フラウラ 桜井 修一 シェフ 

   



フラウラをオープンするにあたって約1年半の間に、イタリアを中心に海外を回ってきました。最初に渡仏した時とは違い、パティスリーにはほとんど行っていません。行くのはレストランばかり。食事の一部としてのおいしさが必要とされる"デセール"に非常に魅力を感じています。

物心ついた頃から料理が大好きでした。子供の夢というと"野球選手"が人気の中、幼稚園の頃から将来の夢は料理人一筋。父の料理好きが影響したのかもしれません。
その気持ちは変わらず『中学卒業後すぐに修業したい!』と親に頼んだものの、「今の時代、高校くらいは出てほしい・・」と頼まれ、高校へ進学しました。
大学に進学するための学費で調理の専門学校へ行かせてもらい、当時興味を持っていたフランス料理を専攻。
フレンチをやってみて感じたのが、パティシエになりたいという気持ち。レストランの次は代官山の"マダムトキ"併設のパティスリー"ラ・コロンバ"の第1号社員として入り、その後は、パリからセルジュ・ フリボー氏が派遣されていた"ルノートル"で修業しました。


どうしてもフランスへ行きたいと思っていた時、渡仏の機会が訪れました。知り合いの女性から「『ジェラール・ミュロ』なら紹介できる」という話があったんです。実は、今は有名店の『ジェラール・ミュロ』ですが、当時はあまり注目されていない店でした。
けれども、ちょうどその頃ペルティエから人が入り、そのおかげですっかり有名な人気店になっていました。本当にいいタイミングですばらしい店で働くことが出来たと思っています。
そこから紹介してもらい『ドゥ・マゴ』にケーキを卸す『グルポー』という店や『オテルドクリヨン』でも修業をしました。
『オテルドクリヨン』では、クリストフ・フェルデール氏と一緒でした。初めの頃は「ミュロにいたんだろ?これを仕上げてみろよ。」とか「マカロンを作ってみろ。」なんて試されることもありましたね。その結果を認められると、色々と任せてもらえるようになりました。今でもフェルデール氏とは仲良しですよ。
フランスでの修業中は給料はもらえない店が多いので、自分の貯金もだんだんと底をついてきました。そこで"自分に足りないものはなんだろう?"と考えました。答えは"どうしてもショコラをやっておきたい!"という気持ち。最後は『エブリーズ』でショコラを勉強し、帰国しました。
帰国する飛行機の中で「もう少しいたかったな。」と思いましたね。

オーナーシェフとして『フラウラ』を出店するにあたり、場所や店の作りにはこだわりました。
最初にある程度投資しないとそれなりのものはできない、ということを前にいた会社で学んでいたので、増設をしないですむような広い場所を探しました。将来的なことも考え、厨房を2つとパイルームも作りました。出来立てのケーキを良い状態で召し上がっていただきたいので、イートインのスペースも設けました。


ケーキのアイデアは常に探しています。ケーキ屋へはあまり行きませんが、レストランへはよく行きますね。その方がイメージが湧くんです。食べたことのない組み合わせや素材を選んで食べるようにしています。
でも、そうやってイメージを広げると野菜まで素材に入ってきてしまう。だから、フランス菓子として通用するもので、日本の素材を使ったもの、という線引きをして作るようにしています。
イタリアを回っていた時に「今、イタリアで流行っているものはなんですか?」と質問したことがあるんです。そうしたら、鼻で笑って「イタリア人は流行は追わない。場所によって少しずつ違い、そして変わらない。」と言われました。日本人なら日本ものでいけるものがいいんだ、とこの時開眼しました。そういうものを提供できるパティスリー、それが私の理想です。


これからはアイスクリームやトゥレトゥールもぜひやりたいと考えています。ただ、今は設備がないし、自分しかできる人間がいない状態です。自分のことだけでなく、スタッフを育てることも力をいれていきたいですね。だから、うちでは賄いを交代で作るようにしているんですよ。毎日のことですから、面倒くさいかもしれませんが・・。若いスタッフが色々なことを吸収し、成長してほしいですね。
何でもそうですが、レシピ通りにやればおいしくなるというわけじゃない。「どうやったらおいしくなるか?」そういう愛情や真心という"ひと手間"を加えてあげることが重要だと思うんです。それをスタッフにもお客様にも伝えていければいいですね。





フラウラ
東京都世田谷区世田谷1−14−17
03-5451-0015

桜井さんの秘密