オ・グルニエ・ドール

西原 金蔵 氏

西原金蔵シェフと奥様

出身は岡山です。学校を出た後、京都グランドホテルに就職し、レストランなどのサービスをしていました。この頃は料理は一切していないんですよ。でも近くで見ていて作ることに興味をおぼえ、ならば学ばねばと、ホテルを辞めて調理師学校に行きました。そこで、シェフを目指していたのに、視覚的により訴えるものが強い、お菓子というものに私は傾倒してしまったんですね。それで、卒業後フランスに。ここではお菓子のほかにオードブルなども作っていました。お金を貯めては高級レストランにも行きましたが、行きたくて行かれなかったのが、リヨンにあったアラン・シャペルのレストラン。パリから交通費をかけ、食べて帰ってくるほどの余裕は、当時の私にはなかったんです。でも、近く神戸にアラン・シャペルの店がオープンすると聞き、日本に帰国する予定もあったので、戻ったら食べようと思っていました。

神戸の、ポートピアホテルにアラン・シャペルは店を出しました。偶然、そのホテルの総料理長は私がグランドホテルで働いていたときと同じ人で、帰国した私は縁あってこのホテルで働くことになったんです。アラン・シャペルとの出会いは、それまでの私のお菓子を崩しました。その後、フランスの彼の店でも働くことになり、彼からは多くのことを学びました。「料理、それはルセットをもっとこえたもの」という名言。これはお菓子作りにも通じることです。ほら、料理人って味見しますよね。ああいう感覚です。配合だけじゃないぞって。それからは新しいものを作るとき、ルセットを見なくなりました。基本の配合さえあれば、あとは自分のイメージを感覚で再現して、これだ、というものを作る。それを再現するためのルセットはあっても、“まずルセットありき”ではないんです。お菓子の世界が、無限に広がった気がしましたし、実際そうでした。

実は、ポートピアホテルの後、フランス行きが決まる前、京都で店を出そうかと思っていたことがあるんです。妻の出身地でもあり、親戚も多かったので、情報も入って来ていた土地だったから。
フランスから帰って来て、東京の資生堂などまたいくつかのところで働きました。ある時、岡山で父が倒れ、そのとき東京にいた私は「そろそろ帰らなくては」と思ったんです。そしてとりあえず関西方面へと舞子ビラホテルへ。独立するなら親のいる岡山と思っていたんですが、「岡山ならここしかない」と思っていた物件があかなかった。結局、昔、店を開こうかと思った京都になったんです。

僕は、東京と関西、両方で仕事をしているでしょう、だから「西と東の味の違い」って時々きかれます。でも、自分自身では土地によって味は変えていないんですよ。冒険できない性格で、手堅くと思うから変えないのだけれど、結果的に「京都に今までなかった味。冒険したね」と言われることもあります。

静かにオープンしたかったので、開店はおおげさには知らせませんでした。一度にたくさんのお客様においでいただいても、1日に作れる数は決まっていますし、またお客様にもご迷惑をおかけしますので。でも、今はリピートしてくださる人が非常に多くてとても嬉しく思っています。細長い店の造りでしょう、ドアを開けるとまずアプローチが18メートルもあるんです。その先の2つ目のドアは玄関の入り口のイメージ。ショーケースがある場所は居間で、隣の厨房はキッチン。ほら、自宅でもあるじゃないですか、トントントンっていうまな板と包丁の音が聞こえてくる感じ。ああいう感じで、程よく音が居間に響く、っていうのが理想だったんです。

まだオープンして1年たっていないですが、これからは、この土地ならではの素材なんかも使っていけたらと思っています。今、製造スタッフは3人。自分がそうだったからなのでしょうが、若い人たちは、基本をしっかり学んだ後は、何軒かの店をまわることをおすすめします。色んなオーナーシェフの考えに触れることで成長できると思うんですよ。

取材日 2001年9月


















オ・グルニエ・ドール
京都市中京区堺町通錦小路上ル527-1
TEL:075-213-7782

西原さんの秘密