「パティスリー・ドゥ・
シェフ・フジウ」
藤生義治 氏


スタッフの方といっしょに

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1947年、東京・下町生まれ。
東京製菓学校卒業後、
池袋の洋菓子店に3年勤務。
'69年渡仏。パリの「ミエ」で研修後、
ウィーン「ハイナー」を経て、
スイス「コバ製菓学校」へ。'72年帰国。
'80年立川「エミリーフローゲ」の
シェフに就任。
'93年独立し、「フジウ」をオープン。



藤生シェフの実家はパン屋さん。中学・高校時代からお父さんの手伝いをされていたのですんなりこの道に進まれたようです。「当時、六本木にあったルコントが他とは違う本場のフランス菓子をやっていました。都内にいたので、帝国ホテル、オークラなど有名店を見られたのもよかったです。」とその頃から「やるならフランスで」という夢が膨らみます。製菓学校卒業後は池袋の洋菓子店に勤め、講習会に参加しながらフランス行きのチャンスを待ちました。

晴れてフランスに行き、初めに仕事をしたのはパリの「ミエ」
オーナーのジャン・ミエ氏はフランス菓子業界の重鎮です。「自分が東京でやっていたこととはまるで別世界でした。切り替えはすぐできましたが、向こうでは、ゼロからのスタートでした。」という藤生シェフがパリで最初に作ったのは、シャルロット・ポワール。このお菓子には、やはり特別な思いがあって、今では「フジウ」の看板商品となっています。店の入り口には、なんと!シャルロットのオブジェまであってまさに「初心忘れるべからず」

帰国後しばらくは本場の味を忠実に再現していましたが、「今は自分の欲している味、甘さで作ってますね。それが無理のない形ですから。」と味の変遷がありました。シェフはここ数年、伝統的な焼き菓子などクラッシックなフランス菓子に取り組んでいて、お店はそれらであふれんばかりです。そのなかで私達の目を引いたのは、「栗カナコ」というお菓子。すかさず「奥様のお名前ですか。」と聞くと「やあ、娘です。」と照れながら答えてくれました。「10年前のスタイルと今とでは変わってきているし、この先はまた違ってくると思う。」と私達にはすでに完成された形に映るフジウのお菓子ですが、シェフは常に先を見据えているのです。

今後の豊富をシェフに尋ねると「パン屋のせがれですから、パートはもっと増やしたいです。まだここでやってる範囲は狭いと思うんですよ。東京でどこまでできるかわかりませんが、生菓子、焼き菓子だけで終わるのはさびしいので、1つ1つを充実させて、フランスの菓子屋の形態にもっていければすばらしいですね。」とますます意欲的な藤生シェフでした。
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お知らせ
フジウでは奇数月と8月、年に7回お菓子教室を開いています。ぜひご参加くださいとのことです。
取材日 1998年