通常より多めにしてフワフワでみずみずしい口当たりに。もちろん、それに合わせて生地も使い分けている。

「ユズモ」 ¥380
柚子の酸味を効かせたフワフワムース。レモンのバタークリームに合わせることで、奥行きのある酸味を表現



「自分の中にお菓子の味や食感のイメージがあるので、それによって食感や生地を変えるようにしています。だから、ムース2層の間に生地、というお決まりのケーキは作りたくない。素材をいかし、かつ、勉強になるようなものを作るようにしています」
頭の中にあるイメージを形にする。それこそ、澤井さんがパティシエ業をもっとも楽しいと思う瞬間だ。試作から完成までには、3ヶ月のときもあれば、1日で出来てしまうものもあるという。
「今試作中なのが、バナナとココナッツ、キャラメルを組合せたケーキ。最終的な味は頭にあるのですが、それを生地から作ろうと思っているので結構時間がかかるんですよね」
発想の源は様々。だが、素材好きだけあって、素材の味から・・というケースが多いようだ。
「実は、おいしいドライパイナップルがあって。この味をいかしたい、と考えながら、食感や合わせる素材を選んでいるところです」
ジャージー牛の生クリームを使った「ジャージー」も、そんな素材の良さをうまく引き出した一品。
「ジャージー乳と聞くと、濃厚なコクをイメージしますよね。でも、この生クリームはもっと繊細な味わいでした。そこで、乳の味をいかしつつコクを出すために、練乳を加えたんです」
口の中に広がるのは、まさにイメージ通りのジャージー乳の味わい。“わかりやすい味”も、関西出身の澤井さんならではだ。

ジャージー ¥380
練乳のコクと隠し味的に使った和栗が、ジャージー生クリームの味を引き立て、印象深い味わいに



「フランスにはそんなに興味がないんです。日本で和菓子を学ぶのと同じで、すでに伝統のあるフランス菓子を極めるのは難しい。自分が目指したいのは、お客さんが考え込まずにおいしいと感じられる味。見た目と食べた味が一致するような、わかりやすい味を作っていきたいと思っています」
といっても、単純な味というのではない。例えば、抹茶のケーキだったらココナッツを隠し味に忍ばせたり…と、ちょっとした食感や隠し味に、パティシエの腕の見せ所があるのだ。フランスの伝統や名前を知らなくても、食べて幸せを感じられる味わい・・・。それこそが澤井さんの求める味なのだろう。

パティスリーならではの味わいを楽しめる、深川かすていら \1200


東京で暮らすようになって12年。江戸っ子気質にもすっかり馴染んだ澤井さんだが、ついに遅れていた計画に取り掛かることになった。来年の1月で「サロン ド ペリニィヨン」を去り、秋には念願だった自身の店を関西に出す予定だ。 「関西に合わせるのではなく、今自分が作っているお菓子を出したい。関西に波を起こす人間になりたいですね」 と、声を弾ませた。


「そうそう、今思い出しました!どうしてパティシエになりたかったか…。人生を2倍楽しみたいと思ったからでした」

“ケーキ作りが楽しくて仕方ない”
澤井さんが学生時代に抱いたその想いは、今も変わらない。
おいしいものを作る喜びに溢れたそのケーキは、
きっと私たちの人生をも明るくしてくれることだろう。





サロン ド ペリニィヨン
住所 東京都江東区富岡1-13-11
Tel03-3643-7183
営業時間9:00〜20:00
定休日無休
URLhttp://www.perignon.co.jp/shop08/




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