神戸ドイツパン 

新山 勲 氏







観光地としてあまりにも有名な神戸元町トアロードにある神戸ドイツパン。観光客はもちろんのこと、地元の人々にも根強いファンが多いお店です。パン工場はお店のある元町から車で20分ほどのところにあり、開店以来、そこでパンを作り続けているのが新山さんです。

取材当日、あの神戸ドイツパンの職人さんに会える!と、スタッフ一同わくわくしていた反面、職人かたぎの気難しい方だったら...と不安の色を隠せないまま、工場に到着したのは午後2時ごろ。工場の入り口にある事務所に新山さんらしき姿が...
新山さんはにっこりとほほえんで、私たちを気持ちよく迎えてくださいました。(スタッフ一同ほっと胸をなで下ろす。)「中の方が暖かいから」と、新山さんは私たちを早速工場の中へ案内してくださいました。ちょうどパン作りが一段落したところで、空気はまだほんわか暖かく、つい先程までパンを焼いていたのが肌で感じられます。

新山さんは昭和32年、神戸のフロインドリーブに入られました。「なんとなくパン作りの道に入ったものの、一度始めたら辞められなくなって...」昭和55年に独立し、神戸ドイツパンが開店しました。新山さんは、フロインドリーブから独立して、今も現役でパンを作っている職人の中で一番古い方。東京・広尾のフロインドリーブの職人さんは後輩にあたり、新山さんは広尾のオープン時、応援で三ヶ月間パンを作りに行ったのだそうです。

現在、パンの種類は、32種類ほど。これらのパンをたった3人で作っていると聞いてびっくり!!季節商品はほとんどなく、一年を通じてこだわりの味を焼き続けています。パン作りで苦労されていることは?とお聞きすると、工場の奥にある大きな石窯を見つめながら「夏場はあの窯の熱で、工場内が40度ぐらいになるので、中での作業が大変。室温の調節は、窓の開け閉めだけでするんです。」と新山さん。問題の?石窯は、厚さ15センチの煉瓦を積み上げたもので、20年以上美味しいパンを焼き続けている、日本に1つしかない大切なもの。阪神大震災では、電気系統が故障したものの、窯そのものは大丈夫だったと聞いて、石窯の力強さを実感しました。

震災が神戸を襲った時、新山さんはちょうどパン作りに追われている真っ最中でした。おおきな揺れで、石窯が一メートルも前に飛び出し、床には粉や油が散乱して大変な状態に。工場が再びパンを焼ける状態に戻ったのは、震災から一ヶ月半後。しばらくは元町の道端にワゴンを出して、パンを売っていたそうです。「まるでデパートのワゴンセールのようでした。」と笑って話す新山さんでしたが、その時は大変なご苦労があったことと、心が痛みました。現在も震災前に比べると、売り上げは2、3割落ちたままだそうで「神戸はまだまだです。」という新山さんの表情が一瞬厳しくなります。

さて、パンへのこだわりをお聞きすると「黒パン、ハードトースト、コッペは手間がかかるので、売れて欲しいですね。」と新山さんの声に力がこもります。また、今後の展開については、現在の三宮店は仮設店舗のため、2年後をメドにお店の移転を考えていらっしゃるとの事でした。

一時間ほどの取材でしたが、新山さんの優しい人柄から、パンへの愛情をいっぱい感じて、大変有意義な時間でした。帰りにいただいたハードトーストは本当に美味でした。新山さん、ほんとうにありがとうございました!
取材日 1998年