木村家パン

田部 直 氏
●生まれ…昭和23年(1948年)
●店名の由来…先先代(初代)が銀座にある木村家総本店からのれんわけし、大正8年に開業
●今の3代目の田部さんの修業経験…東京荻窪にあった木村家パンで短期間修業したけれど、ほとんどの技術等は先代より引き継いだもの。


創業はなんと大正時代。約80年も続いているパン屋が広島の裏通りにあったとは正直いって驚いた。店構えも品揃えも決して今風ではない。けしのふりかかるあんぱんや、割れ目の入ったジャムパン、カレーパンやポテトサラダなどを詰めた惣菜パン。食パンはもちろん山食ではなく角食だ。ハード系のパンも置いていない。典型的な町のパン屋さん…と思いきや3年ほど前には広島そごうの新館にも店を出したというのを聞いて、これまた驚いてしまった。一体どんな魅力が隠されているのだろう。

デニッシュを除いた全てのパン生地は24時間発酵をさせている。昔ながらの製法でじっくり時間をかけ、ほとんど強力粉のみで作るというこれらのパンは、グルテンの作用でひきのあるややもちっとしたパンに仕上がる。「手打ちうどんのような感じ」という、これが木村家の昔ながらの味である。

こっぺパン、あんぱん、クリームパン、ジャムパン。これら4つは戦前からある商品で今なお人気の商品。レトロな形は見るからに魅力的だ。しかし、それとは別に特にお勧めしたいのが食パン。木村家自慢の一品で、水分を含んで柔らかく、しかし出来立てのミミは程よくパリっとして、かじったときの「ひき」がたまらなくいい。このミミの部分だけを買いに来る人もいるという。トーストしてバターを塗ってももちろん美味だが、サンドイッチやフレンチトーストにアレンジしてもとても美味しくいただけそうで、まさに子供から大人まで美味しく食べられるパンである。

カレーやポテトサラダなど惣菜パンの具はすべて手作り。広いバックヤードでは朝2時からパンや具作りに励んでいる職人さんがいる。
気さくな3代目の店主、田部さんは「世の中の流行りはあっても、自分は昔のものは変えたくないね。こだわりといえばそれがこだわりです」という。「同じ材料が手に入る限り、この味を守っていきたい」という言葉は、この店を愛する人には頼もしい限りだ。同じ材料を使いつづけるということは、それだけその材料をよく知り、うまく扱えるということと等しい。品質の安定という点ではこれ以上好ましいこととはないといえるのではないだろうか。
近くの会社で働く人が、会社を辞めてからもこの味が忘れられなくて訪れたり、20年来、30年来、40年来の常連さんもいる。そんな人たちを決して裏切らない店である。

基本的な素材や作り方は変えないが古風にとどまっているわけではない。中で働く若い人達が新しいパンをアレンジしたり、面白い具を入れてみたり。田部さん自身も「あんなパンをやってみようかな」と思えばやってみたり、また今後新たな挑戦として、もっともっと健康的なパンを作りたいという熱意を持つ。今でもほとんど添加物を入れていない木村家のパンであるが、「流通しているものがどこまで安全か」ということを考えながら材料を厳選し、アレルギーの人も安心して食べられるようなパンを作りたいという。新たな方向でまた一つ、木村家の看板商品が増えるかもしれない。

「完全に個人でやっているわけでもない、だからといって大きい店にしているわけでもない。中途半端でなかなかやってみたくてもできないこともある」と田部さんは言うが、何よりも今の商品をおろそかにしない姿勢が素晴らしいのではないだろうか。世の中、塩のきいたハード系のパンが増えている。そんな中で、塩味は薄め、ほんのり甘みがあって、いつ食べてもほっとするような、元来日本人の味覚に合う美味しいパンは貴重だ。思うに、ハード系パンの人気はこういうパンあってのものなのではないだろうか。ワインやチーズとともに日々フランスパンを食している人も、陰でこっそり食べて微笑んでいそうな、そんな暖かみのあるパンを、いつまでも作りつづけて欲しいと思う。
取材日 1999年


田部さんの秘密