−この店はやりたいことをやる店、そして『職人修業の場』である−


パティスリー・コルディアル

小針 由雄 氏
1955年福島生まれ。調布のスリジェに勤務後、1980年渡仏。パリのアクチュール、ダロワイヨ等に計8年間勤務。帰国後はダロワイヨ・ジャパンで働き、フリー期間を経て1998年6月、藤が丘にパティスリー・コルディアルをオープンさせる。フリー期間に出版した「手作り菓子工房」(グラフ社)は、限りなく本場フランスに近いレシピを紹介した、写真も美しい力作。


普通パティシエと呼ばれる人たちは「家がお菓子屋だったから子供の頃からお菓子を作ると決めていた」「料理の道を志そうと調理学校に通った」等、若い頃から「この道!」と決めている人が多い。
小針氏は違った。「化学が好きで、学校の先生にでもなれたらと思っていた。夜間の大学に行きたくて、就職した会社の中で『朝早いが夜も早い』というお菓子部門に配属してもらった」のがそもそものきっかけだ。実際に働いてみると、夜も早いというわけにはいかず、結論としてお菓子の道一本で現在に至るところとなったのである。

フランスでの生活は長い。渡仏しても同じ店に1年といない職人が多い中で、「2年目からが戦力」と言い切る小針氏は、パティシエとしてフランス人を使うという地位も経験している。これぞ渡仏の醍醐味といってもいいだろう。そして現在若手を育てる時も「渡仏してもすぐ戦力となってやっていかれる人」を目指している。
「若手職人さん勉強の場の店」という意味が強いこの店では、おのずと商品の入れ替えが激しくなる。小針さんのやりたいお菓子をどんどん作るからという理由以上に、若手にできるだけ多くのお菓子を教えたいという気持ちの表われだ。厨房の中では様々なお菓子を通して日々脈々と小針さんの技術や思想が若手に伝えられているのである。しかし、「こうしなければならない」という「絶対」がないお菓子作りの世界の中だからこそ、自分のポリシーを伝えても押し付けはしない。「将来は調理学校の先生として若手を育てていってもいいと思っている」という小針さんにとって、若手がどんどん力をつけていくことはこの上ない喜びなのかもしれない。そして私たちは、小針氏によって感性を壊すことなく育てられた若者達が今後生み出していくお菓子に期待せずにはいられないのである。

小針氏にとってこの店はやりたい事ができる場ではあるが、すべてが思い通りに行くわけではない。オーナーを勤めるからこそといってもいい悩みもある。大きなお店と違い、設備に多くのお金はかけられない。「1から材料を作る事は基本だけれど、設備の面からそうもいかないものもある」という。アーモンドパウダーをアーモンドから挽きたくてもそれは無理なのである。少ない人数で経営しているため手の込んだ事はできないともいう。しかし、私たちからすると、見た目も味も充分手が込んでいるお菓子ばかりである。そこには「手の込んだ仕事はできないが、手は抜かない」という小針氏の強い言葉がそのまま表れている気がした。

特別こだわっていることは?という質問に対しては、「フランス菓子といいながらショートケーキを出す店だからこだわりなんて別にない」というが、「自己満足としてのこだわりではなく、パティシエとしての誇りは持っている」、こんな言葉がさらりと出てくるのも経験によって培われた自信あってである。

数種類の小針さんのお菓子を口にする。
フランボワーズの酸味とチョコの甘みの素晴らしいバランス、レモンの味がさわやかにまろやかに口に広がるムースやヘーゼルナッツの重さのないムース。マジパンを練り込んだビスキュイ、ショートケーキだけのためだけに焼かれたスポンジ。「パティスリー・コルディアル」のまっとうな味は、まっとうな職人小針氏の経験と自信の集大成である。
取材日 1999年



小針さんの秘密