パティスリー ミヤハラ
宮原 省三 さん  
<経歴>
鹿児島県生まれ
大阪辻調理専門学校を卒業
渋谷・シャンドン、銀座・エルドール、横浜・ベルグの4月を経て渡欧
スイス、フランスに各1年滞在
帰国後、青山・キハチ
1999年パティスリーミヤハラオープン

   



きっかけは父の職業でしょうか。父は鹿児島で和菓子店をやっています。その背中を見ていたからか、やはり食べ物を作る仕事をやりたいと思っていました。私は3人兄弟の長男なのですが、父は店を継ぐことは特に望んでいませんでした。
パティシエの道を選んだときに、思い浮かんだのが『ちび黒サンボ』のホットケーキなんです。トラがぐるぐる回ってバターになりますよね?あれが自分のケーキに対するイメージの根源なのかも知れません。




東京の店を選んだ理由は、東京という場所には色々な情報が集まるから。将来のことを考えると、やはりいろいろなものを見ておきたいという気持ちがありました。独立は昔から考えていましたね。自分のやりたいことを100%表現できる店というのはないと思ったんです、それなら自分で店をやろう、そう考えていました。

初めにいた「シャンドン」では、販売から製造まで何から何まで経験させてもらいました。今でも味の上で一番ベースになっているのは「シャンドン」だと思います。
逆に、約5年間という1番長い期間いた「キハチ」は、素材の使い方に非常に興味があって、ここを最後の店にしようという気持ちで自分から入りました。今はかなり広範囲に展開していますが、当時は青山のレストランと相模原の伊勢丹にしかパティスリーはないという時代。ゴマをはじめとした和素材の使い方など、料理人が作るとこういうケーキができるんだな、と勉強になりました。



フランスではケーキの味よりも、仕事への取り組み方を学んだように思います。向こうでは仕事に対して考え方が非常にシビアなんですよね。パティシエと名乗ってお店に入ったからには、きっちりとできて当然。自分の仕事ができなければ、お給料をもらう資格がないような感覚は、日本とはかなり違いましたね。もちろんフランスのケーキはおいしいです。でも、何といっても素材が違うし、自分としてはそれを無理に真似るよりも日本人の口に合うものをしっかりと作りたいという気持ちが強いです。

ケーキ作りで守っているのは、新鮮さと素材の能力をしっかりと使い切るということ。しっかり泡立て、混ぜ、焼く。そして、出来立てのものを提供する。これでおいしいものは作れると思うんです。それから、子供の食べられないものは作りたくないですね。だからうちでは、業者の方に申し訳ないほどお酒が減らないんですよ。

自分の100%やりたいこと、というのはまだまだできていないですね。 お客様にご迷惑をおかけしているのは、午前中に商品が揃わないということ。作り立てを出したいので、前日に作らず朝から仕込むものが多い。だから、どうしてもショーケースにケーキが揃うのは午後の2時くらいになってしまうんです。これは、今後のテーマですね。

今後はもう少しケーキの種類を増やしたいと思っています。そして、それ以上にいまあるケーキをしっかり作っていきたいです。いくつもの味を組み合わせたケーキやデザイナブルなケーキ、色々なケーキを作るパティスリーがあっていいと思うんです。その中で自分のケーキは、"帰ってきたときに食べる"というイメージ。毎日食べてもおいしいと思ってもらえる、そんなケーキを作りたいです。 明日はもっとおいしく、あさってはもっともっとおいしく、そういう気持ちでいつもケーキを作っていきたい、そう思っています。


ミヤハラ
東京都世田谷区上北沢3−32−14小川ビル1F
03-3304-1538

宮原さんの秘密