Gout de farine(グードファリーヌ)
丸山哲央 さん
 
<プロフィール>

昭和47年生まれ。
東京都出身。
高校卒業後、大手自動車技術関連企業に就職。
退社後、東京・新宿の小田急百貨店「トロワグロ」に就職、パンの世界に入る。
2003年2月、東京・久我山で「グードファリーヌ」開店。

   



その昔、甲州裏道とも呼ばれていた人見街道沿いに「グードファリーヌ」はある。
小さくてウッディな店の前にはベンチが置かれ、まるで森のなかのパン屋さん。

お店の主はかわいらしい2匹のリス……ではなく、実は自動車整備士の資格を持つ、丸山哲央シェフだ。



整備士からパン職人へ

「小さい頃から職人になりたかったんです。自分の腕で生きていくことに憧れていました。父からも、お前は職人のような仕事が向いているんじゃないか、と言われていて、自分でもそう思っていたんですね。高校は工業高校に進学、整備士として就職をしたんです。しかし実際に働いてみると、なんか違うな、と。それで辞めてしまったんです」
 
食べ物関連の仕事に興味を持っていたこともあり、退社後は調理師を目指しもした。そんなとき、出会ったのがパンの仕事だった。

「新宿のトロワグロに入りました。それまで、フランスパンとはスーパーで売られている袋入りの、ふにゃっとしたパリジャンのようなものだと思っていました。ところが、研修期間が終わっていきなり配属されたフランスパンの工場で、初めて焼きたてのフランスパンを食べたんです。そのとき"なんてうまいんだ!"と、衝撃を受けました。それまでは、そんなにパンが好き、というほどではなかったんですが」

焼き立てのフランスパンにノックアウトされた丸山シェフ。すっかりパンのトリコになり、また、パン作りのなかに職人としての目標を見出した。

「研修期間は、デニッシュなどを作っていましたので比較的作りやすかったんです。ところが、フランスパンではショックを受けました。手にくっつく生地なんて初めてでしたから。まるで自分の思う通りにならない、なんて難しいんだろうと。こんな経験は初めてでしたし、衝撃を受けました」

割とあきっぽい性格なので、そのときフランスパンに出会わなかったら、パン職人にはなっていなかったかも、と、丸山シェフ。ちなみに現在店で一番力をいれているのが、フランスパン。オープンから1年経ったいまでも、バゲットとバタールは調合を毎日少しずつ変え、自分が理想とするフランスパンに一歩でも近づくよう努力しているという。


●もっといろんなパンが知りたい●

トロワグロで約3年、フランスパンを作りつづけた丸山シェフは、いつか自店を持ちたいという希望もあり、横浜、東急田園都市線沿いの個人店へと移る。
「個人店で勉強したいと思った理由は、トロワグロではほとんどフランスパンしかやってないので、経験年数が長い割には、フランスパンしかできない、という理由がありました。もっといろんなパンを見てみたい、とも思いましたし」
トロワグロを離れて2軒目で働いた店、そこで丸山シェフに第2の衝撃が訪れた。

「他店とは1段違う世界がありました。初めて天然酵母のパンを作ったんです。それが第2の衝撃でした。いままであった、パンづくりの常識と180度違うと感じました。これまでは、商売としてパンを作る店でやってきたので、採算や効率を優先させてきました。ところが、ここではそういったものは度外視してでも、ひとつひとつのパンのクオリティを高める、というやり方だったんです」  

いままでとまるで考え方の違うパン作りに、丸山シェフは戸惑いを覚えたという。

「"なんの意味で作ったのか、なにを目的に作るのか"と、作り手を追いこんで作るところでした」

パンづくりの基本はトロワグロで学び、精神面はこの店で学んだ、と丸山シェフ。しかし、この店でパンを作るうちに、パンを作るのがつらくなったという。天然酵母を使ったパンに感動し、またそのシェフの作るパンに魅了されながら、なぜ?

「口で言うのは難しいのですが、余裕がなくなってしまったんですね。楽しめなくなったんです。パンを作ることが。見るのもいやになってしまったんです。それで辞めて、違う仕事を探したんですが……」

まるで違う仕事を、と警備員の仕事にも応募をした。しかし、結局バイト先として勤めることになったのは、大手のパン工場だった。
「何ヶ月ぶりかでパンに触ってみたら、すごくおもしろく、楽しく感じたんです。その時、"ああ、ぼくはまだ、パンのことがキライじゃなかったんだ、自分はパンが好きなんだ"と、再確認しました。単純にパンをさわって"楽しいな"と思ったんです。25歳くらいの時のことです」

やっぱりパンが好きとわかったとたん、丸山シェフはバイトを辞め、新宿のパン店に就職をする。
「そこで働いているときは、もう自分でお店をやろうと決めていました。働きながら、資金を貯めました」
実は、その時代に同じ店で事務をやっていたのが、現在一緒に働いているナムラさん。
当時は、とにかく貯蓄を、と納豆ご飯をひたすら食べ続けたとか。

ある程度のメドがつき、同店を退社。開店準備にとりかかった。店のイメージは、一度はパンをやめようとまで思わせた、あのパン店だという。

「彼女(ナムラさん)もその店が好きだったんです。結局、根っこにしみついているんだと思います。口で言うのは難しいのですが、ある意味では神のように尊敬しているんです。そのシェフとぼくとそっくりなんですよ。性格というのか、人間的に。似ているもの同士、ぶつかってしまうので、それで、多分、上手くいかなかったと思うんです。ある意味、近すぎる存在だったのかもしれません」
実際、店に並ぶパンを見ると、丸山シェフに大きな影響を与えた店がわかる。



●いまは単純においしいパンを自然に作りたい●

「最初は、ハード系だけでやりたかったんです。角食パンもやっていませんでした」
なんでも、開店当初はハード系のみ。しかも、すべてカンパーニュのようなビッグサイズで作っていたという。しかし、売上げには結びつかず、現在は小さくしたという。また、お客さまのリクエストに答え、甘いパンもおくようにあった。

「彼はあまり甘いパンが好きではないんです。でも、甘いパンを作ったことで子どもが食べられるパンができたといって、買いに来てくれる人もいるようになりました」
と、一緒に働くナムラさん。
「比較的客層は高いですね。この辺りは、同じ苗字の人がいっぱいいたり、昔、大地主だった人が住んでいるようです。都内ですが、都内じゃないような、特殊なエリアだと思います。けっこう、メニューは行き当たりばったりで作っています。練って練ってメニューを作るのではなく、作ってみてよかったら継続する、という感じです」

丸山さんとナムラさん
最近丸山シェフは、お互いに似ていると思った人でも、人間それぞれ根本は違うのではないか、と思うようになったという。
「最初は、理想とするあのシェフと同じものを追いかけようとしていたんですが、結局、まったく同じ人間ではないんだ、ということが最近わかってきました。追いかけてきたシェフの理想や目標と、僕の目標と、最近違って見えるようになったんです。もう、追いかけなくていいんだな。すごい、それがわかりました」  
丸山シェフがいま理想とするのは、単純においしいパンを自然に作りだすことだという。

「呼吸を無意識でするように、パンを作りたいです。自然にやりたいと思っています。追及して考え抜いて作ることは、ぼくにはできないんです」  
ぼくは、職人ですから、という。おそらく、手を動かしながらものを完成させていくタイプなのだろう。
今後の理想をうかがうと、
「大きな話になりますが、食事パンをメインにいきたいです。最終的には3、4種類だけの食事パンを売る店になりたいんです。できればフランスの「ポワラーヌ」、日本であれば「ペリカン」や「フロイン堂」など、数は少ないけれど、これに関してはスペシャリティみたいな店になりたいんです」

開店直後、天然酵母をダメにして、パンが作れなくなってしまったことがある。その際、お客さまからは「イーストでできる食パンだけでも」という声があったらしいが、中途半端な品揃えで店を開けたくない、と1週間、完全クローズして酵母の回復を待ち続けた。これでお客さんが離れてしまうかもしれない、との不安も大きかったという。しかし、現在では常連客も増え、その決断が正しかったことを証明。ホームページ(http://goutdefarine.at.infoseek.co.jp/index.html)も充実。今後が楽しみなお店だ。


Gout de farine
東京都杉並区久我山5−6−16―1F
03−3331−7483

丸山さんの秘密