ロートンヌ

神田 広達 氏

高校を出たての18歳のとき、アルバイトでクッキーの卸の仕事をしたのが、この世界に入ったきっかけです。材料屋さんと知り合ううちに、「店も紹介するから、ちゃんと作り手としてお菓子屋さんに入ってみたらどうか」といわれ、「ラ・リスボン」というお菓子屋に就職しました。でも、絶対お菓子の世界でやっていこうと思っていたわけでもなく、「きちんとお金がもらえて生活していければどこでもいい」、そんな気持ちでした。お菓子作りに情熱を傾けようとは思っていなかったし、そんなに熱を入れてやる仕事とも思っていなかったんですね。

でも、「ラ・リスボン」で働き始め、すぐにその気持ちは変わりました。先輩シェフ、現在「モンサンクレール」で働いている辻口博啓シェフとの出会いでした。辻口さんは、自分より若い僕らが仕事を終えても、夜中まで厨房で作業したり研究したりしている。こうやってひとつ燃えてやるものがあるのはいい、お菓子作りってそんなにも奥が深いものなのか、と驚いたと同時に、自分自身も「これは男が一生かけてやれる仕事だ」と思ったんです。辻口さんとは最初の1年半だけ一緒に働きました。彼が他のお店に移っても、ちょくちょく指導を受けに行きましたね。

4年後、僕がこの店を辞めたとき、ちょうど辻口さんも移ったお店を辞めるときでした。それで、ふたりでそれから2年ほど、フランスと日本を行ったり来たりしていたんですよ。僕はフランスに行ってどこかの店で修業していたわけではありません。実は、コンクールのために渡仏していたんです。日本で作品を考えては、フランスで賞を狙う。また戻ってきては作品を考え、フランスに渡る。これを7,8回かなあ、繰り返していました。

今でもコンクールは好きです。お店でのお菓子作りでは、やはりお客様に喜んでいただくことを第一に、味もデコレーションも考える。もちろん、自分の好きな素材で、自分が美味しいと思うお菓子を作っています。でも、中には作ってみたいけれどお店には向かないお菓子もあるわけです。そんな気持ちをぶつけられるのがコンクール。誰も文句は言いません。本当に自由に作れる場です。ある意味で、コンクールがあるからこそ日常の仕事も頑張れる。自分にとってコンクールって活力になっているんですよね。

ちなみに、この時のフランスと日本の往復生活でお金が底をついたあと、辻口さんとともに来たのが今の店で、実は、自分の実家の菓子屋なんです。昔、和菓子屋だった店を父が洋菓子屋にしたのが8年前。結局辻口さんとは、ここでも一緒に長くは働けませんでしたが、僕は自分の実家であるこの店をしっかりやっていこう・・と選択しました。東京都にあるとはいえ、この店の場所は確かに難しい。なかなかフランス菓子を食べなれてくれないんです。やっと、ここ最近ですよ、常連さんが増えて、「ああ、定着してきたな」という実感や手ごたえを感じるのは。

僕自身が、お菓子を作ることで一番気を遣っているのは、素材の組み合わせ。お菓子毎に合った素材を、上手に組み合わせてあげる。ここでオリジナリティーも出てくると思います。食べる人には、大胆にフォークですくって食べてほしい。ちょこちょこ食べていたら、せっかくの組み合わせの面白さも半減しちゃいますよ。

取材日 2000年11月


神田さんの秘密