パナデリアタナカ

田中 知 氏

 僕で4代目なんですよ、このお店は。ひいおじいちゃんにあたる初代が、とにかく新しい物好きだったらしいのです。パン屋、洋服の仕立て屋など、当時としては珍しい商売をいくつもやっていたらしい。2代目になって、その中から何かひとつを家業にしようとパン屋を選び出したそうです。今でも僕のおばあちゃん(2代目の奥さんにあたる)は生きていて、当時の話を聞くと、「毎日食パン3本しか作らず、3本売って5円というのが一日の収入だった」なんて言っています。

 僕がパン屋を継いだのは、ごくごく自然でした。小さい頃から厨房は遊び場だったし、親だけでなく、働いているみんなに育ててもらうという環境で、当然、パン生地などに触れる機会も多かった。親に「パン屋を継げ」といわれたことは一度もなかったけれど、無意識のうちにその心はできていましたね。

 パンアカデミーを卒業したあと、19歳でアメリカ、ニュージャージーの『ドルカスベーカリー』というところで修業しました。ここでスペイン人とも仲良くなりました。1年半後帰国し、日本のパン屋で修業したのちこの店に戻ったのですが、それまでの店名を『パナデリア』にかえたのは、自分の修業時代の思い出から。パナデリアってスペイン語でパンとかお菓子屋の意味ですよね。特にスペインのパンを作っているわけではないけれど、自分らしくていいかなと思っています。

 自分が戻ってくるまでの店は、角食がウリだったんですよ。昔ながらの窯があって、ミミの部分がバリっとする美味しい食パンができたんです。それはそれでよかったけれど、僕はフランスパンなども作ってみたかった。それで蒸気などの調節もできる今風の窯にかえたんです。ライ麦のパンなど、ハード系のパンをはじめたのはそれからです。

 フランスパンにはちょっと思い入れがありますね。桐生で老舗のフランス料理店のオーナーと親しくさせていただいているんですが、そこにパンを持っていくたび「前よりよくなった、でももっと美味しいものを」って、いつまでたっても合格点がもらえなかった。ある年、そのオーナーのヨーロッパ旅行に同行させてもらったことがあるんです。僕にとって初めてのヨーロッパ。そこでフランスパンを食べて、わかりました。オーナーが「もっと美味しく」って言っていた意味が。皮はバリバリしている。ふわふわなんてぜんぜんしていないのにどんどんお腹におさまる。「これだったんですね、僕に伝えようとしていたのは!」って思わず叫んでしまいました。

 それからしばらく、フランス系のパンに傾倒していました。ハード系、デニッシュ系。パンのネーミングももちろんフランス語にかえて。自分では満足していたんですが、ある時ふっと、お客様とのミゾができてしまったことに気がついた。お客様は欲張りだから、美味しいフランスパンもいいけれど、美味しいメロンパンも美味しいアンパンも食べたいんですよね。お客様に喜んでいただくためには、僕もそんなに肩肘をはらずに、もっと楽しくやろう、お客さんと一緒に成長していこうって思うようになったんです。初めて、メロンパンを作ってみたのもこれがきっかけです。カレーパンのカレーを自家製にしてみたり、やりだすと面白いですよ。

 これからは、フランスパンでももっと気軽に食べてもらえるようになるといいって思っているんです。日本風のお惣菜と一緒に、食卓にパンが転がっている感じ、今の理想ですね。だから、食材を遠くから集めるというのではなくて、日本発、桐生発のお惣菜を作ってみたい。おイモの煮たのだって、結構パンにあうと思うんですよ。
取材日 2000年12月


田中さんの秘密