ゴッツェ

ウォルフガング・ポール・ゴッツェ氏



父がパン屋さんです。お父さんはね、キレイなお菓子作るの、夢でしたね。私がドイツで学校出たときは、ベルリンは「島」でした。出られなかった。その時の私の夢は、銀細工をやることだったんですけど、ちょっとできなくてね、そうしたら父が「お菓子屋さんになれ」といいました。お菓子作り、いい仕事ですよ。ドイツで私がお菓子屋さんになった証明書をもらったときは、200人くらい一緒にもらった人がいました。みんなベルリンで、必死で働く場所を探していましたよ。今は証明書もらう人、5,6人ね。大分変わったよ。
お菓子も大分変わりました。子供の頃、ドイツで食べていたお菓子は、イーストのお菓子ね。今説明しても、誰も日本では分からないよ。本当に素朴なイーストのお菓子。50年前の話ね。

自分にとって、お菓子作りで一番大きな印象はスイスです。スイスはドイツと並んで私の第2の故郷。初めてスイスに行ったときに、ドイツのお菓子は材料もずいぶん簡単で、質素で大きいのに比べて、スイスはホントのクーベルチュールチョコレートだけを使い、ホントのバターだけ、アーモンドをちゃんと使って小さい上品な味なのに驚きました。ドイツはまだマーガリン使って、アーモンドの替わりにピーナッツ使って。ドイツは戦争終わったばっかりの頃。戦争のなかったスイスは穏やかで、平和な国です。それがお菓子の文化にも現われているよね。
特にスイスで印象に残っているお菓子はプラリネ。トリュフもボンボンも含めて、チョコレートを加工したお菓子をプラリネといいます。30才で日本に来て、もうずいぶん昔のことだけど、それからずっとプラリネ、作り続けています。スイスのチョコレートは世界一、今でもお店で使っているのはすべてスイスのチョコレートです。

今の日本ではいい素材もいっぱい入る。だから作っていて特別問題を感じることはありません。
でも、日本にいて辛いのは、日本人、ものを無駄にすることが多いこと。私は、ものも、時間も、無駄にすることはしたくない。戦争が終わったとき、無駄をしちゃいけないこと、教わりました。仕事は頭じゃなくて体で覚えました。仕事はいくらあっても恐くない。でも、無駄をたくさん出している日本人見ると心が痛みます。食べ物を作るのはちょっとそういう点が辛い。捨てる権利は私たち人間にはありません。なぜなら、物は人間が作れますが、根本の材料は作れない。もうけ、先に考えると、必ず間違います。人を喜ばせるために、美味しいものを作ること。プライドで作るお菓子は美味しいですよ。今後、自分の技やお菓子を続けてほしい。思うことはそれだけです。
取材日 1999年


ゴッツェさんの秘密