風を感じて…

「hotel de suzuki」
鈴木 鉄士 氏

鈴木さんをclickすると…

1956年生まれ。
都内有名洋菓子店で修業後、
'80年パリ「オテル・クリヨン」ウィーンの「ハイナー」にて修業。
'89年欧風菓子「クドウ」取締役シェフに就任、
日本橋高島屋店(現在は閉店)青山店を兼務。

'95年世田谷・砧に欧風菓子「オテル・ドゥ・スズキ」をオープン。


鈴木シェフがこの仕事を始めたきっかけは、実家が和菓子屋さんだったことに端を発しているそう。でもお菓子屋になろうと突き進んできたわけでなく、模索しながらここまできたといいます。大きな転機となったのは、ヨーロッパに行ったこと。ビートルズ世代の鈴木シェフ「とりあえずイギリスを見てみたかった。すべてはそこから始まった。」そうこうするうちに自分の中にフツフツとお菓子への思いが沸いてきて、「ヨーロッパでの修業時代は大変だったけど面白かった。菓子の技術だけでなく、僕はよく"風"って言ってるんですが、空気あるいは感覚みたいなものを身につけることができた、一番いい時でした。」と。

「フランスの小学校では10月のある週、本物の味にふれる授業があって、有名シェフがフランボワーズやチョコレートの味を子供たちに教えるんです。まがいものでない、本物を学ぶことによって、ものの考え方や自分で選び取れる能力を身につけさせるんですよ。」とシェフは教えてくれました。(これは筆者も聞いたことがあります。フランスにもファーストフードの波が押し寄せてきたことに不安を感じた政府が、毎年「味覚週間」を設け、子供たちに素材の味や香りを教えるのだそう。) こうしたことに食文化の違いを感じた鈴木シェフ「日本は自分で選んでないでしょ。情報とか流れで選んでる。ティラミス、カヌレ、ベルギーワッフルにしても。」と続けます。

こだわりは「季節感を大切に。」やはりこれは和菓子屋さんのご両親の仕事ぶりを見たり、子供の頃、お茶会に行ったりしたことに関係しているようで、大人になるにつれ、そうした風景が甦ってきて、例えば月見の茶会、高台のお寺で、奥にはすすきがあって、かがり火が焚かれ、月がぽっかり浮かんでいる光景を今でも明確に覚えているそうです。こうした実体験が菓子作りにつながって、年とともにいいかたちとなって表れてきたよう…ケーキに使うフルーツは、ほとんどが国産で旬のもの。愛知のいちご、長野のあんず、プルーン、ブルーベリー、洋ナシ、そして山梨の青りんご、青森の紅玉と季節とともに移り変わっていきます。「何月何日に終わりっていうんじゃなくて、状況を見ながら季節が終わったらすぐやめちゃうんですよ。」ヨーロッパで感じた"風"と子供の頃から親しんだ和の感覚がsuzukiのお菓子を生み出しているようです。

が、suzukiの魅力はこればかりではありません。お店を見渡してみると、開店当初より焼き菓子が増えたように思えます。聞くと「リンツァートルテが食べたいわ」などという海外生活の長いお客さまからのリクエストから、次々増えてしまったそう。うーんこんなお店が近くにあったら…。
今後の展開として、店舗をもう一つか二つ増やしたいとのこと。「場所はまだ企業秘密。びっくりするところかもしれませんよ。」と詳しいことは聞けませんでしたが、これからも鈴木シェフから目が離せません。

取材後記
「あなた達、おもしろい仕事してるね。この業界、普通の会社と違って面白い人多いですよ。先輩の影響とか、ある人の一言とかすごく影響うけたりとかね…」とシェフから励ましも。取材班はこれからもがんばります。

取材日 1997年