マルメゾン 大山 栄蔵 さん


外国に行きたかったんだよね。外国に行かれればどんな職業でもいいと思っていて、調理師学校に入った。お菓子の道へ進もうと決めてからは、外国の中でもフランスを目指そうかなと思っていたんだ。

卒業し、助手として1年残ったあと、六本木に開店したばかりのルコントを紹介された。そこに2年いたんだけど、「技術よりもまずは言葉かなあ」と思って、渡仏を決意。でも実はね、フランスへはパティシエとしての修業じゃなくて、ノルマンディーにある大学への留学ということで行ったんだよ。新学期の少し前に渡って、まず入学前の語学研修でトゥールという町に行ったら、そこでたまたまお菓子屋の勤め口があってね、結局ノルマンディーには戻らず、その店に半年勤めちゃったんだ。

それからスイスの菓子学校へ。ここはドイツ語圏だから、卒業後スイスかドイツで勤める人が多かったんだけれど、俺はパリへ行った。実は言葉はルコント時代にもかなり勉強していたから、他にパリで修業していた日本人よりかなりできたよ。それもあって4年パリにいる間に、だんだんフランス人を教える立場になっていってね、そろそろ日本に帰ろうかなあと戻ってきたんだ。


戻ったら景気が悪い世の中で、なかなか就職口がなく、それなら開業しちゃえ、とはじめた訳なんです。儲けようというより、自分のやってきたことを表現できて、生活できる程度でいいやとおもっていたから。 世の中はまだふわふわのケーキばかりだったけれど、当時の自分は、店に会に来るお客さんをフランス人だと考えていたな。

でもだんだん、洋食から和食への自分の食生活の変化などから、フランスよりも甘さ控えめのケーキに変わっていったと思う。それと同時に「ああ、お客さんはフランス人じゃなくて日本人なんだ」ってことにも気がついた。

でもね、それはケーキを日本風にアレンジしたということではなくて、自分流にしたってことなんだよね。当時好まれるケーキに迎合していったら、今この店はなかったと思うな。今では珍しくないだろうけれど、あのとき「フランス菓子の店」というのは珍しかった。他店とは違うそのスタイルを続けてきたからこそ、今こうしてして店が残っているんだと思う。


仕事をしながら、疲れたり眠かったことは何度となくあったけれど、それを辛いと思ったことは一度もないよ。これが本当に自分にあった仕事なのかわからないとも何度も思った。でも、そう思って辞めちゃったら終わりでしょう。とりあえず、ここまでやったんだからと前だけ見てきた。好きになると、続けることは苦じゃないんだよ。

だから、若い人にも、どんどんお菓子を好きになってほしいよね。そしてきちんと続けてほしい。パティシエっていう仕事は、瞬発力より持続力の仕事なんだから。



取材日 2001.10.28

マルメゾン
東京都世田谷区6−25−12
03−5490−1639

大山さんの秘密