パティスリー ペルティエ
(ケーキ)

岡本 匡生
1989年フランス シャルルプルーストコンクールにて第1位大賞受賞。1993年より6年間パリ ペルティエにてシェフを務める。1999年パリより帰国。

この会社に入ったのは、「職人として入ればドイツに3〜5年行かせてもらえる」というシステムがあったからなんです。お菓子を作ることというより、この留学というのにひかれたというのが正直な理由。今年で入社して20年になりますが、途中、ドイツ菓子からフランス菓子に移ったことで、結局フランスに合計7年も行くことができました。

最初に行ったのは、入社して4年目です。この時は1年間でした。当時、パリの『ペルティエ』には、その後の時代を瞬くようなフランス人パティシエたちが、MOFをとりたくて修業にきていたんです。だから厨房はもう、すごいやる気、活気、熱気が溢れていて、「これがプロの菓子屋というものなんだ」と刺激されましたね。

1980年代前半から半ばのことだから、フレッシュのルバーブやフランボワーズ、ミラベルなんかも日本ではそう簡単に手に入るものではなかった時代です。もちろん、向こうでは普通にケーキに使っていて、一年を通じ、そういうフランスのフルーツを見られたのも新鮮でした。

日本に戻って4年してから、今度は6年間行かせてもらいました。さすがにこれだけ長い時間いると、言葉も学んだし、食生活もどっぷりフランスに漬かり、文化も学ぶことができましたね。5年ぶりに見たフランスのケーキは、少し味が薄くなっていました。イチゴが一年中あったりと、やや季節感も薄くなっていましたね。

フランスではお菓子が生活に密着しているってよく言いますが、6年いる中で、実感としてそれがよく分かりましたよ。しょっちゅう食べるということもそうですが、何が日本人と違うって、まずお菓子にお金をかけること。同時に、口も出します。どういうことかというと、バースデーケーキとか、素材やデコレーション、味の指定のために打ち合わせにまで来るんです。日本でもこんなオーダーメイドな感覚が出てくると、もっと作り手も食べ手も楽しめるかなと思います。あと、アメ細工なんかも、日本では注文する人ってほとんどいないけれど、フランスでは実際に結構いるんですよ。「白鳥6羽」とかいって。ほかにも、「200人で食べられるクロカンブッシュを作って」なんていう注文もあったなあ。その時は、4メートルのを作って大変だった思い出があります。

日本に戻って来て今3年目ですが、一気にそれまでのペルティエのお菓子を替えるという極端なことはしていません。日本には日本で喜んでもらえる味というのがあります。だから、味をフランスに近づけるとかいうことより、まずは少しでも自分が学んできた技術をスタッフに伝えたい。そしてケーキ全体の質を上げたいですね。

ケーキは、夏は香り、冬は食感を特に意識し、大切にしています。うちは工場が店とはなれているでしょう。だから、まず店まで、そしてお客様が店から家に持ちかえるまでと、2度の移動があるんです。それに持ちこたえられるようにと思うと、軽さとか柔らかさという意味ではちょっと妥協がありますね。売り上げを、数字でしか見られないのも大きな企業の宿命かな。
シェフパティシエとして、色々やりたいようにやらせて頂いていますが、これで工場と売場、イートインスペースまでがくっついていたら、もう言うことないです。

取材日 2001年11月












パティスリー ペルティエ
東京都港区赤坂3−1−6ベルビー赤坂1F
TEL:03-3588-5023

岡本さんの秘密