シャラント 

竹内豫一さん



生まれは昭和21年です。昭和59年に自分の店を持つ前に、20年間パン屋で勤めていましたから、もうこの道は長いですね。でもね、昔はパンに関する情報も今とは比べられないくらい少ないでしょう。当時の20年なんて、今の10年だと思うんですよ。だからね、長くやったから偉いというものではない。きちんと勉強しているかどうかですよね。

自分なんて、その頃はともかく、最近は勉強していないから全然だめです。新しい技術にはついていけません。作っているパンも、新商品はあまり出ませんね。それより定番を楽しみにして来てくれるお客さんを裏切らないようにしています。今では、若い人たちに、「しっかり勉強してがんばれ」といいたくなってしまう立場ですね。

そもそもパンに興味を持ったのは、一つは学校の給食のコッペパン。パンって、ぎゅっと潰すと小さくなっちゃうでしょう。ずいぶん面白い食べものだなと思いましたよね。そしてもう一つは、おばあちゃんが釜で焼いてくれたパン。今思うと、ベーキングパウダーを入れて膨らました、パンもどきのお菓子なんだろうけれど、なにしろできたてだから、美味しかったんだよね。その思い出があってパンの道に入ったんじゃないかと、振り返ると思いますよね。

20年パン屋で勤めた後、市川の、こことは違う場所で店を出しました。売れるに従い、店の前の狭い道路が交通渋滞を起こすようになって迷惑がられたんです。バスが通っていたから、パンを買うために5分10分駐車しているともう大変だったんです。それで、店を移そうと決めました。条件は、バスの通らない静かなところ。不動産屋を紹介してもらい、この場所を見にきたのが真っ暗な夜。一つマンションが見えただけで、車なんて一台もいなくて本当に暗くて静かでした。前の道路にはバスも通らないっていうから、まあいいかなと決めてしまいました。

こっちにうつって思ったのは、遠くても人は来てくれるということ。今ってみんな車で動く時代でしょう。だから、昔みたいに人の集る駅前でなくてもいいんだとつくづく感じました。とても心強いですし、地元の人に加え、わざわざ来てくれる人がいるっていうのはやりがいにもつながります。

店には開店当初から石臼があるんですよ。国産の小麦はこれで挽いています。パンには外麦も使っていますが、これでは挽けない。固すぎるんです。ちゃんと挽けずに砕けて出てきちゃう。

国産と、外麦は、パンによって使い分けですね。酵母はイーストとサワー種、ホシノ酵母、自家製の小麦で起こした酵母をやはりパンによって使い分けています。「こういうパンを食べて欲しい」っていうイメージを膨らまし、それにあった粉や生地、焼き加減にしていきます。それで完成された一つの商品だからこそ、お客さんとの信頼関係も生まれると思うんです。

今、販売が中心ですが少し製造も手伝ってもらっている子が2人いるんです。パンが余ったときには自分で袋に詰めさせて持ち帰えらせています。「お客さんの気持ちになって食べなさい」って言って。そうすることで、たとえば「こういう風に入れちゃったらデニッシュが崩れちゃう」と袋詰めにももっと気を遣えると思うし、味のアドバイスとか、食べ方とか、色々ためになると思うんです。 職人という意味で育てている人はいませんが、若い人は勉強すればするだけいいパンができると思う。日本のパンはもっともっとよくなると思うんです。だから頑張って欲しいですね。

取材日 2001.12.14
シャラント
市川市南大野1-43-13
0473-38-3307