「体育会系菓子職人」 
グランクリュ 石塚伸吾 氏

石塚さんをクリックすると声が聞けます!

1959年、東京都立川市生まれ。高校までは野球一筋。卒業後「亀屋万年堂」に入社し、1年半勤める。
赤坂「メドール」、「東京プリンスホテル」で修業。その後銀座のフランス料理店「ペリニィヨン」で
デザートを担当。'90年、同店のお菓子部門「サロン・ド・ペリニィヨン」のシェフに。'96年独立。



「菓子屋になりたいと思って入ったわけじゃないんです。就職先を探してて、給料が一番高かったのが菓子の会社だったんです。」野球の名門・国学院久我山高校でショートを守っていた石塚シェフ。大学へ進んで、野球を続けるつもりでしたが、事情があって就職。「好きなことじゃないので、辞めたくてしょうがなかった。態度はでかいし、文句は言うし、飯は人の三倍食べるし。上司からしたらイヤな奴だったと思いますよ。」

しかし本来、負けず嫌いの性格、このままではいけないと思い、赤坂「メドール」に移ります。やっと菓子屋らしくなってきて"おいしいものを作る"ということに触れ、磨かれたのは、銀座のフランス料理店「ペリニィヨン」だったそうです。「レストランは新鮮でした。今のベースになっていることは銀座にいたとき身につきましたね。レストランのデセールは、オーダーが入ってから作るんです。お客さんはメニューにない、冷たくなくて酸っぱくないものとかイメージで注文されますから、その場にある素材で、瞬時に作るんです。」とシェフがお菓子屋でもないし、コックでもない、ちょうど中間みたいなものと自分を評するゆえんはここにあるようです。


石塚シェフのさらなる転機となったのは、「サロン・ド・ペリニィヨン」にいた当時、福岡「フランス菓子16区」の三嶋シェフとの出会ったこと。「勝手に師匠と思ってるんですけどね。人間として尊敬できる人です。」三嶋シェフは日本にダックワーズを紹介した人で石塚シェフはこのお菓子を食べ、作り手の思いを強く感じたそうです。だからダックワーズは石塚シェフにとっても思い入れのある商品。シンプルな焼き菓子ですが、縁にはみ出したペルル(小さい球状の粉糖の結晶)は、一つひとつ、はさみで切っているという手の込んだものです。

グランクリュのお菓子は、レストランからの流れをくんで、素材重視。例えば、ケーキに使ういちごは、有機栽培の完熟のものを農家から直接送ってもらっているそう。「かなりのこだわり」と私達は思ってしまいますが、「こだわりとかポリシーって大嫌いで、当たり前のことを当たり前にやりたい。菓子屋でお菓子作ってて、そのお菓子がまずいんじゃ菓子屋じゃないですよ。今の時代、手間をかけないとおいしいということがなかなか伝わらないです。"わたしを買ってよ"と訴えかけるお菓子でなくてはだめで…飾ってお客を引き付けるものはいくらでもあるが、何も飾らずに、人を引き付けるものはそうないですから。」


外見の美しさばかりにとらわれず、いつの時代でもおいしいと思われるお菓子を作りたいという石塚シェフ。いずれは街のシンボル、いこいの場所になるような店にしていきたいそうです。おいしい素材で真っ向勝負。野球で鍛えたたくましい腕から、存在感のあるお菓子が広がっていきます。秘密はこちら。


取材日 1998年