「フランスの伝統的な、各地方で受け継がれてきたお菓子が好きです。地味だけどおいしくて皆に愛され続ける・・・そんな奥深さに惹かれます」
東京・世田谷で「ル・プティ・ポワソン」を切り盛りする小林 良さんは、伝統菓子についての魅力をこう語る。
小さなショーケースの中に並ぶのは、フルーツを乗せて焼いたタルトやガトーショコラ、ベイクドチーズケーキなどの、いわゆる“焼きっぱなし”のものがメインで、クリームものはシュークリームやモンブランなどごくわずか。ケースの上や横の棚にはガレットブルトンヌ、クラフティ、パンデピス、フィナンシェ・・・とこれまた焼きものばかりが並ぶ。けれども、こんがりと黄金色に焼けたお菓子たちから立ち上るフレッシュな香りに刺激され、口にすれば卵やバターなど素材本来の旨みがふわっと広がる。食感や食べ応えもあるから満足度も高い。見た目の素朴さとは裏腹に、ル・プティ・ポワソンのお菓子はとても印象的だ。


店は通りから少し奥まったところにあるため、意外と見つけにくい。それが"かえって隠れ家的で素敵"というお客さまも


小林さんをお菓子の世界へと導いたのは、母親の影響が大きかったと言う。
「小さい頃からお菓子やパンをよく作ってくれました。それを手伝うのが大好きで。だからお菓子作りはとても身近なことでしたね」。
大学卒業後、まずは調理全般を調理師学校で学び、その後はフレンチのレストランに就職。現場で経験を重ねていくうちに、“自分にはコツコツ作業する菓子作りが向いている”と再認識したそうだ。ならば、本場のフランス菓子を見てみたい。その想いでフランスへと渡り、パリのル・コルドン・ブルーに通うことになった。

 さて、肝心の語学力はどうだったのか?
「全然。最初の1ヶ月間は語学学校に通うことにしたので、なんとかなると思っていたけれど、そう甘くはなかった。フランス語がわからないまま、コルドンの授業を受けることに・・・」。
フランス菓子を夢見る女性が、勢いに任せて・・・と、ここまではよくある話かもしれない。けれども、小林さんの場合は、ここからがすごかった。

「授業が楽しくて・・・といったほのぼのした気持ちとか余裕はなかったです。逆に、ものすごく気合が入っていて、“誰にも負けたくない”って毎日が真剣勝負。フレンドリーでもなかったから、まわりからみるとすごく怖かったかも(笑)」。
同校には、世界中からパティシエ志望の生徒たちが集まってくる。中には実際に現場でバリバリ働いている人もいるし、男女比は約半々といった顔ぶれ。控えめな日本人の場合は日本人同士で固まってしまうことも多いのだが、小林さんは違っていたようだ。友達を作ろうとか、そうした甘い考えはなかった。むしろ、まわりは皆、ライバル。気合を入れなくては。


焼き菓子が並ぶ棚の上の鏡には「Cuit d'Or」(黄金色に焼く)の文字が。小林さんがもっとも大切にしていること


「日本のフレンチレストランでの経験があったとはいえ、フランス菓子の知識はほとんどないに等しかった。でも、それがかえって良かったのかもしれません」
見るもの全てが新鮮に映り、素直においしいと思った。初級、中級、上級へと上るに連れ、素朴な焼き菓子から華やかなアントルメ、更には飴やチョコレートのピエスモンテにいたるまでを習得。その間、言葉の壁も乗り越え、上級クラスを受講する頃には仏語オンリーの授業もこなせるようになっていた。更に、週3日の上級クラスの時には、空いた時間がもったいないからと授業のアシスタントの仕事を希望。様々なクラスで、講師であるパティシエをサポートすることになった。
「仏語ですか? お菓子の専門用語さえ覚えてしまえば問題ないですよ」
さらりと言ってのけたが、おそらくお菓子作り同様に、かなり集中して臨んでいたのだろう。

同じ時間、同じことを学んでも、それをどう活かせるかは受け手次第。常に全力投球の小林さんは、飴細工、チョコレート細工、皿盛りデザートを作る最終試験も気を抜かずに取り組み、ついには首席で卒業という快挙を成し遂げたのだった。

大きめでぽってりした姿がいかにもおいしそう!厚みがあって、外はこんがり中はもっちりの皮にはまるファンも多い


その後は、
「パリのセッコというパティスリーで研修させてもらいました。学校に通っている頃から好きなお店だったんです」
シェフのステファン・セッコ氏が得意とするのは、伝統的な味わいの中に無理なくモダンな素材を同居させたり、食べ心地を軽やかに仕上げたお菓子。タルトシトロンもシブーストもマカロンも、どれも洗練されていておいしかったそうだ。しかも、幸いなことに、その時働いていたのはシェフともう1人という少数精鋭の態勢。当然厨房は戦場と化しているから、小林さんを“お手伝いの研修生”扱いなどしてはくれなかった。
「パーツもフィリングも全て自家製だからとにかく忙しくて。お陰で何でも、やらせてもらえて刺激的でした。シェフは厨房に入るととても厳しくて、でも、それがおいしさにつながっていたのだと思います。特別な材料や製法にこだわるよりも、当たり前のことを真面目にこなすことの大切さを教わりました」
と、ここでも持ち前の根性を発揮。更に、全く違うジャンルも経験したいからとレストランでも研修を重ね、デセール作りを担当した。トータル2年というパリ滞在期間は、それ程長いほうではないかもしれない。けれども、その間の技術的、精神的な凝縮度はかなりのものだったに違いない。


蜂蜜とスパイスをたっぷり使ったパンデピスは、小林さんお気に入りのひと品。そのままはもちろん、癖のあるチーズとの相性もいいのだとか


帰国後は程なくしてル・プティ・ポワソンを立ち上げ、まずはインターネット販売や卸し、そしてお菓子教室の仕事からスタートした。とはいえ、いきなり仕事が舞い込んでくるわけでも大きな当てがあるわけでもない。では、残された手段はといえば・・・
「飛び込みです。カフェとかレストランにお菓子を持っていって、“とにかく食べてみてください”って。そこから何軒か注文をいただくようになって、お店の人が広めてくれたり、あとは教室の生徒さんの口コミで輪が広がっていったり。そんな感じで3年ぐらい経って、せっかくなら教室をやっているこの場所でお店をやろうってことになったんです」

お店のオープンは今年の1月。初めのうちはタルトやキッシュや焼き菓子などをカウンターの上に並べて販売したが、その後は小さなショーケースを設置したり、厨房に大理石の作業台を取り付けたりと徐々に環境も整ってきた。現在はショーケースの中にシュークリームや季節のタルトなどのお菓子が10種類ほどと、他に焼き菓子が12種類ほど並ぶ。素材を活かすためできるだけシンプルな製法で、しかも“しっかり焼く”ことを意識したお菓子たちは、どれも香ばしく、強い印象を残しつつもあと味は爽やかだ。


シュクレ生地に洋なしとカシスを並べ、表面にアーモンドパウダー入りのメレンゲを絞って焼き上げたタルト。しっとりジューシーなフルーツと、サクサクの生地が口の中で重なる


ところで、焼きものメインの店ならば、オーブンが命。ハタと気がついて見渡すと、業務用とは思えない小さなものがひとつ目に飛び込んできた。まさかこれだけで・・・?
「はい。でもこのガスオーブン、家庭用だけどすごく優秀なんですよ。3年以上フル回転していても全然壊れないし」
なるほど、ほっと和めるおいしさの秘密はこれだったのか。小さな厨房で少しずつ作って売り切るスタイル。もちろん全てのパーツやフィリングは手作りだから手も抜けないし時間もかかることだろう。いったいその原動力はどこからくるのか。


ル・プティ・ポワソンの焼きの決め手になるガスオーブン。「これからクリスマスにむけて、ますます頑張ってもらわないと」


「いつかは自分の店を持ちたい、そしてやるなら焼き菓子メインでって、目的がはっきりしていましたから」
ストレートで歯切れの良い言葉が口をついて出てくる。まるで何の迷いもないかのようだ。更にはこんなセリフまで。
「体には自信があります。倒れたくても倒れられない(笑)」
確かに、体力と根性は彼女の武器ともいえるもの。“ああ、なんてまっすぐで力強いんだろう” 小林さんとしばらく接しているうちに、そんな感情がこみ上げてきた。しかし、実際には体調が悪いこともあれば風邪をひくことだってあるはずなのに―。


オープンから4ヵ月ほど経って、ようやくショーケースがお目見え。夏には「桃のジュレ」などの涼しげなカップデザートも並ぶ


後日、小林さんのブログの中に、こんなひとコマを見つけた。

  働けさかな!
何故なら、出来るかな? と1回でも不安に思ったらもう出来なくなるから。
それに大変とか辛いとか疲れたとか言っている暇があるのはまだ余裕のある証拠なのです。
さかなのまわりには沢山の支えがあって、だから絶対に頑張れるんだといつも思います。


ちなみに“さかな”とは小林さん本人のこと。自分を信じ、自分の大切なお菓子や大切な人のために、ただひたすらと作り続ける。その地道な職人らしさは、やはり伝統菓子を作るにふさわしい。 (2009.10)


店内を明るく盛り上げるお魚グッズは、いただきものも多い。
このまな板はお姉さまからのプレゼント












ル・プティ・ポワソン
住所 東京都世田谷区粕谷4-19-8 パレスハイツ千歳烏山1F
TEL03-6807-0279
営業時間11:00〜19:00
定休日月曜・火曜
アクセス 京王線千歳烏山駅東口より徒歩約5分
URL http://www.le-petit-poisson.com/




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