オーベックファン 

高野 幸一 氏

実家がケーキ屋なんです。自分がその道に進むことに、抵抗はなかったですね。出身が北海道なので、まず札幌の店で働いていました。その後、上京しました。東京に来た時のカルチャーショックは大きかったですね。北海道では、ふわふわしたケーキしか見てこなかったので、東京に来ていわゆるフランス菓子というのに初めて対面したんです。チョコレートの種類を始め、使っている素材の幅の広さには驚きました。仕事の中で使う言葉がフランス語だったのにもかなり驚きましたよ。

東京で最初の店『クレモン・フェラン』の酒井シェフは根気よく色々教えてくださる方でした。その後行った『オーボンヴュータン』の河田シェフとあわせ、自分の二大師匠です。
『オーボンヴュータン』にいた時、こんなことがありました。夏に、フレッシュのフルーツをたっぷりつかったタルトフリュイを作っていたんです。タルトの上に、カットフルーツをたっぷり飾ったあれです。隣の人と、「せっかくいいフルーツの時期なのに、なんで他のお菓子屋もやらないのかなあ」「フルーツが残っちゃったら翌日使えないものがあったり、ロスが出るからじゃないですか」って話していたら、いきなり河田さんが凄い剣幕で怒り出した。「おまえら、残った時のことなんて考えて菓子を作ってどうするんだ」って。河田さんは原価計算とかロスのことなんて考えない。旨いもの作るのが何より優先なんです。

ある業者さんが品物を持って来たときも、「よそより安くしますから、取ってください」って言ったら「よそより高くてもいいから、よそよりいいもの持ってこい!」って怒鳴り返していました。なかなか職人な方ですよ。一緒に働いていると、中途半端な気持ちで菓子屋はできないということが、お菓子を作る姿勢から伝わってきます。厨房はいつもピリピリで厳しかったことは確かですけれどもね。




オーボンヴュータンのあと、フランスに行きましたが、東京に出てきた時とはうってかわって、カルチャーショックは全くなかったんです。味の濃さも、仕事のシステムも、河田シェフはフランスそのままでやっていたから。ただ、ケーキ一つ一つが大きいなとか、お菓子が食事の一部になっているなとかそういう日本との差は感じました。

そろそろ日本に戻ろうかと思った年に、この店のシェフの話をいただきました。商品構成などにも社長は理解があり、だいたい自分が決めています。店には近所の方より、少し遠くから車でいらっしゃる方が多いですね。東京だったらうけるだろうというお菓子がここでは売れないということもあります。もちろん、地元の方にももっときてほしい気持ちは強いですが、自分の味を変えてまでとは思いません。店にはせっかく喫茶のコーナーやテラスまであるので、いずれ、テイクアウトではできない皿盛りのデセールをやってみようと思っているんですよ。

取材日 2001年7月


オーベックファン
埼玉県川口市戸塚鋏町35−24
TEL: 048-290-2828


高野さんの秘密