「アルル」 林 春二(はやし はるじ)氏


1942年、千葉県八日市場生まれ。
浅草橋のドーメルで修業後、
1969年北区滝野川で洋菓子店を開業。
10年後パン店としてスタート、1992年改装。
現在では自然食品も扱う。



「ふっくらしていなくてもいいから、安全で、噛み締めて美味しいパンが食べたい」というお客さんの声にささえられ、店を始めてから約30年、疲労回復パン、ストレス解消パンなど、オリジナリティーの高いパンですっかり有名店となりました。もともとはパンは店になく、洋菓子店だったアルル。それがどうしてパン店に、しかも添加物を使わず、材料にこだわった、安全なパンを作るようになったのか、その経緯をうかがってみました。

オイルショックで日本中がトイレットペーパーの買い出しに追われた1970年代、景気の低迷や、消費者の購買状況より、ケーキだけの経営に疑問を持った林さんは、毎日食べてもらえる「パン」を作ることを決意しました。そして、時期を同じくして読んだ本、有吉佐和子氏の「複合汚染」にショックを受け、“添加物の入らない”が新しく始めるパンの基本方針となったのです。すると、今度はアレルギーをもつ人のために原材料は?という問題に直面、どんどんこだわりが増えていったそうです。現在、アルルでは外麦はほとんど使われず、内麦のみで作られるパンが大半を占めます。

また、アルルでは、酵母として、イーストのほか、ホシノ天然酵母を使用しています。アルルのパンはどれも、柔らかく食べやすいのが特徴ですが、最初から上手に天然酵母パンを焼けたわけではなかったようです。

「ホシノ天然酵母を使い始めた頃は生地が安定しなくて大変だったよ。イーストの場合は時間で追っていけば、発酵状態がわかるけど、ホシノは温度と時間だけではだめ。カンが大事なんだよね。」と、林さん。

天然酵母を使った当初は、売り物にならないパンが半分もできてしまったとか。しかし、そんな失敗パンでも買ってくれる人がいたのです! 林さんはその人のために、一生懸命美味しいパンを作る研究を重ね、とうとう現在のようなふっくらとしたパンを焼けるようになりました。ところが、そのありがたいお客さんは、美味しいパンが焼けるようになったとたん、パッタリ店に現われなくなったとか。なんでもドイツに住んでいた、というその人が望んでいたのは、ドイツパン特有の酸っぱくて固いパン、どうやら「失敗パンそのモノ」、だったようです。「せっかく上手に焼けるようになったのにねぇ、天然酵母は難しいから途中でやめちゃう職人さんも多いんだよ。」とちょっと残念そうな林さんでした。

「Arles」と書かれたTシャツを着て、暑い工場でパンを焼くご主人のモットーは、「本日製造、本日売切」。日替りで登場する、全20種類揃う食パンなど、人気の高いパンは、はやばやと売り切れてしまうことも多いので、お目当てのパンがあったら、ぜひご予約を。「パン屋にはパンがあって当たり前なんだからね」というわけで、電話代(10円)を返してくれます。また、林さんは自らを「パン屋の親父は話し好き」と称し、お店に来るお客さんとも雑談はモチロン、最近ではインターネットを使って、海外にいる方々ともパンの情報交換をしているそうです(パナデリアへのアクセスも、E-mailでした)。アルルのホームページも最近立ち上げたので、ぜひ一度アクセスしてみて!
取材日 1998年



林さんの秘密