パン・ド・ナノッシュ

関谷 勝美 氏

実家がパン屋だったんで、そこを継ごうという気でパンアカデミーという学校に行っていたんです。パンに興味が失せた訳ではないのだけれど、中退。藤沢のパン屋に就職しましたが、これも1年ほどで辞めちゃって。そのあとは少しパンから離れ、飲食店で2,3年。今度は横浜のパン屋で3,4年。ここにいたとき、パン焼き釜を作っている櫛澤電機製作所の人と知り合いになりました。この後また飲食店で勤めたんですが、櫛澤電機の人に再会し、「うちにこないか?」と言われて行き、櫛澤電機では"パン屋さんよろず相談室"というのをやっていたのですが、その担当をしたんです。

誰かがパン屋をオープンするときとか、店を改装するとき、システムを変えるときなど、その店に行って2,3ヵ月手伝うんです。4年間いて、オープンだけで15店くらい、他も含めると40店近くのパン屋さんを手伝いましたね。素材、製法、方針、同じパン屋でも色々違うんだなあって、勉強になりましたよ。その時に見ていてよかった素材や製法は、今の店のパンのベースになっていると言っても過言ではありません。逆に、反面教師になっているところもありますよね。

色々な店を見ているうちに、自分でもできるんじゃないかと思いこの店をはじめました。最初は自分1人で製造して、販売が1人。2000年4月がオープンで、しばらくは人を入れませんでした。なぜかというと、これは経験で分かっているのですが、オープンして2,3ヵ月っていうのは、目新しさもあって意外とどの店も売り上げが伸びるんです。調子にのって人を入れると、そのあと急に暇になって困ってしまうこともある。だから多少体が辛くてもその時期は1人で頑張った。夏になっても売り上げが落ちなかったので、徐々に人を入れることができたんです。今は製造だけで一日5人くらいが厨房に入っています。

パンは今80〜90種類くらいありますが、これが質を落さない限界です。人の都合でなく、パンの都合にあわせて、手間をかけなければ売れないと思っているから、これからは数を減らしてでもきちんとした品質を保っていきたいですね。流行りのパンだからとか、売れているからと作るんじゃなく、自分が作りたいパンを作っていきたい。うまく言えないんだけど、ふわふわが売れるから、ふわふわのパンばかり作ろうというのでなく、自分はしっかり焼きこんだパンが好きだからハード系はがちっと焼こう、それだけは貫き通すぞ、そんな感じです。

湘南という場所にはこだわりましたよ。なぜって、10代の頃からサーフィンにはまっているから。実は今、朝5時ごろ起きてまずサーフィンしているんです。だから僕が店に来るのは9時。毎朝5時半から店に来ているスタッフがいて、夕方4時ごろあがるんですが、なんと彼もサーファー。彼は夕方から海に出ているんですよ。

サーフィンの魅力は、一つは、いつでもはできないこと。天候と波に左右されますからね。それからね、いくらやってもなかなか上手くならないこと。手強いから飽きないんです。この魅力、パン作りに似ているのかもしれません。

取材日 2001年10月










パン・ド・ナノッシュ
茅ヶ崎市共恵1-7-1伊沢ビル1階
TEL:0467-86-8757

関谷さんの秘密