コンディトライ・ニシキヤ

西田 喜孝 氏
高校卒業後、神戸「ハイジ」に3年。その後ヨーロッパに1年滞在の後コンディトライ・ニシキヤに。現在この店で19年目をむかえ、チーフとして店の看板を守っている。昭和2年開店の老舗の3代目。

子供の頃からずっと、親のお菓子を作る姿は見ていました。それでかえって自分はお菓子屋にはなりたくないと思ってましたし、やるわけはないと思っていました。でもサラリーマンも嫌で、フランス料理のシェフになろうかなあと思ったんです。

修業に行くフランス料理店も決まっていました。その店の社長に「おまえ、まずケーキからやったほうがいいんじゃないか。フランス料理からケーキはできないが、ケーキから料理に転向はできる」と言われたんですよ。自分の親に言われたら「なにいってんだ」って思うところかもしれないですね、でも第三者に言われると「そんなものかな」と納得したんです。それでケーキの道に。

修業先は神戸だったんですが、そこで「東京のボンボンが来た」ってみんなが言っているんですよ。ボンボンって誰のことだろうと思ったら僕のことだった。ああ、そうか、家がケーキ屋だっていうのはある意味で幸せなことなんだとはじめて思いました。そこで1年、2年とやっているうち後輩もできました。徐々に一番辛い皿洗いなどの仕事からも解放されていく訳です。一番下っ端からまたやるのが嫌だったのかなあ、とにかくふっと気がついたらもうフランス料理を一から学ぼうという気持ちなんてありませんでした。お菓子一筋になっていたんですよね。

ケーキの素材は自分が美味しいと思ったものを使っています。原価が少しくらい高くても、ケーキ1ピースにしたら何銭の違いのこと。だったら、絶対我慢しないで好きな素材を使いたいですよ。地域密着型のお店ですから、お子さんからお年寄りまでみんなに楽しんでもらえるお店にしたいと思っています。店のケーキは軽いものもあれば重いものもある。甘いの、薄味なのいろいろあるんです。これだけあれば自分好みの味をみんなが発見できるかなと思っています。

ケーキを囲んだお客さんの笑顔が嬉しい。お客さんの笑顔が見えた時、これが僕の一番のやりがい。嬉しいよね、本当にそう思います。老舗の看板を守ることは保守的なようだけれど難しい。常連さんもたくさんいるけれど、当然離れていくお客さん、新しく来てくださるお客さんと入れ替わりは常にあるわけですから。お店は現状維持、作り手としては食美の追求。簡単そうに聞こえるかもしれないですが、これが今後の目標ですね。

取材日 2000年7月


西田さんの秘密