オペラ座  鈴木壮市さん  

   


フランス料理を目指していました。料理の学校を出たあと、どこも日本の店で働かず、渡仏。幸か不幸か本場を見てしまったのが、日本のフランス料理界になじめなかった理由ですね。帰国し、勤めた先で、料理人のプライドのなさにすっかり幻滅しちゃったんです。今は違う店も多いと思うけど、70年代後半のことだからね。ほとんど使いっぱしりで、休み時間のたびマンガやタバコを買いに行かせられ、「違うだろ」と思いました。

それでも料理学校やら渡仏やらさせてくれた親に申しわけないという思いはあった。レストランを辞めたあと、神戸にいる友人がお菓子屋に勤めているというので遊びに行ったら、「結構楽しいよ」って。ちょっと興味を持ったら、そこのシェフが『アンテノール』を紹介してくれたんです。これからデパートに進出を図ろうとするときで、拡大のため人を募集していたんですね。でも実は自分は甘いものは大嫌い。友人が「食べられなくちゃだめだよ」って無理矢理僕に4つもケーキを食べさせた。ひとつならまだしも、4つですよ。さすがに吐いちゃいましたよ。今でこそ美味しく食べられますから、人間変われば変われるもんですよね。

『アンテノール』を皮切りに、『マルメゾン』のあとはフランスへ。でもフランスにはなじめなかった。週末は日本人とばかり集ってしまったし。3ヵ月で戻ってきた後、いくつかの店をまわり、京都の『マールブランシュ』へ。ここでも百貨店展開を考えていて、経営からラッピングにいたるまで、幅広いことを学ばせてもらいました。これは自分が店を持つときにとても役に立ちました。

このあと独立しようと思ったのですが、「1日100万円以上売り上げる店がある」と聞き、どんな店かと興味を持った。人に聞いたところ、客として行くと、3つ買おうと思っても知らず知らず5つくらい買っちゃうんだというんです。この"売る技術"、そして"1日三ケタ売り上げる店"の内側を見たい、という気持ちと、自分の中の仕上げという意味もあって、最後はここで働きたかった。その願いは叶いました。福岡の『16区』、三嶋シェフのところです。

働き出すと、僕もそれなりに修行を積んじゃったから、三嶋シェフの方針を素直に受入れられないところもあった。ぶつかることもしょっちゅうでした。毎日叱られていたような気もします。でも3年半、やはり色々な意味で勉強になりましたね。なにより三嶋さんは大御所でも天狗にならないところがすごいと思う。

そのあと神戸で独立と思ったのですが、子供がうまれたんです。そうしたら突然、「子供にちゃんと教育ができるか」と不安になってしまった。妻にも店を手伝ってもらわなければならないのに、僕は千葉の出身だから、神戸におじいさんおばあさんがいるわけでもないでしょう。自分の子供の頃を考えると、祖父や祖母から学んだことって多かった。僕の親、すなわち子供の祖父母は戦争を知っている世代だから、食べ物の話一つにしても、重みがある。そういうのってとても大事なのではないか、そう思い、実家から近いところにしようと方向転換。ここで店を開くことになったんです。


都心でない場所でやるからには、徹底して地域密着の店にしたいと思いました。地域に認められることはどういうことか、地域のためにできることはないか、考えましたよ。例えばね、イチゴはすぐ近くの木村さんちのを使っているんです。地元の人が来て、「ああ、木村さんちのなのね」って思ってくれる、これ以上の信頼ってないじゃないですか。遠くの土地の有機栽培とかよりよっぽど安心できませんか? イチゴに限らず、できる限り地元のもの、業者と取り引きしています。 僕ね、ドドーンと上がって消え失せちゃう花火みたいなのは嫌なんです。話題の超有名店を目指しているんじゃない。30年も40年もやっていきたいからこそ、本当の意味で、地域密着の店にしたいと思っているんです。

2003年2月取材
オペラ座
千葉県柏市つくしが丘4−2−3 
TEL0471−71−1213

鈴木さんの秘密