サロンドペリニヨン 

小寺 弘晃 氏

高校を出た後、なんとなく調理師学校に行きました。料理が中心だった中、月に5時間くらいだけお菓子の授業があるんです。多分、たまにしかなかったからなのかな、お菓子作りがとても魅力的に見えて。それで、卒業したら『ハイジ』に入ったんです。

当時、ハイジといえば神戸でも修業の厳しい店として知られていました。自分はきちんとした心構えもなかったから、もう、大変でしたよ。朝は6時に行かなくちゃいけない。まず、先輩が炊くカスターのための計量から始まります。粉を計って、卵を割って。3、40分後に先輩が来た時、ちょうど牛乳が沸くというタイミングにするんです。一年目なんて、本当に計量と、フルーツむきしかやらせてもらえなかったんですよ。もっとも、何かを任せられても、僕自身のなかにやれる知識もなかったですが。

半端な心構えで始めていたから、実は毎日辞めたい辞めたいって思っていました。けれども、実家の姫路から神戸に1人で出て来ていて、「辛かったんで戻ってきました」って家族とか友達とかに言うのが嫌だったんです。変なところで気が強いから。それで、3年は続けようと思いました。3年続ければ仕事が面白くなると思ったからかというとそれは違って、「3年で戻ったなら、みんなもなんとなく納得してくれるだろう」と思ったんです。3年たったら戻っても恥ずかしくないかなあって。

でも、2年目になったら急に仕事が楽しくなりました。それまで、「計量のプロになれ。そうすれば、あとは1からのスタートではなく、3か4からのスタートになる」って『ハイジ』の小山進さんに言われていたんですが、まさにその通りでした。先輩の仕事を見ては、次は何が必要か考え、計量していたことが、いざ自分が作るとなると本当に役に立ったんです。全体の流れが分かって、スムーズにお菓子が作れる。コンクールの機会も与えてもらい、コンクールのために自分の時間を作りますよね。みんなより早く仕事を切り上げさせてもらったりする。そのために、みんなと働いている時間は今まで以上にきちんとやらなくちゃいけないとか、本当に小山さんからは色々なことを学ばせてもらいました。半端な気持ちを叩き直してくれた師匠です。結局7年『ハイジ』にはいました。
よく、小山さんが、「作るお菓子が美味しいのは当たり前。その上で、お客さんを驚かせたい」と言っていました。僕の理想のお菓子はまさにこれ。なにか、お客さんが驚いてくれるお菓子を作りたい。それでいて、どのケーキもひと目見て「ペリニヨンぽいね」って言ってくれるような。

『ハイジ』の後、もう少し視野を広げたくて、関西のほかの店や東京のレストラン、それからフランスにも行きました。印象的だったのは、パリの『ジャン・ポール・エヴァン』のムッシュに言われたこと。「イチゴ1パックとイチゴが一粒のったケーキの値段が同じとき、それでもお客さんが買ってくれるようなものを作らなくちゃいけない」って。その時、お菓子を作るのは、いい素材を使えばいいだけじゃないんだと思いました。手間を惜しんででもいいもの、美味しいものを作らなくちゃって。
今、店でアーモンドを挽いてプードルを作っているんです。正直言えば凄い手間。でもこれくらいのことをしないと他店との差別化もできないと思っているんですよ。これで作ったマカロンは店の一つのウリにしているんです。

これからは、"お客様が口に合うものをショーケースから探す"のではなく、"お客様の口に合うものを作る"というような、カスタムメイドケーキもやってみたいと思っているんです。せっかく常連客も多い、地元に密着したお店ですからね。

取材日 2001年8月












サロンドペリニヨン
東京都江東区富岡1−13−11
TEL: 03−3643−2860


小寺さんの秘密